明治天皇桃山御陵前に佇む乃木神社【前編】へ
御香宮神社の表門を出たのが14時18分で、大手筋通りを東に緩やかに登って行きます。途中、JR奈良線の踏切を渡ると右手に「桃山駅」が見えています。そのまま進むと明治天皇陵ですが車は進めません。明治天皇陵は後程参拝することにして、東に進むと遠くに乃木神社の看板が見えます。そこまで歩くと南向きに大鳥居がありました。
ここには14時29分に着きました。約10分ですが、緩やかに登っているので少々疲れました。靴もウォーキングシューズでもないし・・・多分、次の明治天皇陵は次回に持ち越ししそうな・・・そんな気分です。
大鳥居から約1分、14時30分に、四脚入母屋平入の木造銅板葺の神門前に着きました。右手には大きな社号標が建っています。
神門をくぐりますが、境内が空いてたら良いのになぁ・・・と思いつつ入ってみると、ざっと3名程度・・・参拝に来られています。
門を入って左に大きな石碑がありました。「乃木将軍景仰之碑」と読めます。徳富蘇峰(とくとみそほう)が書かれたものが刻み込まれてるそうです。
寄り道は後ですることにして、先ずは本殿を目指します。ただ、ここは微妙に歪んでて本殿まで真っ直ぐに行けないようです。
その左手には手水舎があって、近くに寄ってみると・・・何と水がありません。よく見ると“張り紙”があって、拝殿近くにある・・・手水を使うように・・・と。
ここから左手には煉瓦造りの記念館がありますが、これは後程行ってみることにして、その参道横には「学習院長時代の乃木大将胸像」がありました。
神門を入って、先ずは南東に進み、途中から南に向きを変え、その突き当たりに拝殿があります。その参道の左手には「さざれ石」がありました。
そして拝殿に着きました。本殿は奥にあって直接は見えません。ここでお参りするようでするようです。ただ手水を、まだ使ってませんが・・・。
拝殿の前には、狛犬ならぬ狛馬が鎮座と思いましたが、調べると乃木大将が常用された愛馬の像でした。
先程の手水舎は水がありません。そこには拝殿前に・・・とあった「勝水と勝ちま栗の祠」です。この横に“勝水”が湧き出ています。
案内によると、2006年(平成18年)に復活した霊験新たかな御神水だそうです。ここで手と口を清めてからお参りしました。
お参りのあと、行きは左手に、帰りには右手に見所があったので寄って行きます。境内は空いてたので、ゆっくり見られるのが良いですね。
先ずは、復元された長府(山口県)にあった乃木邸です。ここで家族7人と暮らし、向かって右側の米搗場では乃木少年が米を搗きながら本を読んだ所が再現されています。
そこから左手に進むのが本当でしょうけど、右奥に銅像が見えました。案内を読むと、乃木神社の創建に尽力した「村野山人翁之像」でした。1916年(大正5年)の創建です。
このあと、再び元に戻って、左手を進みます。次は先程「乃木大将胸像」から見えていて、気になってた建物です。
このレンガ造りの記念館は、日露戦争の際南満州(現在の中国東北部)の柳樹房という場所にあった「第三軍司令部」を移築されたものです。では入ってみましょう。
入ると正面に小さな祠があって、案内を読むと祖霊社のようでした。家族の健康や安全をご先祖に祈念して下さいとありました。
入って最初に左側の部屋に進みます。そこにはダルマが一杯置いてあって、その奥にコンクリートに囲まれた一室があって、中を覗くと・・・。
この何の変哲もない部屋は寝室を復元されたようで、旅順攻囲戦の指揮を執られるため一年間起居されてたようです。
次ぎに入口から向かって右側の部屋に移動します。そこには「乃木大将肖像画」など展示されてました。
最後に「宝物館」の前までやって来ました。ここも見ていこうと思いましたが、入館料100円とあります。多分、社務所でお支払いするのだろうと・・・行ってみることに・・・。
思い切り逆光ですが、ほぼ向かいに社務所があって、そこで2種類の“朱印”をいたたぎ宝物館のことも聞きました・・・が、答えは「入口の筒に入れて下さい」でした。
その前に寄り道です。日露戦争時の装甲巡洋艦として活躍した「吾妻」の主錨と「滄海に眠る若人の碑」と書かれた慰霊碑が安置されてました。
宝物館に戻りましたが、よくよく見れば書いてありました。そして中に入ると真っ暗・・・これも書いてありまりしたが自分で電気を付けるですね。
外観は蔵造りで、内部は2階建てとなってました。遠目から写真を撮ってからゆっくり観賞されてもらいました。
先程“朱印”をいただきましたが、2種類ありました。「乃木神社」と「ゑびす神社」とあって、ここは書き置きしか無いそうです。ほぼ入口まで戻りかけてましたが、もう一つ・・・ゑびす神社に行ってません。そうそう拝殿の横に社殿がありました。そこでもう一度、戻る事に・・・後編に続きます。
【乃木神社 本殿】
ここには14時29分に着きました。約10分ですが、緩やかに登っているので少々疲れました。靴もウォーキングシューズでもないし・・・多分、次の明治天皇陵は次回に持ち越ししそうな・・・そんな気分です。
大鳥居から約1分、14時30分に、四脚入母屋平入の木造銅板葺の神門前に着きました。右手には大きな社号標が建っています。
神門をくぐりますが、境内が空いてたら良いのになぁ・・・と思いつつ入ってみると、ざっと3名程度・・・参拝に来られています。
門を入って左に大きな石碑がありました。「乃木将軍景仰之碑」と読めます。徳富蘇峰(とくとみそほう)が書かれたものが刻み込まれてるそうです。
寄り道は後ですることにして、先ずは本殿を目指します。ただ、ここは微妙に歪んでて本殿まで真っ直ぐに行けないようです。
その左手には手水舎があって、近くに寄ってみると・・・何と水がありません。よく見ると“張り紙”があって、拝殿近くにある・・・手水を使うように・・・と。
ここから左手には煉瓦造りの記念館がありますが、これは後程行ってみることにして、その参道横には「学習院長時代の乃木大将胸像」がありました。
神門を入って、先ずは南東に進み、途中から南に向きを変え、その突き当たりに拝殿があります。その参道の左手には「さざれ石」がありました。
そして拝殿に着きました。本殿は奥にあって直接は見えません。ここでお参りするようでするようです。ただ手水を、まだ使ってませんが・・・。
拝殿の前には、狛犬ならぬ狛馬が鎮座と思いましたが、調べると乃木大将が常用された愛馬の像でした。
先程の手水舎は水がありません。そこには拝殿前に・・・とあった「勝水と勝ちま栗の祠」です。この横に“勝水”が湧き出ています。
案内によると、2006年(平成18年)に復活した霊験新たかな御神水だそうです。ここで手と口を清めてからお参りしました。
お参りのあと、行きは左手に、帰りには右手に見所があったので寄って行きます。境内は空いてたので、ゆっくり見られるのが良いですね。
先ずは、復元された長府(山口県)にあった乃木邸です。ここで家族7人と暮らし、向かって右側の米搗場では乃木少年が米を搗きながら本を読んだ所が再現されています。
そこから左手に進むのが本当でしょうけど、右奥に銅像が見えました。案内を読むと、乃木神社の創建に尽力した「村野山人翁之像」でした。1916年(大正5年)の創建です。
このあと、再び元に戻って、左手を進みます。次は先程「乃木大将胸像」から見えていて、気になってた建物です。
このレンガ造りの記念館は、日露戦争の際南満州(現在の中国東北部)の柳樹房という場所にあった「第三軍司令部」を移築されたものです。では入ってみましょう。
入ると正面に小さな祠があって、案内を読むと祖霊社のようでした。家族の健康や安全をご先祖に祈念して下さいとありました。
入って最初に左側の部屋に進みます。そこにはダルマが一杯置いてあって、その奥にコンクリートに囲まれた一室があって、中を覗くと・・・。
この何の変哲もない部屋は寝室を復元されたようで、旅順攻囲戦の指揮を執られるため一年間起居されてたようです。
次ぎに入口から向かって右側の部屋に移動します。そこには「乃木大将肖像画」など展示されてました。
最後に「宝物館」の前までやって来ました。ここも見ていこうと思いましたが、入館料100円とあります。多分、社務所でお支払いするのだろうと・・・行ってみることに・・・。
思い切り逆光ですが、ほぼ向かいに社務所があって、そこで2種類の“朱印”をいたたぎ宝物館のことも聞きました・・・が、答えは「入口の筒に入れて下さい」でした。
その前に寄り道です。日露戦争時の装甲巡洋艦として活躍した「吾妻」の主錨と「滄海に眠る若人の碑」と書かれた慰霊碑が安置されてました。
宝物館に戻りましたが、よくよく見れば書いてありました。そして中に入ると真っ暗・・・これも書いてありまりしたが自分で電気を付けるですね。
外観は蔵造りで、内部は2階建てとなってました。遠目から写真を撮ってからゆっくり観賞されてもらいました。
先程“朱印”をいただきましたが、2種類ありました。「乃木神社」と「ゑびす神社」とあって、ここは書き置きしか無いそうです。ほぼ入口まで戻りかけてましたが、もう一つ・・・ゑびす神社に行ってません。そうそう拝殿の横に社殿がありました。そこでもう一度、戻る事に・・・後編に続きます。
【乃木神社 本殿】