愛宕街道を行く

GW後半は特に予定もなく、観光地は何処も混雑するので出掛けません。ただ体を動かすため早朝に散歩には行きました。それが近場の愛宕街道です。

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写真は愛宕街道の手前、清滝街道から。何故、ここを撮ったのかそこには、戦前に愛宕山鉄道(あたごさんてつどう)平坦線の電車が走ってた名残だからです。

愛宕山鉄道 平坦線は、1929年(昭和4年)4月12日から1944年(昭和19年)12月10日まで、嵐山から清滝まで約3.39㌔を電車が走ってました。写真右手の児童公園は、かつての「釈迦堂駅」がありましたが、名残を探してもありません。

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清滝街道から西に入ると嵯峨豆腐で有名な“森嘉”があっていつも賑わいます。そのまま西に進むと、清涼寺(嵯峨釈迦堂)の仁王門から入って、西門から出ました。

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西門から西に向いて緩やかに愛宕街道を登って行きます。暫くすると4月20日(金)に「京の文化財探訪 嵯峨の古仏を訪ねて」で訪問した慈眼堂を通過。

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このまま西に向いて緩やかに登ると、途中には“厭離庵”や“二尊院”の前を通りませが、近くを通過します。そして、まだまだ先を進むと・・・。

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二尊院を過ぎると石碑が数本建っている所があります。真っ直ぐ進めば“祇王寺”や“滝口寺”がありますが、直進せず右手の愛宕街道を進みます。

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そこから突き当たりを見ると“博物館さがの人形の家”が見えています。ここは不定期で開けられるためかなぁ・・・開いてるの、最近では見た事がないです。

その博物館さがの人形の家の向かいに、石造りの鳥居があります。ここは何度も通ってますが、初めて寄って行きました。

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地図で調べると“水清大神”が祀られてるのが分かりました。昼間でも薄暗い中入って行くと、手前に拝殿が奥には、いくつもの塚がありました。前途のとおり薄暗いので早々と出ました。

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水清大神を早々に出て、再び愛宕街道を登って行きます。すると正面右側に五山の送り火で最後に点灯される“鳥居形”が見えて来ます。そして左手には“後龜山天皇 嵯峨小倉陵”参道入口があります。

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その先の三叉路を過ぎて愛宕街道を登って行くと、ご覧のように電柱や電線が地中化されてありません。京都市内に四箇所ある中の「嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区」なんです。

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先程の三叉路を下がると瀬戸内寂聴さんに“寂庵”があるんですけど・・・余談でした。そして、そのまま愛宕街道を行くと、“あだしのまゆ村”があります。繭で造られた可愛い人形が販売されています。そして、その先が“化野念仏寺”です。

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化野念仏寺の駐車場を過ぎると茅葺きの屋根も見かけるようになります。そして、その先には“嵐山高雄パークウェイ”の高架も見えて来ました。

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その高架下の側に“将軍地蔵堂”があって、将軍地蔵菩薩が祀られているようです。詳細は・・・分かりません。その向かいが“嵯峨鳥居本町並み保存館”があって、一度入りましたが愛宕山鉄道の模型なんか展示されました。

この日は5月4日でした。明日は5月5日・・・“子供の日”ですよね、それで“鯉のぼり”快晴の空に泳いでいます。

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この石段は、愛宕山鉄道の数少ない名残でしょう。この上に「鳥居本駅」があって、化野念仏寺に行かれるためのもので建設されたと思います。

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この日のゴールは“愛宕神社一の鳥居”までと決めてました。その奥には愛宕念仏寺がありますが、今日はそこまで行きません。その鳥居を左手に行けば保津峡に出られます。

まだ私が20代だった頃、会社の仲間とこの先にある落合トンネルを超え、落合谷で 飯盒炊爨(はんごうすいさん)をしたものです。帰りは国鉄の保津駅から帰りました。三度ぐらいしたかなぁ・・・懐かしい思い出です。

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帰りも同じ愛宕街道を早足で下って行きます。帰路は二尊院や落柿舎の前を通り、最後は“愛宕神社御旅所”の鳥居の写真を撮って帰りました。

7時20分頃に家を出て、約1時間かけて早朝に散歩してきました。GW後半も最初は天気良かったですし、気温も高かったです。

【旧愛宕山鉄道 釈迦堂駅】



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