京の文化財探訪 嵯峨の古仏を訪ねて 薬師寺 文化財特別観賞へ
京都市文化観光資源保護財団主催の「嵯峨の古仏を訪ねて」、慈眼堂の次は薬師寺です。薬師寺と聞けば、奈良の薬師寺を思い浮かべるので便宜上、嵯峨 薬師寺と私は書いていますが、正式には薬師寺です
。
ここも慈眼堂と同じく7時43分に事前に撮影してて、10時16分に戻ってきた時には、特別拝観の看板が出てました。
日月門と呼ばれる山門を入って右手の書院玄関から中に入りました。事前の撮影では閉まってますが、この時は当然開いていて、そこで靴を袋に入れます。そして受付で2個目のハンコを押してもらい中へ。
この薬師寺は毎年、8月24日の地蔵盆の日に本堂が公開され、誰でもお参りできます。私も、2014年(平成26年)8月24日にお参りに来て、この庭園は見ています。
久し振りの庭園を撮影しようと思ったら、本堂の方から「まもなく案内を始めるので本堂に来て下さい」と。それを無視して先に撮影をと思いましたが、どうも堂内では待たれてるようで、駆け足で堂内に入り座ったところ案内が始まりました。
ここは、過去2013年(平成25年)と2014年(平成26年)に来ていて、その時にも堂内の写真は撮れたので、説明を聞きながら1枚撮りました。ざっとみたところ10名弱の方が話を聞いています。ここもガイドさんが熱心に話されて・・・。
薬師寺は、818年(弘仁9年)に蔓延する疫病を鎮めるため嵯峨天皇が弘法大師に命じ、大師みずから薬師如来を彫り、それをこの地に祀ったのが始まりです。その後は真言宗の大覚寺派に属してましたが、明治に入り浄土宗知恩院派となり、廃寺となった福正寺の仏像や伝説を引き継ぎ、現在に至っています。
内陣厨子の中央に安置されているのが、本尊の「薬師如来坐像」です。像高18㌢、“心経秘鍵薬師如来”と呼ばれ、久しく厨子の中に安置され秘仏とされていました。
なお、脇侍として右に、日光菩薩立像。左に月光菩薩立像も安置されてました。少し、見にくいので下から撮ると写ってました
。
次に、お堂の右側に移動です。その奥に阿弥陀三尊像が安置されていますが、お参りされているので、先に木造伝嵯峨天皇坐像を撮りました。
像高42.2㌢で、京都市指定文化財ですが、ここは案内がありませんでした。南北朝時代の作とされ、強装束(こわしょうぞく)姿の肖像彫刻として貴重だそうです。
それで、人が居なくなった所で、船上阿弥陀三尊像にお参りです。恵心僧都の作と伝わっていますが、中尊の木造阿弥陀如来坐像(像高52.3㌢ 京都市指定文化財)と脇仏として左に木造勢至菩薩坐像(像高41.8㌢ 京都指定文化財)、右に木造観音菩薩立像(像高58㌢)が安置されています。
船上と呼ばれているのは、脇仏の木造観音菩薩立像が持っているのが「櫓(ろ)」。木造勢至菩薩坐像が持っているのが「櫂(かい)」。船は火災で焼失したので、台座と光背は後付けだそうです。
次に大きく左側に移動します。その中央には木造地蔵菩薩半跏像(像高109㌢、京都指定文化財)が安置されています。元は廃寺となった福正寺の本尊でしたが廃寺に際し薬師寺に移されました。
その右にあるのが木造聖徳太子裸形立像(像高57.6㌢、京都指定文化財)で、便宜上下半身には服を着せてますが、裸形の聖徳太子像は珍しいと聞きました。
平安時代初期に小野篁は昼間は朝廷に仕え、夜は六道珍皇寺にある冥土の井戸から閻魔庁に勤めてたました。あるとき地獄に赴いた小野篁は、猛火の中で苦しむ亡者を救い、その身代わりとなって自ら焼かれた地蔵菩薩のお姿を見た小野篁はその地蔵菩薩の尊さに心を打たれ、そのお姿を彫刻し、冥土の出口にある福正寺にお祀りしたそうです。そのため“生六道地蔵菩薩像”とも称され、毎年8月24日には地蔵盆の法要が行われ「生御膳」が献じられます。
その福正寺近くにあった“七つ井戸”の復元図がパネルでありました。30年前(起点がいつか不明)に大覚寺門前六道町の薮から発見された。当時の話を元にスケッチされたもの。
次に・・・と言うか最後に、庭園です。2014年(平成26年)に一度見てますが、それ以来です。この庭園については案内はありませんでしたが、雑談で意外なことが分かりました・・・。
京都市文化観光資源保護財団のスタッフの方から、この庭園を造ったのが12代目・小川治兵衛さんだそうです。次期“植治”当主になる方ですよね
。
8月24日でも入ったことがある書院ですが、その時は檀家さんが居るので、どうしても遠慮してしまいます。この日は書院もゆっくり見せてもらいました。
ここを出たのが10時36分、ボチボチ人が増えてきました。なお、下の写真は石仏の三地蔵尊で、生六道地蔵菩薩の分身と夕霧地蔵菩薩像、瑠璃光地蔵菩薩像だそうです。
日月門から外に出て、薬師寺の本堂の前を通ります。その手前には“「生の六道」小野篁遺跡”と書いてあります。実際には廃寺となった福正寺は、ここじゃなかったでしょうけど・・・。
次が、通常拝観している清涼寺(嵯峨釈迦堂)です。ちなみに通常拝観していている嵯峨釈迦堂は400円。薬師寺と慈眼堂は、年一回ですが無料で入れます。今日はガイドさんの説明が付きますが拝観料は1000円です。会員は無料ですが、一般の方は、どうみても高いでしょう・・・
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【薬師寺 本堂】


ここも慈眼堂と同じく7時43分に事前に撮影してて、10時16分に戻ってきた時には、特別拝観の看板が出てました。
日月門と呼ばれる山門を入って右手の書院玄関から中に入りました。事前の撮影では閉まってますが、この時は当然開いていて、そこで靴を袋に入れます。そして受付で2個目のハンコを押してもらい中へ。
この薬師寺は毎年、8月24日の地蔵盆の日に本堂が公開され、誰でもお参りできます。私も、2014年(平成26年)8月24日にお参りに来て、この庭園は見ています。
久し振りの庭園を撮影しようと思ったら、本堂の方から「まもなく案内を始めるので本堂に来て下さい」と。それを無視して先に撮影をと思いましたが、どうも堂内では待たれてるようで、駆け足で堂内に入り座ったところ案内が始まりました。
ここは、過去2013年(平成25年)と2014年(平成26年)に来ていて、その時にも堂内の写真は撮れたので、説明を聞きながら1枚撮りました。ざっとみたところ10名弱の方が話を聞いています。ここもガイドさんが熱心に話されて・・・。
薬師寺は、818年(弘仁9年)に蔓延する疫病を鎮めるため嵯峨天皇が弘法大師に命じ、大師みずから薬師如来を彫り、それをこの地に祀ったのが始まりです。その後は真言宗の大覚寺派に属してましたが、明治に入り浄土宗知恩院派となり、廃寺となった福正寺の仏像や伝説を引き継ぎ、現在に至っています。
内陣厨子の中央に安置されているのが、本尊の「薬師如来坐像」です。像高18㌢、“心経秘鍵薬師如来”と呼ばれ、久しく厨子の中に安置され秘仏とされていました。
なお、脇侍として右に、日光菩薩立像。左に月光菩薩立像も安置されてました。少し、見にくいので下から撮ると写ってました

次に、お堂の右側に移動です。その奥に阿弥陀三尊像が安置されていますが、お参りされているので、先に木造伝嵯峨天皇坐像を撮りました。
像高42.2㌢で、京都市指定文化財ですが、ここは案内がありませんでした。南北朝時代の作とされ、強装束(こわしょうぞく)姿の肖像彫刻として貴重だそうです。
それで、人が居なくなった所で、船上阿弥陀三尊像にお参りです。恵心僧都の作と伝わっていますが、中尊の木造阿弥陀如来坐像(像高52.3㌢ 京都市指定文化財)と脇仏として左に木造勢至菩薩坐像(像高41.8㌢ 京都指定文化財)、右に木造観音菩薩立像(像高58㌢)が安置されています。
船上と呼ばれているのは、脇仏の木造観音菩薩立像が持っているのが「櫓(ろ)」。木造勢至菩薩坐像が持っているのが「櫂(かい)」。船は火災で焼失したので、台座と光背は後付けだそうです。
次に大きく左側に移動します。その中央には木造地蔵菩薩半跏像(像高109㌢、京都指定文化財)が安置されています。元は廃寺となった福正寺の本尊でしたが廃寺に際し薬師寺に移されました。
その右にあるのが木造聖徳太子裸形立像(像高57.6㌢、京都指定文化財)で、便宜上下半身には服を着せてますが、裸形の聖徳太子像は珍しいと聞きました。
平安時代初期に小野篁は昼間は朝廷に仕え、夜は六道珍皇寺にある冥土の井戸から閻魔庁に勤めてたました。あるとき地獄に赴いた小野篁は、猛火の中で苦しむ亡者を救い、その身代わりとなって自ら焼かれた地蔵菩薩のお姿を見た小野篁はその地蔵菩薩の尊さに心を打たれ、そのお姿を彫刻し、冥土の出口にある福正寺にお祀りしたそうです。そのため“生六道地蔵菩薩像”とも称され、毎年8月24日には地蔵盆の法要が行われ「生御膳」が献じられます。
その福正寺近くにあった“七つ井戸”の復元図がパネルでありました。30年前(起点がいつか不明)に大覚寺門前六道町の薮から発見された。当時の話を元にスケッチされたもの。
次に・・・と言うか最後に、庭園です。2014年(平成26年)に一度見てますが、それ以来です。この庭園については案内はありませんでしたが、雑談で意外なことが分かりました・・・。
京都市文化観光資源保護財団のスタッフの方から、この庭園を造ったのが12代目・小川治兵衛さんだそうです。次期“植治”当主になる方ですよね

8月24日でも入ったことがある書院ですが、その時は檀家さんが居るので、どうしても遠慮してしまいます。この日は書院もゆっくり見せてもらいました。
ここを出たのが10時36分、ボチボチ人が増えてきました。なお、下の写真は石仏の三地蔵尊で、生六道地蔵菩薩の分身と夕霧地蔵菩薩像、瑠璃光地蔵菩薩像だそうです。
日月門から外に出て、薬師寺の本堂の前を通ります。その手前には“「生の六道」小野篁遺跡”と書いてあります。実際には廃寺となった福正寺は、ここじゃなかったでしょうけど・・・。
次が、通常拝観している清涼寺(嵯峨釈迦堂)です。ちなみに通常拝観していている嵯峨釈迦堂は400円。薬師寺と慈眼堂は、年一回ですが無料で入れます。今日はガイドさんの説明が付きますが拝観料は1000円です。会員は無料ですが、一般の方は、どうみても高いでしょう・・・


【薬師寺 本堂】