京都市伏見区淀の産土神 與杼神社へ

4月28日(土)は、昨日に引き続き「春期京都非公開文化財特別公開」された寺院を回るため、京阪「淀駅」に8時11分着きました。

特別拝観は9時から、そのため当初の予定どおり淀駅周辺を散策することにしました・・・が、今日は“京都競馬開催日”です。競馬新聞を持った人が競馬場に多くの人が向かわれるのと反対に淀駅から見ると西側に向かうと、大きな鳥居が見えてきました。この日最初の訪問地である與杼神社(よどじんじゃ)です。

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明日は、第157回 天皇賞(春)が開催されます。淀駅を降りると“天皇賞”一色なんですね、熱気が伝わってきますが、このあと私も参戦を予定しています

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鳥居の左には大きな社号標が立っています。ここは淀(よど)ですが、神社は與杼(よど)と書くんですね。知らなかったです。

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鳥居は南向きにありますが、参道は曲がってて社殿は東に向いているようです。参道の左手には淀城が見えています。あの淀君と呼ばれた豊臣秀吉の淀城ではありませんが・・・それは後程

豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、高皇産霊神(たかみむすごのかみ)、速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)を祀り、古くは淀姫(よどひめ)社、または水垂(みずたれ)社とも呼ばれていました。社伝によれば応和年間(961年~964年)、僧千観内供(せんかんないぐ)が肥前国(現在の佐賀県)河上村の淀大明神を勧請したことに始まると伝えられています。当初、水垂町に祀られ、桂川の水上運輸の守護神として人々から崇敬されていましたが、1900年(明治33年)に淀川改修工事のため、ここに移されました。境内には、本殿、拝殿、神輿庫を始め、日大臣(ひだいじん)社、長姫社、川上社、豊丸社などの各社殿が建てられています。中でも拝殿は、1607年(慶長12年)に建造されたもので、国の重要文化財に指定されています。毎年11月に行われる例祭は「淀祭」と呼ばれ多くの人で賑わいます。

ここには8時15分に着きましたが、誰も居ませんし、社務所もありません。鳥居横に“駒札”があったので、だいたいの由緒は分かりました。それが上記に書いたものです。

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本殿に近づくと、左手に手水舎があります。近づいてみると水かありません。何処かの神社でセンサーによって近づくと水が出る所もありますが、ここは出ない・・・出なかったです。

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本殿前にお参りに行く手前・・・上の写真ですが・・・社務所が開いてなかったので由緒書きを貰い損ねたので分かりません。そして両側に狛犬が鎮座する中、境内に入って行きました。

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国の重要文化財に指定されてる建物です。1971年(昭和46年)後で行く本殿とともに指定されたようで、当時の建築様式を今に伝えています。

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1975年(昭和50年)8月まで重要文化財に指定されてた本殿は、中学生の花火遊びにより,檜皮葺屋根に着火し,焼失してしまいました。1980年(昭和55年)再建され、中央に豊玉姫命(とよたまひめのみこと)向かって右側に高皇産霊神(たかみむすごのかみ)向かって左側に速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)の三柱が祀られています。

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こちらは本殿の右奥にある末社でしょうか、日大臣(ひだいじん)だと思います・・・と言うのも、駒札に書いてあるので、ここしか見当たらなかったので、多分・・・間違いないでしょう。

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境内の南側に鳥居が並んでいます。左から川上社(川上大神)、豊丸社(豊丸大神)、長姫(ながひめ)(長姫大神)と扁額に書いてありました。

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最後に境内の南西角です。そこには江戸時代豪商ゆかりの高灯籠と創建当時の礎石が奉納されてました。

そして今度は、南側に移動します。そこには京阪電車に乗ると見えている城跡があって、淀君で有名な淀城があるんです。そこで、これから行く淀城跡について、ほんのちょっとだけ予習です。豊臣秀吉が側室の茶々(淀殿)が出産するため修築を命じたのが“淀古城”と呼ばれるもので、現在の納所(のうそ)当たりにありました。その後、伏見城が廃城となったあとに、伏見城の一部を用いて築城されたのが“淀城”で、そちらを散策に参ります。

【與杼神社】



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