丹後を行く 京都府与謝郡伊根町 浦嶋神社へ
経ヶ岬を出ると、次の目的地が京都府与謝郡伊根町にある浦嶋神社でした。ここは平成26年度 春季 京都非公開文化財特別公開(4月26日から5月6日)で貴重な文化財が公開されました。私はあまりの遠さに行ってません。ところが今回、Oさんから丹後半島一周に誘っていただいたので、浦嶋神社に寄ってくれるようにお願いした次第です。
経ヶ岬から蒲入展望所には寄りましたが、この浦嶋神社には13時19分に着きました。駐車場は観光バスも止められるぐらい広いです。
駐車場から浦嶋神社の境内までの途中に「水之江の里浦嶋公園」があって浦嶋伝説のモニュメントがあったので撮りました。詳しくは帰りに寄ってみます。
浦嶋神社の鳥居へ向かって歩いて行くと、前方に一組二人の方が先に入って行かれました。こんな交通の便が悪いのに来られるんですね。
これだけ日差しが強かったら少し歩いただけで汗だくになりますが、海沿いの北部・・・風が常に吹いてて蒸し暑さは感じません。
後ほど宮司さんより説明を聞きますが、ここの社殿(手前は拝殿)は北向きに建っています・・・と言うか北極星の方向に向いているです。
手前の拝殿でお参りを済ませます。拝殿は権現造。奥の本殿は茅葺の神明造で、2013年(平成25年)に国の登録有形文化財に指定されました。御祭神は、嶋浦子(しまのうらこ)、相殿に月讀命(つくよみのみこと)、祓戸大神(はらえとのややかみ)です。
浦嶋神社は延期式神名帳によると“宇良神社”として記載されており、ご祭神は浦嶋子(浦島太郎)は日下部首(くさかべのおびと)等の祖先にあたり、日下部首は、古代の丹後半島で、海岸部を治めて大きな勢力を持っていたとされる海人(かいじん)でした。浦嶋子は、478年(雄略天皇22年)7月7日に美婦に誘われ常世の国へ行き、その後300有余年を経て第53代淳和天皇の825年(天長2年)に帰って来た。常世の国に住んでいた年数は347年で、淳和天皇はこの話を聞いて嶋浦子を筒川大明神と名付け小野篁を勅使に勅宣を述べたうえで小野篁は勅命をうけたまって宮殿を造営し、ここに筒川大明神が鎮座されました。この神社に伝わる浦嶋伝説は起源が最も古く、「丹波風土記・日本書紀・万葉集にも記載されています。1339年(暦応2年)には室町幕府初代将軍・足利尊氏が来社し幣帛(へいはく)・神馬・神酒を奉納するなど古代より地域はもとより広域にわたり崇敬を集めていたことが分かります。なお、社殿が北極星を向いて造営されたのは、道教の影響から北極星信仰があるためでしょう。
前途した先客が社務所で朱印をもらわれてる様子・・・これはラッキーです。待たずに貰えるから・・・その待ってる間に、「北前船」を見学しました。
今日は、どうも逆になってしまいますが、ここで手水舎を見つけました。場所は鳥居を入って直ぐの左手です。
ここで前の方の朱印が終わったので、すかさず社務所に行き、朱印をいただきました。そして由緒書を訪ねると100円との事。それより宝物資料室の拝観をお願いすると・・・。
宮司さんが空いているのでOKだと。それに絵解きに約20分かかるが時間は大丈夫かとも聞かれました。Oさんに確認すると大丈夫との返答で、お願いすることにしました。
社務所で「宮司は直ぐに行きますから資料室の前で待ってて」と言われたので、先に向かうことに。場所は事前に調べてました。
こちらが「宝物資料室」です。少し待っていると宮司さんが来られたので中に入りました。なお拝観料は700円・・・以前は400円だったのに・・・値上がっています。
なお、内部の撮影の有無を訪ねるとNGでした。入ると早速、宮司さんが話始められましたが、その話が・・・長い長い長い・・・延々30分も話されて・・・さすがに聞き疲れました。
「浦嶋明神縁起(重要文化財)」浦島太郎が住んでいた水乃江里から蓬莱山の国に至る迄と帰ってからの出来事を細かく古い書物をもとに描かれた絵巻です。この絵解きを30分もかけて案内してもらった訳です。
浦嶋子が休日に一人海に出て釣りを楽しんでいると一匹も釣れず、3日目には諦めて竿を上げようとしたら五色の亀を釣り上げました。浦嶋子はその亀を眺めていると居眠りをしてしまい、暫くすると目を醒ますと亀はたいそう美しい乙女の姿に変わっていて、常世の国(とこよのくに)に二人して誘われました。常世の国は今まで見たこともないほどの宮殿があって、とても煌びやかでした。そして二人は乙女の住む屋敷に案内され、両親に夫婦の契りの許しを得るため乙女は浦嶋子を門の前に待たせて、一人門の中に入って行きます。その待たされている間に乙女の名が“亀姫”と知ることとなり、やがて亀姫と浦嶋子は一緒になることを許され夫婦となって楽しい日々を過ごすこと3年、亀姫は浦嶋子が故郷への思いがあるのことを知り、嶋子に美しい衣を着せ、亀姫の分御霊の入った玉手箱を与え「再会をしたいと思うなら、けっしてこの玉手箱を開けてはなりません」と告げ、約束したあと嶋子は船にのり水乃江乃里に帰ると、そこには故郷の人々は無く木々は枯れ変わり果てた姿に愕然とすると、そこに老婆がおり「約300年前、浦嶋子という人が海に釣りをしたまま帰って来なかった」と。それを聞いて浦嶋子は、常世の国での生活が300年も立っていることに気づき、日を追うごとに亀姫を思う心が募り、とうとう約束を破って玉手箱を開けてしまいます。すると中から紫の煙が立ち上り、そのうち浦嶋子は白髪の翁となりやがて亡くなりました・・・というお話です。
すごく割愛して書きましたが、宮司さんは30分もよどみなく話されて感心しました・・・が・・・やっぱり少々長く感じました。後は資料室内の展示物をゆっくり見せてもらい、ここを出ることにしました。浦島太郎=浦嶋子・・・絵解きをゆっくり聞いてください、是非。
帰りには水之江の里浦嶋公園を通って「浦嶋館」にも寄りました。土産物なんか販売されてるようですが、あっさりと見て早々に出て行きました。
ここの周りは田園風景が広がる、いかにも田舎の風景ってな感じです。社務所では「何処から来られましたか」と聞かれたので「京都市内」と答え「遠かった」と返答したら「同じ京都府内、そんなに遠くはないですよ」と。いやいや遠いです。車でも最低2時間はかかります。平成26年度の春季特別拝観に行けなかったリベンジをOさんのご協力で果たせました。浦島太郎が神様だったとは・・・知らなかったですね。宮司さんの話は長いけど是非、聞いてほしいと思います。この長い話で、この先の予定が狂ってしまいましたが、勉強になりました。その浦嶋神社の駐車場を14時16分に出ていきました。
【浦嶋神社】
経ヶ岬から蒲入展望所には寄りましたが、この浦嶋神社には13時19分に着きました。駐車場は観光バスも止められるぐらい広いです。
駐車場から浦嶋神社の境内までの途中に「水之江の里浦嶋公園」があって浦嶋伝説のモニュメントがあったので撮りました。詳しくは帰りに寄ってみます。
浦嶋神社の鳥居へ向かって歩いて行くと、前方に一組二人の方が先に入って行かれました。こんな交通の便が悪いのに来られるんですね。
これだけ日差しが強かったら少し歩いただけで汗だくになりますが、海沿いの北部・・・風が常に吹いてて蒸し暑さは感じません。
後ほど宮司さんより説明を聞きますが、ここの社殿(手前は拝殿)は北向きに建っています・・・と言うか北極星の方向に向いているです。
手前の拝殿でお参りを済ませます。拝殿は権現造。奥の本殿は茅葺の神明造で、2013年(平成25年)に国の登録有形文化財に指定されました。御祭神は、嶋浦子(しまのうらこ)、相殿に月讀命(つくよみのみこと)、祓戸大神(はらえとのややかみ)です。
浦嶋神社は延期式神名帳によると“宇良神社”として記載されており、ご祭神は浦嶋子(浦島太郎)は日下部首(くさかべのおびと)等の祖先にあたり、日下部首は、古代の丹後半島で、海岸部を治めて大きな勢力を持っていたとされる海人(かいじん)でした。浦嶋子は、478年(雄略天皇22年)7月7日に美婦に誘われ常世の国へ行き、その後300有余年を経て第53代淳和天皇の825年(天長2年)に帰って来た。常世の国に住んでいた年数は347年で、淳和天皇はこの話を聞いて嶋浦子を筒川大明神と名付け小野篁を勅使に勅宣を述べたうえで小野篁は勅命をうけたまって宮殿を造営し、ここに筒川大明神が鎮座されました。この神社に伝わる浦嶋伝説は起源が最も古く、「丹波風土記・日本書紀・万葉集にも記載されています。1339年(暦応2年)には室町幕府初代将軍・足利尊氏が来社し幣帛(へいはく)・神馬・神酒を奉納するなど古代より地域はもとより広域にわたり崇敬を集めていたことが分かります。なお、社殿が北極星を向いて造営されたのは、道教の影響から北極星信仰があるためでしょう。
前途した先客が社務所で朱印をもらわれてる様子・・・これはラッキーです。待たずに貰えるから・・・その待ってる間に、「北前船」を見学しました。
今日は、どうも逆になってしまいますが、ここで手水舎を見つけました。場所は鳥居を入って直ぐの左手です。
ここで前の方の朱印が終わったので、すかさず社務所に行き、朱印をいただきました。そして由緒書を訪ねると100円との事。それより宝物資料室の拝観をお願いすると・・・。
宮司さんが空いているのでOKだと。それに絵解きに約20分かかるが時間は大丈夫かとも聞かれました。Oさんに確認すると大丈夫との返答で、お願いすることにしました。
社務所で「宮司は直ぐに行きますから資料室の前で待ってて」と言われたので、先に向かうことに。場所は事前に調べてました。
こちらが「宝物資料室」です。少し待っていると宮司さんが来られたので中に入りました。なお拝観料は700円・・・以前は400円だったのに・・・値上がっています。
なお、内部の撮影の有無を訪ねるとNGでした。入ると早速、宮司さんが話始められましたが、その話が・・・長い長い長い・・・延々30分も話されて・・・さすがに聞き疲れました。
「浦嶋明神縁起(重要文化財)」浦島太郎が住んでいた水乃江里から蓬莱山の国に至る迄と帰ってからの出来事を細かく古い書物をもとに描かれた絵巻です。この絵解きを30分もかけて案内してもらった訳です。
浦嶋子が休日に一人海に出て釣りを楽しんでいると一匹も釣れず、3日目には諦めて竿を上げようとしたら五色の亀を釣り上げました。浦嶋子はその亀を眺めていると居眠りをしてしまい、暫くすると目を醒ますと亀はたいそう美しい乙女の姿に変わっていて、常世の国(とこよのくに)に二人して誘われました。常世の国は今まで見たこともないほどの宮殿があって、とても煌びやかでした。そして二人は乙女の住む屋敷に案内され、両親に夫婦の契りの許しを得るため乙女は浦嶋子を門の前に待たせて、一人門の中に入って行きます。その待たされている間に乙女の名が“亀姫”と知ることとなり、やがて亀姫と浦嶋子は一緒になることを許され夫婦となって楽しい日々を過ごすこと3年、亀姫は浦嶋子が故郷への思いがあるのことを知り、嶋子に美しい衣を着せ、亀姫の分御霊の入った玉手箱を与え「再会をしたいと思うなら、けっしてこの玉手箱を開けてはなりません」と告げ、約束したあと嶋子は船にのり水乃江乃里に帰ると、そこには故郷の人々は無く木々は枯れ変わり果てた姿に愕然とすると、そこに老婆がおり「約300年前、浦嶋子という人が海に釣りをしたまま帰って来なかった」と。それを聞いて浦嶋子は、常世の国での生活が300年も立っていることに気づき、日を追うごとに亀姫を思う心が募り、とうとう約束を破って玉手箱を開けてしまいます。すると中から紫の煙が立ち上り、そのうち浦嶋子は白髪の翁となりやがて亡くなりました・・・というお話です。
すごく割愛して書きましたが、宮司さんは30分もよどみなく話されて感心しました・・・が・・・やっぱり少々長く感じました。後は資料室内の展示物をゆっくり見せてもらい、ここを出ることにしました。浦島太郎=浦嶋子・・・絵解きをゆっくり聞いてください、是非。
帰りには水之江の里浦嶋公園を通って「浦嶋館」にも寄りました。土産物なんか販売されてるようですが、あっさりと見て早々に出て行きました。
ここの周りは田園風景が広がる、いかにも田舎の風景ってな感じです。社務所では「何処から来られましたか」と聞かれたので「京都市内」と答え「遠かった」と返答したら「同じ京都府内、そんなに遠くはないですよ」と。いやいや遠いです。車でも最低2時間はかかります。平成26年度の春季特別拝観に行けなかったリベンジをOさんのご協力で果たせました。浦島太郎が神様だったとは・・・知らなかったですね。宮司さんの話は長いけど是非、聞いてほしいと思います。この長い話で、この先の予定が狂ってしまいましたが、勉強になりました。その浦嶋神社の駐車場を14時16分に出ていきました。
【浦嶋神社】