西行法師旧跡 西光院へ

上賀茂神社から自宅に戻って少し休憩してから再び家を出て、本日予約している食事会場に向かいました。その店に向かう途中に、とある寺院を見つけたので寄ることにしました。

車は実家に寄ったあと、観光地である嵐山を通ります。平日の昼間でも観光バスが数十台も止まっているのに驚きながら、これも有名な渡月橋を渡りますが、観光客が多いので注意しながら左折し、今度は道幅の狭い旧松尾街道を松尾大社の方向に下っていくと直ぐに寺院の白壁が見えて来ます。そこが昼食前の目的地で、そこにはニ尊山 西光院(にそんざん さいこういん)という寺院が建っています。

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山門前に大きな駐車場があるので、そこに止めて山門から境内に入りました。山門前には「西行法師旧跡」「洛西三十三所 第二十九番札所」の石碑があります。ここで゛西行法師の復習・・・です。

西行法師は、1118年(元永元年)~1190年 (文治6年) 俗名は佐藤義清(さとうのりきよ)といい平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。最初は徳大寺家に仕え、後に鳥羽上皇北面武士として奉仕。1140年(保延6年)23歳で出家し、鞍馬に住み,ついで東山山麓や嵯峨に草庵を結んだ。この地もその隠遁地の一つであるといわれ西光院の門前には石碑が建てられています。

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山門を入ると正面に真新しい本堂が見えますし、内部も覗けます。ただガラス戸は開けられないので内部には入れません(当然かも)。

西光院の歴史は、西行法師が草庵を結んだ庵を起源とする西光寺と旧街道の南にあった西光庵の二つの寺が1909年(明治42年)に合体し、寺を改築。山号をニ尊山と称し、寺号を西光院と改称しました。御本尊は、山号の通り旧西光寺の阿弥陀如来立像と旧西光庵の阿弥陀如来立像の二尊を祀り、身丈がほとんど同じ阿弥陀仏は並んで安置されてします。

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本堂の前に賽銭箱があって、その横には書き置きの“朱印”が置いてあります。そこに300円を入れていただきました。小銭を持参してきて良かったです

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食事の前に寄ってみた寺院でしたが“朱印”もあって良かったです。あとは境内の散策です。山門の左手(東側)には「南無阿弥陀仏十方衆生」と書かれた石碑があって・・・。

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その右手には「櫻元のお釈迦様.」と書かれた石碑と石像があって、その前に水盤も用意されています。

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境内は狭いので、そんなに長居しません。11時10分に入って、18分には出て行きました。足の不自由な母が来てなかったらもっと早かったですね、3分ぐらいでしょうか

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この西光院は、浄土宗西山禅林寺派に属し、京都洛西観音霊場(洛西三十三所観音霊場)第29番札所となっていまます。その石碑が駐車場横にも立っていました。

ここを出て、本日予約している所は、目と鼻の先です。歩いても1分ぐらいでしょうか、そちらに向かいました。

【二尊山 西光院】



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