丹後を行く 京都府京丹後市 大宮賣神社へ
JR福知山駅から約1時間で、京都府京丹後市大宮町周枳(すき)にある大宮賣神社(おおみやめじんじゃ)に着きました。この日の最初の訪問地で、周りは田園風景が広がる京都府北部の田舎町に着きました。
大宮賣神社の一の鳥居前です。車は二ノ鳥居近くあるので、後で写真を撮りに戻った訳です。門前の右側には「式内 名神大 大宮賣神社 二座」と書かれた石碑がありました。
その鳥居の左右には「京都府指定 古代祭祀史跡」と「丹波国大嘗祭主基斎田跡」と書かれた石碑を目にしました。裏には懐かしの京都府知事の名前が・・・
。
境内から多くの遺物が出土しており、境内そのものが祭祀遺跡(大宮売神社遺跡)であり、京都府指定史跡となっています。古代弥生時代の頃、既に人々の生活があり、古墳時代前期にかけての土器や勾玉が出土していし、本殿の裏手は「禁足の杜」となっています。
一の鳥居から二ノ鳥居まで続く、150㍍の参道には、両側に石燈籠が並び、松並木が美しいです。それと・・・境内には誰も見かけませんね。
二の鳥居から一の鳥居を振り返ると遠くに地元のお年寄りが来られました。この日は“夏日”を予想してましたが、快い風が吹いて気持ち良かったです。
二の鳥居前には手水舎が二カ所もありますが、一つは水がないです
。まぁ・・・本当は、手と口を清めるのが本当ですが・・・今日は・・・です
。
本殿には、天照大神に仕え天皇を守護する宮中八神の一柱であり、織物と酒造司(みきつかさ)にも奉斎される大宮賣神(おおみやめのかみ)と食物や穀物を司る女神である若宮賣神(わかみやめのかみ)の二柱神が祀られています。
ここは境内全域が京都府古代祭祀史跡に指定されてるそうで、その境内を散策します。このような交通の便が悪い所に連れてきてもらったOさんには感謝しかないです。
ここの見所は本殿前にある石灯籠です。国の重要文化財に指定されており、灯籠には1307年(徳治2年3月)の刻銘がと書かれていたので探しましたが、わからなかったです。
境内の左側から時計回りで散策します。最初に目にしたのが「庚申社」です。さらに奥に進むと・・・読めませんが石碑もありました。
さらに奥に進むと本殿の左側(西側)には「三社の社」があって、左から春日大神、天照皇大神、八幡大神が祀られています。
さらにOさんをほっといて
奥に進むと「大歳社」があって、ここには大歳命・御年命(おおとしのかみのみこと)が祀られています。
この大宮賣神社では最も奥にある「天満天神社」までやってきました。ここだけは案内を見なくてもわかります、ご祭神は菅原道真公でしょう。
本殿の裏側は「禁足の社」と書いてあって進めません。旧堀跡だそうで本殿の前を通って東側に移動します。ただ本殿を通ると中から神職さんが出てかられたので・・・後で社務所に寄ることに
。
東側に移動し奥には、右から「秋葉社」「武大社」「大川社」「稲荷社」「御嶽社」と小さな祠が並んで祀られています。
そして東側の一番奥には「八幡社」がありました。これで境内の末社はすべて巡った筈・・・です。次は社務所に寄る予定です。
と、その前に「忠霊社」に寄りました。ここは前の旧本殿だそうで、1695年(元禄8年)頃の建立だと伝わり、丹後地方では珍しい一間社隅木入春日造で、屋根は切妻と軒唐波風を組み合わせてあり、江戸時代中期のの様式を示していると伝わります。
ここの案内板の上には“アオガエル”が居ました。都会ではまず蛙は見ないですから夢中で撮りました。1927年(昭和2年)の北丹後地震で、この本殿は倒壊したそうです。
先ほど本殿から出てこられた神職さんが入っていかれた建物・・・社務所とは書いてませんが入ってみました。すると先ほどの神職さんが出てこられ“朱印”をお願いした訳です。
朱印は書いてもらいましたし、由緒書きもありました。Oさんは外で待ってもらってて、最後に絵馬舎を見てから次に向かうことに。
ここから駐車場は直ぐです。ここに車が止めてあるので、前途したとおり一の鳥居の写真を撮りにいったのが最初の写真でした。
社務所から最初に訪れた庚申社の麓には御神木でしょうね。大木がありましたが案内には何も書いてなかったです。
池の中には高価
な錦鯉も優雅に泳いでいます。駐車場にあった由緒書きを写真で撮って帰ってから読みました。そしてまとめたのが、このブログ記事です
。
大宮賣神社には9時45分頃について、トイレを済ませたあとと、10時7分に次の目的地に向け車は田園風景がひろがる、この大宮賣神社を出て行きました。
【大宮賣神社】

大宮賣神社の一の鳥居前です。車は二ノ鳥居近くあるので、後で写真を撮りに戻った訳です。門前の右側には「式内 名神大 大宮賣神社 二座」と書かれた石碑がありました。
その鳥居の左右には「京都府指定 古代祭祀史跡」と「丹波国大嘗祭主基斎田跡」と書かれた石碑を目にしました。裏には懐かしの京都府知事の名前が・・・

境内から多くの遺物が出土しており、境内そのものが祭祀遺跡(大宮売神社遺跡)であり、京都府指定史跡となっています。古代弥生時代の頃、既に人々の生活があり、古墳時代前期にかけての土器や勾玉が出土していし、本殿の裏手は「禁足の杜」となっています。
一の鳥居から二ノ鳥居まで続く、150㍍の参道には、両側に石燈籠が並び、松並木が美しいです。それと・・・境内には誰も見かけませんね。
二の鳥居から一の鳥居を振り返ると遠くに地元のお年寄りが来られました。この日は“夏日”を予想してましたが、快い風が吹いて気持ち良かったです。
二の鳥居前には手水舎が二カ所もありますが、一つは水がないです


本殿には、天照大神に仕え天皇を守護する宮中八神の一柱であり、織物と酒造司(みきつかさ)にも奉斎される大宮賣神(おおみやめのかみ)と食物や穀物を司る女神である若宮賣神(わかみやめのかみ)の二柱神が祀られています。
ここは境内全域が京都府古代祭祀史跡に指定されてるそうで、その境内を散策します。このような交通の便が悪い所に連れてきてもらったOさんには感謝しかないです。
ここの見所は本殿前にある石灯籠です。国の重要文化財に指定されており、灯籠には1307年(徳治2年3月)の刻銘がと書かれていたので探しましたが、わからなかったです。
境内の左側から時計回りで散策します。最初に目にしたのが「庚申社」です。さらに奥に進むと・・・読めませんが石碑もありました。
さらに奥に進むと本殿の左側(西側)には「三社の社」があって、左から春日大神、天照皇大神、八幡大神が祀られています。
さらにOさんをほっといて

この大宮賣神社では最も奥にある「天満天神社」までやってきました。ここだけは案内を見なくてもわかります、ご祭神は菅原道真公でしょう。
本殿の裏側は「禁足の社」と書いてあって進めません。旧堀跡だそうで本殿の前を通って東側に移動します。ただ本殿を通ると中から神職さんが出てかられたので・・・後で社務所に寄ることに

東側に移動し奥には、右から「秋葉社」「武大社」「大川社」「稲荷社」「御嶽社」と小さな祠が並んで祀られています。
そして東側の一番奥には「八幡社」がありました。これで境内の末社はすべて巡った筈・・・です。次は社務所に寄る予定です。
と、その前に「忠霊社」に寄りました。ここは前の旧本殿だそうで、1695年(元禄8年)頃の建立だと伝わり、丹後地方では珍しい一間社隅木入春日造で、屋根は切妻と軒唐波風を組み合わせてあり、江戸時代中期のの様式を示していると伝わります。
ここの案内板の上には“アオガエル”が居ました。都会ではまず蛙は見ないですから夢中で撮りました。1927年(昭和2年)の北丹後地震で、この本殿は倒壊したそうです。
先ほど本殿から出てこられた神職さんが入っていかれた建物・・・社務所とは書いてませんが入ってみました。すると先ほどの神職さんが出てこられ“朱印”をお願いした訳です。
朱印は書いてもらいましたし、由緒書きもありました。Oさんは外で待ってもらってて、最後に絵馬舎を見てから次に向かうことに。
ここから駐車場は直ぐです。ここに車が止めてあるので、前途したとおり一の鳥居の写真を撮りにいったのが最初の写真でした。
社務所から最初に訪れた庚申社の麓には御神木でしょうね。大木がありましたが案内には何も書いてなかったです。
池の中には高価


大宮賣神社には9時45分頃について、トイレを済ませたあとと、10時7分に次の目的地に向け車は田園風景がひろがる、この大宮賣神社を出て行きました。
【大宮賣神社】