かつて大伽藍を誇っていた大雲寺へ
全頁で紹介した石座神社の駐車場の入口にあるのが大雲寺と呼ばれる古刹です。ただ現在の本堂は仮のようですが・・・。
1985年(昭和60年)の火災により本堂が焼失したようですが、本尊の十一面観音菩薩は無事だったみたいです。
一般の住宅のような仮本堂・・・お寺とは思えないですね。駐車場の入口付近には石仏群がありましたが・・・。
参考までに、ここが「国指定史跡 岩倉具視幽棲旧宅」の専用駐車場の入口です。ここから少し上がった所に車止めてました。
この上の写真と、この下の写真・・・見てのとおり曇っています・・・と言うより雨が降ってました・・・そうです、後日撮り直した・・・撮り忘れてたからです。
帰ってから地図を見ていて気がついた「三面石仏」です。正面が阿弥陀座座像、右に十一面観音立像、左に地蔵立像が彫られています。鎌倉時代の作品だそうです。
ただ、事前に詳しく調べてなかったので、正面しか見てなかったです。それだけが、心の残りですが・・・大雲寺との関連は分かりません。
そして、その右横の「宝篋印塔」ですが、調べると「万里小路(藤原)藤房遺髪塔」でした。ここも大雲寺との関連は分かりませんが・・・多分・・・関連無いかと思います。
大雲寺971年(天禄2年年)文範(紫式部の曽祖父にあたる人物)・真覚(藤原敦忠の子で、俗名が藤原佐里)を開祖として創建したのに始まり。当初は園城寺(三井寺)の別院でした。980年(天元3年)には第64代・円融天皇の勅願所となり、平安時代中期、余慶僧正(智弁大師)の頃には多くの伽藍を有する大寺院でした。山号は「紫雲山」「石座山」といい、『源氏物語』「若紫」の巻に登場する「北山のなにがし寺」のモデルとする説も(または鞍馬寺)あります。 天台寺門宗系単立(天台証門宗)。
あまり深く見てなかったんですけど、このあとお隣の石座神社に行った訳です。そして石座神社を散策して、次に北山病院の方に向かうと・・・「不動の滝(妙見の滝)」が見えてきました。
前もって地図を見てて探した“滝”でした。この辺りは前途した病院の駐車場になっていましたが、この滝の周りだけ空いててくれました。
古来、大雲寺で心の病が良くなるように加持祈祷を受ける人たちの「垢離場(こりば)」で、心の病の方々を滝に打たせると本復すると言われ、全国から霊験を求めて人が集まりました。その人たちの滞在を引き受けた籠屋の一つが現在の北山病院へと発展します。(案内版より)
向かって右に「不動明王」が、左に「妙見菩薩」を祀り、一筋の滝水が流れ落ちます。明治以前は、背後の山腹に朝日妙見が祀られ、洛陽十二妙見霊場の筆頭として妙見信仰の滝行場でもありました。(案内版より)
今は、住宅と間違えるような本堂ですが、かつては大伽藍を誇ってたようです。その境内の跡に北山病院が建っています。(案内板より)
その滝から、少しだけ奥に進みます。そしたら小さな建物が見えてきます。そこには余慶僧正ゆかりの「閼伽井(あかい)(観音水)」がありました。
右の建物が北山病院です。奥へ進んでいくと見逃してしまいそうですが、寄って見ました。ここにも案内版が用意され読んでみると・・・。
余慶僧正(智弁大師)が霊水を求めて密教の秘法を修められたとされる伝説と、大雲寺文慶上人の夢に跋難陀龍王(ばつなんだりゅうおう)が現れてお告げを伝えたとする故事が残っています。干ばつにも降雨にも増減しない「不増不減の水」と称され古来より霊水として、心の病・眼の病にことのほか霊験があると平安時代より今日まで親しまれています。
ここに来たのが8時30分頃、朝早く来ましたが、熱帯夜が続いておりこの時間でも暑いです。ただ、ここの霊水・・・本当に冷たかったです。
汗で全身びしょ濡れになっていたので、手を冷やすだけでも気持ち良かったです。何度も手を冷やさせてもらいました。また、堂内にはお地蔵さんが祀られてるようでした。
かつての大伽藍は、何処に行ったのでしょうね、面影はありません。それにしても朝から暑いです。熱中症の心配もあるので、次に目的地に行くことにしました。
ここには8時36分に出ました。次の目的地まで10分もかからないと思いますが、これ以上の散策はできません。何度も言いますが、それにしても朝から・・・暑い・・・です。
【大雲寺】
1985年(昭和60年)の火災により本堂が焼失したようですが、本尊の十一面観音菩薩は無事だったみたいです。
一般の住宅のような仮本堂・・・お寺とは思えないですね。駐車場の入口付近には石仏群がありましたが・・・。
参考までに、ここが「国指定史跡 岩倉具視幽棲旧宅」の専用駐車場の入口です。ここから少し上がった所に車止めてました。
この上の写真と、この下の写真・・・見てのとおり曇っています・・・と言うより雨が降ってました・・・そうです、後日撮り直した・・・撮り忘れてたからです。
帰ってから地図を見ていて気がついた「三面石仏」です。正面が阿弥陀座座像、右に十一面観音立像、左に地蔵立像が彫られています。鎌倉時代の作品だそうです。
ただ、事前に詳しく調べてなかったので、正面しか見てなかったです。それだけが、心の残りですが・・・大雲寺との関連は分かりません。
そして、その右横の「宝篋印塔」ですが、調べると「万里小路(藤原)藤房遺髪塔」でした。ここも大雲寺との関連は分かりませんが・・・多分・・・関連無いかと思います。
大雲寺971年(天禄2年年)文範(紫式部の曽祖父にあたる人物)・真覚(藤原敦忠の子で、俗名が藤原佐里)を開祖として創建したのに始まり。当初は園城寺(三井寺)の別院でした。980年(天元3年)には第64代・円融天皇の勅願所となり、平安時代中期、余慶僧正(智弁大師)の頃には多くの伽藍を有する大寺院でした。山号は「紫雲山」「石座山」といい、『源氏物語』「若紫」の巻に登場する「北山のなにがし寺」のモデルとする説も(または鞍馬寺)あります。 天台寺門宗系単立(天台証門宗)。
あまり深く見てなかったんですけど、このあとお隣の石座神社に行った訳です。そして石座神社を散策して、次に北山病院の方に向かうと・・・「不動の滝(妙見の滝)」が見えてきました。
前もって地図を見てて探した“滝”でした。この辺りは前途した病院の駐車場になっていましたが、この滝の周りだけ空いててくれました。
古来、大雲寺で心の病が良くなるように加持祈祷を受ける人たちの「垢離場(こりば)」で、心の病の方々を滝に打たせると本復すると言われ、全国から霊験を求めて人が集まりました。その人たちの滞在を引き受けた籠屋の一つが現在の北山病院へと発展します。(案内版より)
向かって右に「不動明王」が、左に「妙見菩薩」を祀り、一筋の滝水が流れ落ちます。明治以前は、背後の山腹に朝日妙見が祀られ、洛陽十二妙見霊場の筆頭として妙見信仰の滝行場でもありました。(案内版より)
今は、住宅と間違えるような本堂ですが、かつては大伽藍を誇ってたようです。その境内の跡に北山病院が建っています。(案内板より)
その滝から、少しだけ奥に進みます。そしたら小さな建物が見えてきます。そこには余慶僧正ゆかりの「閼伽井(あかい)(観音水)」がありました。
右の建物が北山病院です。奥へ進んでいくと見逃してしまいそうですが、寄って見ました。ここにも案内版が用意され読んでみると・・・。
余慶僧正(智弁大師)が霊水を求めて密教の秘法を修められたとされる伝説と、大雲寺文慶上人の夢に跋難陀龍王(ばつなんだりゅうおう)が現れてお告げを伝えたとする故事が残っています。干ばつにも降雨にも増減しない「不増不減の水」と称され古来より霊水として、心の病・眼の病にことのほか霊験があると平安時代より今日まで親しまれています。
ここに来たのが8時30分頃、朝早く来ましたが、熱帯夜が続いておりこの時間でも暑いです。ただ、ここの霊水・・・本当に冷たかったです。
汗で全身びしょ濡れになっていたので、手を冷やすだけでも気持ち良かったです。何度も手を冷やさせてもらいました。また、堂内にはお地蔵さんが祀られてるようでした。
かつての大伽藍は、何処に行ったのでしょうね、面影はありません。それにしても朝から暑いです。熱中症の心配もあるので、次に目的地に行くことにしました。
ここには8時36分に出ました。次の目的地まで10分もかからないと思いますが、これ以上の散策はできません。何度も言いますが、それにしても朝から・・・暑い・・・です。
【大雲寺】