「別荘、別邸、旧宅 お得な3施設共通チケット」 史蹟岩倉具視幽棲旧宅へ
石座神社や大雲寺を散策したあと、実相院門跡の四脚門は閉まっています。その四脚門を背後に正面の道を東に進むと「岩倉公幽栖地」とかかれた道標が立っています。
上を見ると「岩倉具視幽棲旧宅 徒歩2分」と書かれた道標もあります。この時、8時46分・・・少し早く着きすぎるようです。
道標のとおり南に下がると、ここにも病院があってスタッフなど多くの人が行き来してます。その中を南に進み次に東に入ると、表門がありますが閉まっています。
少し早く着きすぎましたが、先日「別荘、別邸、旧宅 お得な3施設共通チケット」を買ったので、次に「史蹟岩倉具視幽棲旧宅」にやって来ました。
普段、表門は閉まっていますが、『明治150年特別企画 岩倉具視幽棲旧宅「坂本龍馬も通った正門から入ろう」』のイベント・・・7月16日(月・祝)、20日(金)、22日(日)では別途300円(要)で解放されたようです
。
こちらが拝観入口にあたる通用門です。8時49分に着きましたが、当然・・・開いてません。しかし、朝から猛烈に暑いので、ここで待つことにしました。
この日の空を見上げると、雲が無いんです。青空が広がっており、容赦ない日差しが降り注いでいます。この近くに小さな神社があったので、当初は行く予定にしてましたが、ここで動かず体力を温存することを選択した訳です。
通用門は、8時57分頃に開きましたが、「受付は9時からです」と案内がありました。ただ1分ぐらい前に受付はしてくれました。あまりにも暑いので、気を利かしてくれたのかなぁ・・・
。
受付で“共通チケット”を出しましたが、ここの入場料は300円でした。無鄰菴が300円、旧三井家下鴨別邸が410円で、合計1120円が1000円に、120円のお得です。それにキリン ソルティライチが一本付いてくるので、お得感があります・・・が、この夏は暑すぎです
。
受付で簡単な案内がありますが、まず入ると「茅葺の屋根が素敵な主屋」か「国の重要文化財の対岳文庫」に行くか、矢印が出ていますが、私は迷わず主屋に向かいました。
少しだけ階段を上がったら、茅葺きの主屋である「鄰雲軒」が正面に見えます。この写真を撮りたくて朝一番に来た次第です。
この主屋は庭側から上がれません。中門を入って「鄰雲軒」の玄関から上がります・・・とその前に、岩倉具視が、ここに来るまでの過程を復習です
。
岩倉具視は、幕末の騒乱の際、尊皇攘夷派の志士に命を狙われ、霊源寺、西芳寺を経て洛中からの追放令により、洛北岩倉村の藤屋藤五郎の廃屋を借りて幽棲します。この時、岩倉具視38歳でした。当初は現在の附属屋だけでしたが、岩倉具視は来客対応できるように主屋を増築し、約3年間、この旧宅で過ごすことになります。そして庭にある立派な松は「御手植の松」と呼ばれ、約150年の年月が経っている古木です。そして、その庭を作庭したのが7代目・小川治兵衛で晩年の作品と言えるでしょう。
外が暑いこともあって、この玄関から主屋の中に入りました。靴は玄関に置いたまま・・・他に誰も居ないので問題はありません
。
岩倉具視が増築した、主屋には式台、床の間、脇床を備えた部屋をこしらえ、床の間には掛け軸や花、香炉などで来客した志士達をもてなしたのでしょう
。
ここにはエアコンはありませんが、扇風機があったので使わせてもらいました
。部屋の中から見る“御手植の松”が綺麗に見えます。
扇風機で涼みながら、中庭を挟んで岩倉具視が来たときからある“附属屋”が見えています。次はそちらに向かいます。
附属屋も玄関から入りましたが、ここは上がることはできなくなっていました。内部の模様は、ここからと主屋から覗くしかありません。
この附属屋は、1864年(元治元年)11月、大工藤吉の居宅を購入して移り住んだ所です。その際に補修を行い梁行2間、桁行4間、屋根藁葺の建物に増築しています。現在は瓦葺きとなっていますが・・・。
ここの玄関には江戸から明治にかけての備品
が展示してあります。それぞれに説明文も付いてて・・・一つ一つ読まさせてもらいました
。
上から、「龍吐水(りゅうどすい)」江戸時代から明治時代にかけて用いられた消火用ポンプ。「竈」米を加熱する際に用いた調理用設備。京都では“おくどはん”と呼ばれています。「水屋箪笥」食器を収納するための棚。「水屋」と称される。「羽釜」炊飯や湯を沸かすために用いられた調理器具。「米櫃」御飯を炊く前の米などを入れて保管するための容器。
附属屋・・・ここも当初は茅葺きだったようですね、岩倉具視・・・私は、500円札の人・・・ぐらいしか知らなかったです
。
この「史蹟岩倉具視幽棲旧宅」は、8月12日(日)放送のNHK大河ドラマ『西郷どん』(第30回)で紹介されました。ここは、まだまだ見所はあるので後編に続きます
。
【史蹟岩倉具視幽棲旧宅 主屋】

上を見ると「岩倉具視幽棲旧宅 徒歩2分」と書かれた道標もあります。この時、8時46分・・・少し早く着きすぎるようです。
道標のとおり南に下がると、ここにも病院があってスタッフなど多くの人が行き来してます。その中を南に進み次に東に入ると、表門がありますが閉まっています。
少し早く着きすぎましたが、先日「別荘、別邸、旧宅 お得な3施設共通チケット」を買ったので、次に「史蹟岩倉具視幽棲旧宅」にやって来ました。
普段、表門は閉まっていますが、『明治150年特別企画 岩倉具視幽棲旧宅「坂本龍馬も通った正門から入ろう」』のイベント・・・7月16日(月・祝)、20日(金)、22日(日)では別途300円(要)で解放されたようです

こちらが拝観入口にあたる通用門です。8時49分に着きましたが、当然・・・開いてません。しかし、朝から猛烈に暑いので、ここで待つことにしました。
この日の空を見上げると、雲が無いんです。青空が広がっており、容赦ない日差しが降り注いでいます。この近くに小さな神社があったので、当初は行く予定にしてましたが、ここで動かず体力を温存することを選択した訳です。
通用門は、8時57分頃に開きましたが、「受付は9時からです」と案内がありました。ただ1分ぐらい前に受付はしてくれました。あまりにも暑いので、気を利かしてくれたのかなぁ・・・

受付で“共通チケット”を出しましたが、ここの入場料は300円でした。無鄰菴が300円、旧三井家下鴨別邸が410円で、合計1120円が1000円に、120円のお得です。それにキリン ソルティライチが一本付いてくるので、お得感があります・・・が、この夏は暑すぎです

受付で簡単な案内がありますが、まず入ると「茅葺の屋根が素敵な主屋」か「国の重要文化財の対岳文庫」に行くか、矢印が出ていますが、私は迷わず主屋に向かいました。
少しだけ階段を上がったら、茅葺きの主屋である「鄰雲軒」が正面に見えます。この写真を撮りたくて朝一番に来た次第です。
この主屋は庭側から上がれません。中門を入って「鄰雲軒」の玄関から上がります・・・とその前に、岩倉具視が、ここに来るまでの過程を復習です

岩倉具視は、幕末の騒乱の際、尊皇攘夷派の志士に命を狙われ、霊源寺、西芳寺を経て洛中からの追放令により、洛北岩倉村の藤屋藤五郎の廃屋を借りて幽棲します。この時、岩倉具視38歳でした。当初は現在の附属屋だけでしたが、岩倉具視は来客対応できるように主屋を増築し、約3年間、この旧宅で過ごすことになります。そして庭にある立派な松は「御手植の松」と呼ばれ、約150年の年月が経っている古木です。そして、その庭を作庭したのが7代目・小川治兵衛で晩年の作品と言えるでしょう。
外が暑いこともあって、この玄関から主屋の中に入りました。靴は玄関に置いたまま・・・他に誰も居ないので問題はありません

岩倉具視が増築した、主屋には式台、床の間、脇床を備えた部屋をこしらえ、床の間には掛け軸や花、香炉などで来客した志士達をもてなしたのでしょう

ここにはエアコンはありませんが、扇風機があったので使わせてもらいました

扇風機で涼みながら、中庭を挟んで岩倉具視が来たときからある“附属屋”が見えています。次はそちらに向かいます。
附属屋も玄関から入りましたが、ここは上がることはできなくなっていました。内部の模様は、ここからと主屋から覗くしかありません。
この附属屋は、1864年(元治元年)11月、大工藤吉の居宅を購入して移り住んだ所です。その際に補修を行い梁行2間、桁行4間、屋根藁葺の建物に増築しています。現在は瓦葺きとなっていますが・・・。
ここの玄関には江戸から明治にかけての備品



上から、「龍吐水(りゅうどすい)」江戸時代から明治時代にかけて用いられた消火用ポンプ。「竈」米を加熱する際に用いた調理用設備。京都では“おくどはん”と呼ばれています。「水屋箪笥」食器を収納するための棚。「水屋」と称される。「羽釜」炊飯や湯を沸かすために用いられた調理器具。「米櫃」御飯を炊く前の米などを入れて保管するための容器。
附属屋・・・ここも当初は茅葺きだったようですね、岩倉具視・・・私は、500円札の人・・・ぐらいしか知らなかったです

この「史蹟岩倉具視幽棲旧宅」は、8月12日(日)放送のNHK大河ドラマ『西郷どん』(第30回)で紹介されました。ここは、まだまだ見所はあるので後編に続きます

【史蹟岩倉具視幽棲旧宅 主屋】