岩倉具視が岩倉村に隠棲した「国指定史跡 岩倉具視幽棲旧宅」へ
「国指定史跡 岩倉具視幽棲旧宅」前編からの続き・・・附属屋を出て、今度は主屋の東側に向かいます。
附属屋を出たら中門に入る前、正面に正門が見えています。前編でも紹介したとおり、ここは常に閉まっています。
附属屋から中門を出て、主屋の前を通ります。この日は雲一つない晴天のため暑いです。そのためでしょうか私以外、誰も来られません。
この東側には、岩倉具視と槇子夫人の遺髪を収めたと言われる碑が立っています。案内文がありますが、碑文は拓本として後から行く、対岳文庫に展示されてるようです。
「岩倉村瘞髪碑(えいはつひ)」瘞髪碑とは「髪を埋めたことを記した碑」という意味で、ここに岩倉具視の遺髪が埋められています。
また、その北側には子息の岩倉 具定(いわくら ともさだ)、岩倉 具経(いわくら ともつね)の碑も建っています。
「瘞髪碑」の東側の奥に進みます。主屋(鄰雲軒)と附属屋の間には中庭があり、先ほど主屋から腰を下ろして見てました。
中庭には入れるので、附属屋の内部も見られます。こうして外から写真を撮りましたが、何もないですね。
附属屋の向かい・・・中庭から主屋の内部も見られます。なお、主屋も附属屋も、縁側に座ることはできません。
受付から主屋に通ずる階段下には池があります。帰りには庭師の方が手入れをされてましたが・・・この時間には誰も居ません。
再び、受付前まで戻り、次に国の登録有形文化財に指定されてる建物である「対岳文庫」に入ります。
ここは資料館となっており、最初の受付で「この内部だけ撮影禁止です」と案内されたので写真はありません。
なお、この建物を設計したのが、京都市庁舎本館も手掛けた建築家・武田五一(京都帝国大学教授)によるもので、1928年(昭和3年)に鉄筋コンクリート平屋建で造られたました。
岩倉具視関連の資料が展示されています。中はエアコンが効いてるので涼しかったのでゆっくり鑑賞させてもらいました。
出てくる時に、うっかり扉を閉めてしまいましたが・・・誰も来てないので問題ないでしょう。これで出て行くつもりでしたが、向かいの休憩所に「冷房中・・・」と書いてあったので寄って行くことにしました。
冷房の効いた部屋で、珈琲やお茶を無料でいただけるみたいですが、私は持参してきたポカリスエットで一服しました。
しばらく冷房で体を休ませて、ここを出ました。この日の最高気温は、38.9℃まで上がっていまいます。この時間でも充分、猛烈に暑かったです。出口に向かう途中に、ある句碑も見つけました。
昭和・平成の俳人、丸山海道「手植松 こゝに 岩倉踊 かな」。丸山佳子「万の蝉 維新文筥(ふばこ)に こゑをたむ」。
帰りの通用門は開いてます。ここには9時23分に出ました。内部は広くないので、これで充分です。
このあと、石座神社の駐車場に戻りますが、その前に岩倉に来たのにスルーできない寺院に寄って行きます。
【国指定史跡 岩倉具視幽棲旧宅 対岳文庫】
附属屋を出たら中門に入る前、正面に正門が見えています。前編でも紹介したとおり、ここは常に閉まっています。
附属屋から中門を出て、主屋の前を通ります。この日は雲一つない晴天のため暑いです。そのためでしょうか私以外、誰も来られません。
この東側には、岩倉具視と槇子夫人の遺髪を収めたと言われる碑が立っています。案内文がありますが、碑文は拓本として後から行く、対岳文庫に展示されてるようです。
「岩倉村瘞髪碑(えいはつひ)」瘞髪碑とは「髪を埋めたことを記した碑」という意味で、ここに岩倉具視の遺髪が埋められています。
また、その北側には子息の岩倉 具定(いわくら ともさだ)、岩倉 具経(いわくら ともつね)の碑も建っています。
「瘞髪碑」の東側の奥に進みます。主屋(鄰雲軒)と附属屋の間には中庭があり、先ほど主屋から腰を下ろして見てました。
中庭には入れるので、附属屋の内部も見られます。こうして外から写真を撮りましたが、何もないですね。
附属屋の向かい・・・中庭から主屋の内部も見られます。なお、主屋も附属屋も、縁側に座ることはできません。
受付から主屋に通ずる階段下には池があります。帰りには庭師の方が手入れをされてましたが・・・この時間には誰も居ません。
再び、受付前まで戻り、次に国の登録有形文化財に指定されてる建物である「対岳文庫」に入ります。
ここは資料館となっており、最初の受付で「この内部だけ撮影禁止です」と案内されたので写真はありません。
なお、この建物を設計したのが、京都市庁舎本館も手掛けた建築家・武田五一(京都帝国大学教授)によるもので、1928年(昭和3年)に鉄筋コンクリート平屋建で造られたました。
岩倉具視関連の資料が展示されています。中はエアコンが効いてるので涼しかったのでゆっくり鑑賞させてもらいました。
出てくる時に、うっかり扉を閉めてしまいましたが・・・誰も来てないので問題ないでしょう。これで出て行くつもりでしたが、向かいの休憩所に「冷房中・・・」と書いてあったので寄って行くことにしました。
冷房の効いた部屋で、珈琲やお茶を無料でいただけるみたいですが、私は持参してきたポカリスエットで一服しました。
しばらく冷房で体を休ませて、ここを出ました。この日の最高気温は、38.9℃まで上がっていまいます。この時間でも充分、猛烈に暑かったです。出口に向かう途中に、ある句碑も見つけました。
昭和・平成の俳人、丸山海道「手植松 こゝに 岩倉踊 かな」。丸山佳子「万の蝉 維新文筥(ふばこ)に こゑをたむ」。
帰りの通用門は開いてます。ここには9時23分に出ました。内部は広くないので、これで充分です。
このあと、石座神社の駐車場に戻りますが、その前に岩倉に来たのにスルーできない寺院に寄って行きます。
【国指定史跡 岩倉具視幽棲旧宅 対岳文庫】