第43回 京の夏の旅 文化財特別公開「旧邸御室」へ
8月23日(木)は台風20号の接近が予想されたので会社には大きい傘を持参しましたが、結局雨は一滴も降らず・・・折りたたみで充分でした。しかし、JRは15時頃から間引き運転を始め21時頃には最終になると発表してたので、会社からの命令により、通常より早く会社を早退することに。台風20号は徳島県南部に21時頃上陸し、24日午前0時前に兵庫県姫路市付近に再上陸。京都府内には午前0時から2時頃に最接近したと思います。深夜2時10分から4時10分の間に自治体が緊急速報を出したため、そのたびにスマホが鳴って起こされました。それで窓から外を見ると、猛烈な雨が降っています。風はそんなに強いとは思いませんでしたが・・・それでも夜が明けるとともに雨がやみました・・・がJRの各線は殆どが不通(運転見合わせ)。私は深夜に起こされたこともあって、いつも通りに起き朝食はいただいきましたが、睡魔が襲ってきて・・・結局10時過ぎまで寝てました。
そして8月24日(金)です。起きたら外は晴れてました。台風の影響も予想されたので、この日は外出の予定はしてませんでしたが、天気も回復したこともあって、前から考えていた所に行くことを急に思いつきました。それが第43回 京の夏の旅 文化財特別公開 旧邸御室(きゅうていおむろ)」です。今日なら、JRは動いてないし、見学者は少ないだろう・・・と思ったんですが・・・。
10時20分頃に家を車で出て、仁和寺前のコインパーキングに10時30分頃到着・・・これが失敗・・・早く着き過ぎたので・・・30分300円✕3=900円でした。これなら向かいの仁和寺駐車場・・・ここは500円・・・失敗した理由はこれです。
家を出るときから雨が降ってて、ここに着いた時も雨は降り続いています。11時から開門の予定ですが10時41分に着いてしまいました。
こんなに早く着いたので当然・・・一番乗り・・・と思いきや・・・二番目でした。開門は11時から早くて5分前と係の方が来られて案内してもらい椅子を用意してもらいました。
私は椅子には荷物を置いて待っていると、外が賑やかになりました。驚いたことに、台風が去ったこの日、団体さんが来られたんです。外が賑やかになったので再び係の方が来られて、「5分前にでしか開けられないので暫くお待ちください」と。
最初に来てた私を含めて3名は門内に入って雨はしのげます。しかし、後から来られた団体さん・・・後で知ったことですが二組の団体さんが来られてました・・・傘を差して待っています。雨は小降りですが、台風の余暇で風は結構強く吹いているので気の毒ですね。
そして時間が過ぎ、ようやく開門となりました。それにしても、ここはの開門は11時・・今年の夏の酷暑では11時は遅すぎます。
雨に濡れた石畳を進むと右手に玄関がありますが、受付は石畳を進んだ正面です。ここで見学料600円を払いパンフレットをいただきました。
この時間では、京都に出されていた大雨洪水警報は解除されてなかったと思います。台風20号は足早に日本海を北上、時折強い風が吹いているなか、靴を袋に入れ玄関を上がると、係の方より大広間に行くように案内されました。この大広間で最初の案内がありますが、その前に・・・。
今、SNS話題になっている、“この光景”。庭の緑が、一枚板のテーブルに綺麗に写り込む・・・まるで実相院門跡の床ミドリのように・・・。
ここから庭に降りられるし、何より、この広間で案内をされます。ガイドさんが庭とここにスタンバイされているので、中々人が写り込まない写真を撮るのが難しいと、一番乗り(実際は二番でしたが)で来る必要があったからです。
幸運だったことに、熱心に写真を撮っているのが、一番乗りの方と私ぐらい、お互いに譲り合いながら綺麗な写真が撮れました。
11時前になるとガイドさんの案内が大広間で始まりました。団体さんも一緒に聞かれてたので結構な人が大広間に集まりました。
旧邸御室は、数寄屋造りの邸宅で、1937年(昭和12年)に建てられたと言われてますが設計者などは不詳です。1969年(昭和44年)に(株)山三製材所社長・山本三夫氏(現オーナーの父)が大手酒造会社役員・四代目阿部喜兵衛氏より購入し住居として使用されました。昭和初期を代表する和風邸宅として、2016年(平成28年)11月に、国の登録有形文化財に指定されました。
余談ですが(ガイドさんが強調されたので)、四代目阿部喜兵衛氏の話が出ましたが、その祖父・二代目阿部喜兵衛氏は、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝氏をスコットランドに送り出した人物で、NHK連続テレビ小説「マッサン」では、西川きよしさんが演じてた人物です。
大広間は2間続きで二十二畳もあり、間の欄間には富士山が桐の木で掘られています。また床の間には日本画家・武藤彰(むとうあきら)画伯が描いた北山杉の掛け軸が架かっています。
武藤彰(むとうあきら)画伯は、岐阜県出身で、京都市立芸術大学 日本画科教授を勤めた人物、山本三夫氏と親交が深かったと言われています。テーブルは東南アジア原産のカリンの木が用いられていますが、社長の山本三夫氏が山三製材所を営んでいたため、このように大きな板を手に入れたのでしょう。また、「床の間」の一段高いところには琵琶を置いていたため、ここは琵琶床と呼ばれてました。
ガイドさんの話が終わると、後は自由です。最初の玄関に戻って、ここにもあった東南アジア原産のカリンの木で造られた“衝立”・・・この邸宅には、あと一つありますが、それは最後に。
玄関を入って直ぐの脇には「茶室」があります。真ん中には炉があって、ここにも武藤彰画伯の掛け軸が架かっています。(先ほどガイドさんより、この邸宅の絵は全て画伯のものと案内されました。)
大広間から中庭を見ています。右手が玄関脇の茶室、左手が洋間です。その奥に蔵が見えています。
洋間の天井を見上げると“花天井”が、これも武藤彰画伯が描いたようです。その画伯の絵画も展示してあったので鑑賞させてもらいました。
洋間の向かいが茶室で、その先が表門です。時間がたったので次から次へと見学者が入って来られます。
ガイドさんの話が終わったら直ぐにでも庭園に向かいたかったんですが、危険防止のため雨降りでは庭園に出られないと聞きました。それで大広間以外をウロウロ・・・中には売店もありました。
入口を入った左手には売店も用意されてました。あまり興味が無かったのでほぼスルーでしたが・・・それで大広間から庭を除いて見ると・・・雨が・・・。
その庭を素通りして、ガイドさんが言ってたことを思い出し風呂場に向かいます。「是非、見て欲しい」と言われたのは・・・。
この磨りガラスに掘られているのは、“保津川の筏下り”です。「一見の価値あり」と案内されたので来てみました。
材木会社を経営された山本三夫氏・・・材木は、保津川の筏下りで運ばれてきたのでしょう、そんな思いを感じました。次はお隣の部屋に移動です。
最初にガイドさんより「有料ですが“カフェ山三製材所”に寄って涼んでください」と案内されたので行ってみると・・・。
ここの前で声を掛けて貰い、どれにしようかと迷っていると・・・「これが一番人気なんですよ」と言われたので、迷わずそれにしました。
ここにも東南アジア原産のカリン木を使ったテーブルがありました。先ほどの大広間に劣らず綺麗です。
注文したのは「グリーンティ&お菓子セット」600円でした。部屋も冷えててお菓子も美味しくいただいて部屋を出ました。ここも“庭鏡”が綺麗ですので必見です。
雨が降っていたら危険な斜面を登ることができないと言われてたので気になっていましたが、どうも雨かはやんだようです。
庭には自分の靴に履き替えて降ります。そこにはガイドさんも居たので聞いてみると「狭いので気をつけて上がってください」と。どうやら大丈夫、行ってみます。
ここ旧邸御室は、2017年(平成29年)より、この大広間で落語会やピアガーデンを開いたり貸し出したりして活用されてる話を先ほどの案内で聞きました。団体さんは独自で、また案内を聞かれています。私は庭を見ると雨もやんでるようでしたので、ここから自分の靴で庭に降りることにしました。
庭に降りると、ガイドさんに確認して上に登ることに。ガイドさんも言ってたとおり、狭く急な石段は雨なら滑りやすいので危険でしょうね。
この庭は、国の名勝に指定されている「双ヶ丘(ならびがおか)」の斜面を借景に造られています。双ヶ丘は南北に並ぶ3つの丘からなり、北から順に一の丘(標高116㍍)、二の丘(標高102㍍)、三の丘(標高78㍍)と呼ばれ、ここでは一の丘の斜面を利用。この庭には社長の山本三夫氏の拘りがあって、「桜は散る」と言って縁起が悪いとかで、前あった桜も伐採し、ここには一本もありません。また石が好きだった社長の思いから、今は採石禁止となっている“鞍馬石”をふんだんに使用。また灯籠も15基、設置してあります。桜が無いので、ここでは椿や躑躅や馬酔木を楽しむことができるそうです。
急な石段を上がりきると、そこには茶室「双庵」が待ち受けてます。本当は庭の真ん中から上がっていくのでしょう、そこは立入禁止となっていました。
茶室「双庵」は全て開け放たれ内部を覗き見ることができました。躙り口からも覗いて見ましたよ。
ここまで上がって来られたのは雨が上がったから、本当に良かったです・・・が、台風20号は日本海を北上中のため、大変蒸し暑いです。で、次は四阿に向かいます。
前途したとおり庭園の中央から石橋を渡って、この四阿(茶室待合)まで登って来られますが、安全を考慮されたのでしょうか立入禁止でした。
四阿の前に蹲踞もあって、そこから見た茶室「双庵」です。茶道の作法は素人のため分かりませんが、ここで待ってから行くのかなぁ。
さて、ここまで上がって来たからには眺望ですよね、私も期待していたので次は後ろを振り返ります。
四阿から見ると、京都市で二番目に高い、愛宕山が見えています。その手前に大きなお堂があるので調べると、多分ですが西寿寺でしょう・・・多分。
眺望はそんなに綺麗に見えません。周りの木々邪魔して見えないからです。団体さんはまだ上がって来られませんが、こうしてゆっくりさせてもらいしまた。
雨で濡れた石階段を滑らないように注意し、ゆっくり降りました。どう見ても途中ですれ違えないので、今度津したらどうするのでしょう。
先ほど大広間でガイドさんから聞いた“鞍馬石”です。鞍馬で産出される褐色の閃緑岩(せんりょくがん)だそうですが、もう産出できないと聞きました。
ガイドさんの話では、以前は“池泉回遊式庭園”だったようで、池にも水が張られていたようですが、手入れが大変なこともあって、今は抜かれています。
池を渡る石橋も鞍馬石が使われています。ここから先は通行止めでしたが、ここから上がるとちょうど四阿にでます。この後も誰も庭に降りてこられませんが、私は大広間に戻りました。
実は、ここから前編でアップした“カフェ”に入って休憩したんです。休憩したら、やっと団体さんが添乗員さんに連れられた庭に降りて来られました。私は充分、ここで休憩したので、ここを出ることにしました。
ここには11時40分頃に出ました。この時間になると大広間の“庭鏡”・・・中々撮りにくくなっています。やっぱり人が多いのと、庭に降りて来られるので・・・。
帰りは、車を止めている仁和寺前まで戻りました。帰り道、仁和寺の仁王門を撮りましたが、いつもより観光客は少ないように思いました。私の目では外国人観光客しか居なかったように思いましたが・・・。
で、前途したとおり駐車料金は900円・・・昼間最大料金が900円・・・向かいの仁和寺駐車場に止めるべきでしたね、そうこう思いながら、今日はここだけで帰りました。
そして8月24日(金)です。起きたら外は晴れてました。台風の影響も予想されたので、この日は外出の予定はしてませんでしたが、天気も回復したこともあって、前から考えていた所に行くことを急に思いつきました。それが第43回 京の夏の旅 文化財特別公開 旧邸御室(きゅうていおむろ)」です。今日なら、JRは動いてないし、見学者は少ないだろう・・・と思ったんですが・・・。
10時20分頃に家を車で出て、仁和寺前のコインパーキングに10時30分頃到着・・・これが失敗・・・早く着き過ぎたので・・・30分300円✕3=900円でした。これなら向かいの仁和寺駐車場・・・ここは500円・・・失敗した理由はこれです。
家を出るときから雨が降ってて、ここに着いた時も雨は降り続いています。11時から開門の予定ですが10時41分に着いてしまいました。
こんなに早く着いたので当然・・・一番乗り・・・と思いきや・・・二番目でした。開門は11時から早くて5分前と係の方が来られて案内してもらい椅子を用意してもらいました。
私は椅子には荷物を置いて待っていると、外が賑やかになりました。驚いたことに、台風が去ったこの日、団体さんが来られたんです。外が賑やかになったので再び係の方が来られて、「5分前にでしか開けられないので暫くお待ちください」と。
最初に来てた私を含めて3名は門内に入って雨はしのげます。しかし、後から来られた団体さん・・・後で知ったことですが二組の団体さんが来られてました・・・傘を差して待っています。雨は小降りですが、台風の余暇で風は結構強く吹いているので気の毒ですね。
そして時間が過ぎ、ようやく開門となりました。それにしても、ここはの開門は11時・・今年の夏の酷暑では11時は遅すぎます。
雨に濡れた石畳を進むと右手に玄関がありますが、受付は石畳を進んだ正面です。ここで見学料600円を払いパンフレットをいただきました。
この時間では、京都に出されていた大雨洪水警報は解除されてなかったと思います。台風20号は足早に日本海を北上、時折強い風が吹いているなか、靴を袋に入れ玄関を上がると、係の方より大広間に行くように案内されました。この大広間で最初の案内がありますが、その前に・・・。
今、SNS話題になっている、“この光景”。庭の緑が、一枚板のテーブルに綺麗に写り込む・・・まるで実相院門跡の床ミドリのように・・・。
ここから庭に降りられるし、何より、この広間で案内をされます。ガイドさんが庭とここにスタンバイされているので、中々人が写り込まない写真を撮るのが難しいと、一番乗り(実際は二番でしたが)で来る必要があったからです。
幸運だったことに、熱心に写真を撮っているのが、一番乗りの方と私ぐらい、お互いに譲り合いながら綺麗な写真が撮れました。
11時前になるとガイドさんの案内が大広間で始まりました。団体さんも一緒に聞かれてたので結構な人が大広間に集まりました。
旧邸御室は、数寄屋造りの邸宅で、1937年(昭和12年)に建てられたと言われてますが設計者などは不詳です。1969年(昭和44年)に(株)山三製材所社長・山本三夫氏(現オーナーの父)が大手酒造会社役員・四代目阿部喜兵衛氏より購入し住居として使用されました。昭和初期を代表する和風邸宅として、2016年(平成28年)11月に、国の登録有形文化財に指定されました。
余談ですが(ガイドさんが強調されたので)、四代目阿部喜兵衛氏の話が出ましたが、その祖父・二代目阿部喜兵衛氏は、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝氏をスコットランドに送り出した人物で、NHK連続テレビ小説「マッサン」では、西川きよしさんが演じてた人物です。
大広間は2間続きで二十二畳もあり、間の欄間には富士山が桐の木で掘られています。また床の間には日本画家・武藤彰(むとうあきら)画伯が描いた北山杉の掛け軸が架かっています。
武藤彰(むとうあきら)画伯は、岐阜県出身で、京都市立芸術大学 日本画科教授を勤めた人物、山本三夫氏と親交が深かったと言われています。テーブルは東南アジア原産のカリンの木が用いられていますが、社長の山本三夫氏が山三製材所を営んでいたため、このように大きな板を手に入れたのでしょう。また、「床の間」の一段高いところには琵琶を置いていたため、ここは琵琶床と呼ばれてました。
ガイドさんの話が終わると、後は自由です。最初の玄関に戻って、ここにもあった東南アジア原産のカリンの木で造られた“衝立”・・・この邸宅には、あと一つありますが、それは最後に。
玄関を入って直ぐの脇には「茶室」があります。真ん中には炉があって、ここにも武藤彰画伯の掛け軸が架かっています。(先ほどガイドさんより、この邸宅の絵は全て画伯のものと案内されました。)
大広間から中庭を見ています。右手が玄関脇の茶室、左手が洋間です。その奥に蔵が見えています。
洋間の天井を見上げると“花天井”が、これも武藤彰画伯が描いたようです。その画伯の絵画も展示してあったので鑑賞させてもらいました。
洋間の向かいが茶室で、その先が表門です。時間がたったので次から次へと見学者が入って来られます。
ガイドさんの話が終わったら直ぐにでも庭園に向かいたかったんですが、危険防止のため雨降りでは庭園に出られないと聞きました。それで大広間以外をウロウロ・・・中には売店もありました。
入口を入った左手には売店も用意されてました。あまり興味が無かったのでほぼスルーでしたが・・・それで大広間から庭を除いて見ると・・・雨が・・・。
その庭を素通りして、ガイドさんが言ってたことを思い出し風呂場に向かいます。「是非、見て欲しい」と言われたのは・・・。
この磨りガラスに掘られているのは、“保津川の筏下り”です。「一見の価値あり」と案内されたので来てみました。
材木会社を経営された山本三夫氏・・・材木は、保津川の筏下りで運ばれてきたのでしょう、そんな思いを感じました。次はお隣の部屋に移動です。
最初にガイドさんより「有料ですが“カフェ山三製材所”に寄って涼んでください」と案内されたので行ってみると・・・。
ここの前で声を掛けて貰い、どれにしようかと迷っていると・・・「これが一番人気なんですよ」と言われたので、迷わずそれにしました。
ここにも東南アジア原産のカリン木を使ったテーブルがありました。先ほどの大広間に劣らず綺麗です。
注文したのは「グリーンティ&お菓子セット」600円でした。部屋も冷えててお菓子も美味しくいただいて部屋を出ました。ここも“庭鏡”が綺麗ですので必見です。
雨が降っていたら危険な斜面を登ることができないと言われてたので気になっていましたが、どうも雨かはやんだようです。
庭には自分の靴に履き替えて降ります。そこにはガイドさんも居たので聞いてみると「狭いので気をつけて上がってください」と。どうやら大丈夫、行ってみます。
ここ旧邸御室は、2017年(平成29年)より、この大広間で落語会やピアガーデンを開いたり貸し出したりして活用されてる話を先ほどの案内で聞きました。団体さんは独自で、また案内を聞かれています。私は庭を見ると雨もやんでるようでしたので、ここから自分の靴で庭に降りることにしました。
庭に降りると、ガイドさんに確認して上に登ることに。ガイドさんも言ってたとおり、狭く急な石段は雨なら滑りやすいので危険でしょうね。
この庭は、国の名勝に指定されている「双ヶ丘(ならびがおか)」の斜面を借景に造られています。双ヶ丘は南北に並ぶ3つの丘からなり、北から順に一の丘(標高116㍍)、二の丘(標高102㍍)、三の丘(標高78㍍)と呼ばれ、ここでは一の丘の斜面を利用。この庭には社長の山本三夫氏の拘りがあって、「桜は散る」と言って縁起が悪いとかで、前あった桜も伐採し、ここには一本もありません。また石が好きだった社長の思いから、今は採石禁止となっている“鞍馬石”をふんだんに使用。また灯籠も15基、設置してあります。桜が無いので、ここでは椿や躑躅や馬酔木を楽しむことができるそうです。
急な石段を上がりきると、そこには茶室「双庵」が待ち受けてます。本当は庭の真ん中から上がっていくのでしょう、そこは立入禁止となっていました。
茶室「双庵」は全て開け放たれ内部を覗き見ることができました。躙り口からも覗いて見ましたよ。
ここまで上がって来られたのは雨が上がったから、本当に良かったです・・・が、台風20号は日本海を北上中のため、大変蒸し暑いです。で、次は四阿に向かいます。
前途したとおり庭園の中央から石橋を渡って、この四阿(茶室待合)まで登って来られますが、安全を考慮されたのでしょうか立入禁止でした。
四阿の前に蹲踞もあって、そこから見た茶室「双庵」です。茶道の作法は素人のため分かりませんが、ここで待ってから行くのかなぁ。
さて、ここまで上がって来たからには眺望ですよね、私も期待していたので次は後ろを振り返ります。
四阿から見ると、京都市で二番目に高い、愛宕山が見えています。その手前に大きなお堂があるので調べると、多分ですが西寿寺でしょう・・・多分。
眺望はそんなに綺麗に見えません。周りの木々邪魔して見えないからです。団体さんはまだ上がって来られませんが、こうしてゆっくりさせてもらいしまた。
雨で濡れた石階段を滑らないように注意し、ゆっくり降りました。どう見ても途中ですれ違えないので、今度津したらどうするのでしょう。
先ほど大広間でガイドさんから聞いた“鞍馬石”です。鞍馬で産出される褐色の閃緑岩(せんりょくがん)だそうですが、もう産出できないと聞きました。
ガイドさんの話では、以前は“池泉回遊式庭園”だったようで、池にも水が張られていたようですが、手入れが大変なこともあって、今は抜かれています。
池を渡る石橋も鞍馬石が使われています。ここから先は通行止めでしたが、ここから上がるとちょうど四阿にでます。この後も誰も庭に降りてこられませんが、私は大広間に戻りました。
実は、ここから前編でアップした“カフェ”に入って休憩したんです。休憩したら、やっと団体さんが添乗員さんに連れられた庭に降りて来られました。私は充分、ここで休憩したので、ここを出ることにしました。
ここには11時40分頃に出ました。この時間になると大広間の“庭鏡”・・・中々撮りにくくなっています。やっぱり人が多いのと、庭に降りて来られるので・・・。
帰りは、車を止めている仁和寺前まで戻りました。帰り道、仁和寺の仁王門を撮りましたが、いつもより観光客は少ないように思いました。私の目では外国人観光客しか居なかったように思いましたが・・・。
で、前途したとおり駐車料金は900円・・・昼間最大料金が900円・・・向かいの仁和寺駐車場に止めるべきでしたね、そうこう思いながら、今日はここだけで帰りました。