「くじゃくみくじ」が話題の田中神社へ
京都市営出町駐車場を出て、河原町通りから今出川通りに入り、東大路通を北上します。そして田中里ノ前交差点を右折し、御蔭通りに入ってすぐの北側に鳥居が見えてきます。この日、2番目の訪問は田中神社です。
ここには9時50分に着きました。この鳥居の西側に北向きの道があるので、そこを入ると西側から境内に入れて、そこには参拝者用の駐車場もありました。
この神社を知ったのは2日前、それまでは存在すら知りませんでした。知ったのは京都新聞の記事で「京都市左京区の田中神社で、クジャクの卵の形を模した「くじゃくみくじ」が話題になり、全国から参拝者が訪れているという。」そんな内容の記事でした・・・。
一の鳥居をくぐって、真っ直ぐ北に参道が伸びているので、そのまま進みます。参拝者用の駐車場は境内の中程にあるので車で来た場合は、一の鳥居まで戻ることになります。
参道の奥に進むと何故か“石橋”が。そして右手に「弘安殿」と書かれた建物が・・・社務所では無いようです。さらに奥に進むと・・・。
その先に二の鳥居がありますが、左手前に手水舎がありました。ここのは勢いよく水が出てます。
そして二の鳥居です。ここまで来たら、たまたま宮司さんを見かけたので「朱印ありますか」と尋ねると・・・。
朱印はありましたが、朱印帳を車に置いたまま・・・鞄から出そうとしたら無かったので、焦りました。走って駐車場を往復・・・汗だくになりました。
朱印の他に、今話題になっていると京都新聞に載っていた“くじゃくみくじ”もいただきました。宮司さんに尋ねると「少なくなって、これだけですけど」と出された中から選びました。なお、余談ですが、ここには“由緒書き”もありました。
境内の中央には拝殿があります。朱印を書いてもらってる間に、いろいろ撮影させてもらいました。
書いていただいてる間、そんなに遠くには行けないので、社務所の近辺をウロウロ。その社務所の南側にあったのが「伊勢神宮遥拝所」がありました。
逆に、社務所の北側にあったのが「神饌所」です。今も使われているのかは分かりませんが・・・そう書いてありました。
御祭神として大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀り、摂社には稲田姫神社(稲田姫大神)・事代主神社(事代主大神)・倉稲魂神社(倉稲魂大神)・猿田彦神社(猿田彦大神)が祀られています。創建などは不詳ですが、863年(貞観5年)には「日本三代実録」に記載がある古社で、この付近はもと田中村と呼ばれる村がありましたが、その産土神として村民の信仰をあつめてきた神社であったようです。本殿及び拝殿は、賀茂御祖神社(下鴨神社)の式年遷宮の折に拝領されたもので、1628年(寛永5年)の造替に際し、比良木社の旧殿を寄附せられたものです。その社殿は、1706年(宝永3年)の田中村の火災により、社蔵の古文書と共に焼失してしまいましたが、その後再建された社殿及び拝殿には、三ツ葉丸葵の紋が付けられています。なお田中神社は全国の「田中」姓の祖であるとも言われています。
その神饌所の奥には末社「玉柳稲荷社」です。1892年(明治25年)に、氏子の要望によって建立されたものだそうです。
こちらが本殿です。前途した摂社は、この中にあるようですが、近くで見られないので詳細は不明です。
その先・・・北に向いて歩いていくと北鳥居があったので、境外に出てみました。この先に叡山電鉄「元田中駅」はあるようです。
これで駐車場に戻る途中に、大きな鳥籠があって、事前に知っていましたが孔雀が居ました。
何故・・・田中神社に孔雀が・・・と思いましたが、由緒書きにも書いて無いので分かりません。できたら羽を広げて欲しかった・・・です。
“狛犬”は御蔭通りに面して鎮座しています。何故か、ここの狛犬の口にはボールが入っています。無理に入れたのか、偶然なのか・・・。
田中神社には、10時5分に出て行きました。私が居た間に誰も参拝に来られません。ただ境内は駐車場になっているので車の行き来はありましたが・・・次は岩倉に向かいます。
【田中神社】
ここには9時50分に着きました。この鳥居の西側に北向きの道があるので、そこを入ると西側から境内に入れて、そこには参拝者用の駐車場もありました。
この神社を知ったのは2日前、それまでは存在すら知りませんでした。知ったのは京都新聞の記事で「京都市左京区の田中神社で、クジャクの卵の形を模した「くじゃくみくじ」が話題になり、全国から参拝者が訪れているという。」そんな内容の記事でした・・・。
一の鳥居をくぐって、真っ直ぐ北に参道が伸びているので、そのまま進みます。参拝者用の駐車場は境内の中程にあるので車で来た場合は、一の鳥居まで戻ることになります。
参道の奥に進むと何故か“石橋”が。そして右手に「弘安殿」と書かれた建物が・・・社務所では無いようです。さらに奥に進むと・・・。
その先に二の鳥居がありますが、左手前に手水舎がありました。ここのは勢いよく水が出てます。
そして二の鳥居です。ここまで来たら、たまたま宮司さんを見かけたので「朱印ありますか」と尋ねると・・・。
朱印はありましたが、朱印帳を車に置いたまま・・・鞄から出そうとしたら無かったので、焦りました。走って駐車場を往復・・・汗だくになりました。
朱印の他に、今話題になっていると京都新聞に載っていた“くじゃくみくじ”もいただきました。宮司さんに尋ねると「少なくなって、これだけですけど」と出された中から選びました。なお、余談ですが、ここには“由緒書き”もありました。
境内の中央には拝殿があります。朱印を書いてもらってる間に、いろいろ撮影させてもらいました。
書いていただいてる間、そんなに遠くには行けないので、社務所の近辺をウロウロ。その社務所の南側にあったのが「伊勢神宮遥拝所」がありました。
逆に、社務所の北側にあったのが「神饌所」です。今も使われているのかは分かりませんが・・・そう書いてありました。
御祭神として大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀り、摂社には稲田姫神社(稲田姫大神)・事代主神社(事代主大神)・倉稲魂神社(倉稲魂大神)・猿田彦神社(猿田彦大神)が祀られています。創建などは不詳ですが、863年(貞観5年)には「日本三代実録」に記載がある古社で、この付近はもと田中村と呼ばれる村がありましたが、その産土神として村民の信仰をあつめてきた神社であったようです。本殿及び拝殿は、賀茂御祖神社(下鴨神社)の式年遷宮の折に拝領されたもので、1628年(寛永5年)の造替に際し、比良木社の旧殿を寄附せられたものです。その社殿は、1706年(宝永3年)の田中村の火災により、社蔵の古文書と共に焼失してしまいましたが、その後再建された社殿及び拝殿には、三ツ葉丸葵の紋が付けられています。なお田中神社は全国の「田中」姓の祖であるとも言われています。
その神饌所の奥には末社「玉柳稲荷社」です。1892年(明治25年)に、氏子の要望によって建立されたものだそうです。
こちらが本殿です。前途した摂社は、この中にあるようですが、近くで見られないので詳細は不明です。
その先・・・北に向いて歩いていくと北鳥居があったので、境外に出てみました。この先に叡山電鉄「元田中駅」はあるようです。
これで駐車場に戻る途中に、大きな鳥籠があって、事前に知っていましたが孔雀が居ました。
何故・・・田中神社に孔雀が・・・と思いましたが、由緒書きにも書いて無いので分かりません。できたら羽を広げて欲しかった・・・です。
“狛犬”は御蔭通りに面して鎮座しています。何故か、ここの狛犬の口にはボールが入っています。無理に入れたのか、偶然なのか・・・。
田中神社には、10時5分に出て行きました。私が居た間に誰も参拝に来られません。ただ境内は駐車場になっているので車の行き来はありましたが・・・次は岩倉に向かいます。
【田中神社】