岩倉具視公旧蹟 九兵衛宅址
田中神社を出て御蔭通りを東に進むと白川通に出で、その白川通を北上します。このコースは8月16日に通ったのでナビは不要です。道なりに北上すると京都バス「花園バス停」前に「鎮宅妙見道 道標」があるので、そのまま北上します。京都バスは岩倉実相院に向かうので西に進みますが、北上する道は狭いのでバスは通れません。
暫く注意深く北上し、ある住宅の前で止まります。行き過ぎたら仕方ない・・・と思いつつ向かった先には石碑が立っていて「岩倉具視公旧蹟 九兵衛宅址」と書かれています。
ここには10時20分に着いて、写真だけ撮って直ぐに出たので、滞在30秒ぐらいでしょう。住宅の前に、何気なく石碑が立っているので、引いては撮れないですね。
また、石碑の横には「九兵衛ハ公ノ乳父ナリ公ノ岩倉村ニ潜ムヤ屡此ニ往来シテ難ヲ避ク」と書かれています。1939年(昭和14年)岩倉公旧蹟保存会によって建てられました。
次に行く目的地の途中に、地図を見ていて偶然・・・石碑を見付けました。先般「岩倉具視幽棲旧宅」に行きましたが、ここから約1.5㌔、歩いて約20分ぐらいでしょう。
岩倉具視(1825~1883)は子供の頃、岩倉村に住んでました。九兵衛は具視の乳父(めのと)で、具視が幕末の騒乱の際、命の危険が迫り再び岩倉村に幽棲することとなります。その幽棲した住居から折を見てよく九兵衛宅を訪ねたと言われています。この石碑は、九兵衛の邸宅跡を示すものです。
住宅街のため車の往来は殆どあませんが、次の目的地に向け急いで車を走らせました。
【岩倉具視公旧蹟 九兵衛宅址】
暫く注意深く北上し、ある住宅の前で止まります。行き過ぎたら仕方ない・・・と思いつつ向かった先には石碑が立っていて「岩倉具視公旧蹟 九兵衛宅址」と書かれています。
ここには10時20分に着いて、写真だけ撮って直ぐに出たので、滞在30秒ぐらいでしょう。住宅の前に、何気なく石碑が立っているので、引いては撮れないですね。
また、石碑の横には「九兵衛ハ公ノ乳父ナリ公ノ岩倉村ニ潜ムヤ屡此ニ往来シテ難ヲ避ク」と書かれています。1939年(昭和14年)岩倉公旧蹟保存会によって建てられました。
次に行く目的地の途中に、地図を見ていて偶然・・・石碑を見付けました。先般「岩倉具視幽棲旧宅」に行きましたが、ここから約1.5㌔、歩いて約20分ぐらいでしょう。
岩倉具視(1825~1883)は子供の頃、岩倉村に住んでました。九兵衛は具視の乳父(めのと)で、具視が幕末の騒乱の際、命の危険が迫り再び岩倉村に幽棲することとなります。その幽棲した住居から折を見てよく九兵衛宅を訪ねたと言われています。この石碑は、九兵衛の邸宅跡を示すものです。
住宅街のため車の往来は殆どあませんが、次の目的地に向け急いで車を走らせました。
【岩倉具視公旧蹟 九兵衛宅址】