海の舞鶴市を行く 大庄屋上野家へ
京都府北部にある舞鶴市は海上自衛隊 舞鶴地方隊があり、海上自衛隊マニアの2人とレトロ建築好きの私・・・計3名で、舞鶴を散策することになりました。
9月2日(日)に行くことになったんですけど、これは訳があるから・・・その訳は・・・その時に。車は友人が出してくれて、住んでる所もパラパラの三人は京都市内で集まり、国道9号線から沓掛I.Cで京都縦貫自動車道に入り、一路北上します。途中の由良川PAで休憩したあと、舞鶴大江I.Cから一般道に降りました。そして約5分・・・ようやく最初の目的地に着きました「大庄屋上野家」です。
ここには9時19分に着きました。京都市内を8時過ぎに出たのでほぼ予定どおりでしょう。ここは私がリクエストしまものです。
この主屋、茅葺で合掌組となってるそうです。この風景・・・良いですね、遠路リクエストして連れてきて貰ったんですけど、本当に良かったです。
ここは8時30分から入れるとHPで確認してました。主屋には“おくどさん”もあります。また、見上げると合掌組の意味が分かります。
ここでは11時から完全予約制ですがランチタイムを、14時からカフェタイムとなります。この時間ではまだ開いてなかったです。
ここは私のリクエストで来ましたが、他の2名も興味を持ってくれたようで、熱心に見て回ってます。次は長屋です。
ここのスタッフの方は、地元の方でしょうね、すごく愛想がよく、この長屋も「見て行って」と案内されたので入ってみると・・・。
そこは「長屋二階展示室」でした。ここの宗家が京都政界の大物だったことから、近世・近代の地方文書を展示されてるようです。
1階は地元の物産品を販売されていますが、これから何カ所か回るので見てるだけ・・・と、そこで「大庄屋上野家のパンフレット」をいただきました。また、主屋の北側には土蔵があって、こちらも内部を公開されています。
蔵の中では、「森の妖精}の題し展覧会をされていました。せっかく来たので入って見せてもらいました。
こちらの蔵では「蔵の小さな本箱」と題して、図書館のような・・・そんな雰囲気を受けました。
主屋から中門をくぐると、そこには庭園があって、スタッフの方が庭の手入れをされてました。「先の台風20号の強風で枝が折れて・・・」と話されましたが・・・。
この時、台風21号が南海上を日本に向けて北上中でした。9月4日に最接近したかと思いますが、また被害受けられたのかどうか・・・分かりませんが・・・。
先に紹介したとおり、ここで完全予約制ですがランチタイムの時、食事ができるみたいです。中に上がれたどうか分かりませんが、外から写真だけ撮りました。
3人とも行動はバラパラで、好きなところをみて、スタッフの方に話しを聞いてみて、写真を撮って、それぞれ楽しみました。
ここには9時32分に出て行きました。このような田舎の茅葺きの民家に連れて来てもらった友人には感謝しかありません。
大庄屋上野家は江戸時代後期の建築で、1844年(天保15年)と1846年(弘化3年)の年代が入っている鬼瓦が使われているので、その頃に建てられたと推定されています。主屋を中心に長屋、マヤ、土蔵群からなり屋敷の正面から東側にかけて長大な塀を巡らしています。庭園は客人をもてなす格式を備えた書院庭園で、庭内は散策できるようになっています。上野家は初代・上野宗信が室町時代に伊賀国から丹波国加佐郡岡田庄西方寺村に移り住んだのが始まりで、1810年(文化7年)に9代・上野宗永の時、田辺藩から由良川流域14ヶ村の庄屋をとりまとめる大庄屋に任命され、以後の当主は「彌一郎」を名乗りました。
次は私がリクエストしてませんが、神社だそうです。ここに来て初めて聞いた舞鶴の神社に向かいます。
【大庄屋上野家】
9月2日(日)に行くことになったんですけど、これは訳があるから・・・その訳は・・・その時に。車は友人が出してくれて、住んでる所もパラパラの三人は京都市内で集まり、国道9号線から沓掛I.Cで京都縦貫自動車道に入り、一路北上します。途中の由良川PAで休憩したあと、舞鶴大江I.Cから一般道に降りました。そして約5分・・・ようやく最初の目的地に着きました「大庄屋上野家」です。
ここには9時19分に着きました。京都市内を8時過ぎに出たのでほぼ予定どおりでしょう。ここは私がリクエストしまものです。
この主屋、茅葺で合掌組となってるそうです。この風景・・・良いですね、遠路リクエストして連れてきて貰ったんですけど、本当に良かったです。
ここは8時30分から入れるとHPで確認してました。主屋には“おくどさん”もあります。また、見上げると合掌組の意味が分かります。
ここでは11時から完全予約制ですがランチタイムを、14時からカフェタイムとなります。この時間ではまだ開いてなかったです。
ここは私のリクエストで来ましたが、他の2名も興味を持ってくれたようで、熱心に見て回ってます。次は長屋です。
ここのスタッフの方は、地元の方でしょうね、すごく愛想がよく、この長屋も「見て行って」と案内されたので入ってみると・・・。
そこは「長屋二階展示室」でした。ここの宗家が京都政界の大物だったことから、近世・近代の地方文書を展示されてるようです。
1階は地元の物産品を販売されていますが、これから何カ所か回るので見てるだけ・・・と、そこで「大庄屋上野家のパンフレット」をいただきました。また、主屋の北側には土蔵があって、こちらも内部を公開されています。
蔵の中では、「森の妖精}の題し展覧会をされていました。せっかく来たので入って見せてもらいました。
こちらの蔵では「蔵の小さな本箱」と題して、図書館のような・・・そんな雰囲気を受けました。
主屋から中門をくぐると、そこには庭園があって、スタッフの方が庭の手入れをされてました。「先の台風20号の強風で枝が折れて・・・」と話されましたが・・・。
この時、台風21号が南海上を日本に向けて北上中でした。9月4日に最接近したかと思いますが、また被害受けられたのかどうか・・・分かりませんが・・・。
先に紹介したとおり、ここで完全予約制ですがランチタイムの時、食事ができるみたいです。中に上がれたどうか分かりませんが、外から写真だけ撮りました。
3人とも行動はバラパラで、好きなところをみて、スタッフの方に話しを聞いてみて、写真を撮って、それぞれ楽しみました。
ここには9時32分に出て行きました。このような田舎の茅葺きの民家に連れて来てもらった友人には感謝しかありません。
大庄屋上野家は江戸時代後期の建築で、1844年(天保15年)と1846年(弘化3年)の年代が入っている鬼瓦が使われているので、その頃に建てられたと推定されています。主屋を中心に長屋、マヤ、土蔵群からなり屋敷の正面から東側にかけて長大な塀を巡らしています。庭園は客人をもてなす格式を備えた書院庭園で、庭内は散策できるようになっています。上野家は初代・上野宗信が室町時代に伊賀国から丹波国加佐郡岡田庄西方寺村に移り住んだのが始まりで、1810年(文化7年)に9代・上野宗永の時、田辺藩から由良川流域14ヶ村の庄屋をとりまとめる大庄屋に任命され、以後の当主は「彌一郎」を名乗りました。
次は私がリクエストしてませんが、神社だそうです。ここに来て初めて聞いた舞鶴の神社に向かいます。
【大庄屋上野家】