海の舞鶴市を行く 舞鶴地方総監部会議所「東郷邸」へ
大川神社を出て、暫くすると舞鶴湾・・・海が見えて来ます。そして次の目的・・・「東郷邸」の近くまで来ると、遠くにイージス艦も見えて来ます。軍艦好きにはたまらないのでしょう、2人のテンションが上がっているのが、私にも伝わってきました
。
舞鶴地方総監部会議所「東郷邸」の近くまで来ると、小さいですが看板も出ているので迷うことはないでしょう・・・ただ少し入り組んだ所ですが・・・10時30分に駐車場に入れ、向かいました。
ここには10時に着きたかった・・・のが本音です。10時開館で、既に30分も過ぎているので、人が多いだろう・・・な・・・と思いつつ門を入ると・・・。
来る前は万の前に受付があるのかなぁ・・・と思いましたが、そのまま飛び石を進んで行きます。飛び石を降りると、すごく歩きにくいです。
私は、初めて自衛隊の施設に入ります・・・ので少々緊張気味です
。白い洋館を回り込むように歩いて行くと、玄関に出ます。ここにテントを設置され受付をされてました。
受付で「見学に来ました」と申し上げると、パンフレットをいただいて中に入ります。手荷物検査など何も無いんですね、受付の方より、「歴代の司令長官の名前が書いてあるので見て行って」と言われて写真を撮りました。初代はもちろん東郷平八郎海軍中将です。
この舞鶴地方総監部会議所は、1901年(明治34年)10月1日に舞鶴鎮守府が開庁され、東郷平八郎海軍中将(当時55歳)が初代司令長官に赴任し、1903年(明治36年)10月19日常備艦隊司令長官になられるまでの2年間にわたり過ごされた官邸です。以来、歴代長官の官邸として大東亜戦争終戦時まで使用されました。1953年(昭和28年)に海上自衛隊に移管され、総監部では旧海軍の遺跡としてこの邸の保守管理に努められています。
洋館の入口に置いてあった「帽子台」です。皇族方が海軍士官学校の卒業式などで使用されたものだそうです。
最初の部屋です。ここには「司令長官用机」があって、1901年(明治34年)10月1日に初代舞鶴鎮守府司令長官 東郷平八郎海軍中将が最初に使用したもので、以降歴代司令長官が使用した机だそうです。
私が想像していたことと違い来館者は少ないです。写真も自由に撮れました
。洋館から外を見ると綺麗な庭が見えましたが、降りられないのかなぁ・・・
。
次の部屋は「応接間」でしょう。このテーブルには“日本海戦”の資料が展示してありました。ただ、ここでは休憩はできません
。
次の部屋は天窓があれば“サンルーフ”でしょう。しかし、窓が広いので大変明るいです。ここでは“歴代の司令長官の写真”がありました。
ここは私がリクエストしたものです。ただ同行の2人も興味深く見てくれて、良かったです
。ここから洋館から和室に変わります。
洋館から、いきなり大広間に出ます。ここでは会議でもされたのでしょうね、床の間の掛け軸は“東郷平八郎海軍中将の書”でしょうか
。
最後は離れにある書斎です。ここで初めて、この東郷邸でガイドさんに会いましたし、そのガイドさんの話を聞いてる先客とも、ここで初めて出会いました。
この書斎から、少しみにくいと思いますが“一心池”が見えます。この書斎から東郷平八郎海軍中将は、風雲急を告げる日露情勢に国の将来を考えたのでしょう。
ここでガイドさんの話を、ほんの少しだけ聞き耳を立てて聞いてました。ここに来ても3人はバラバラで見学です。私は庭に降りられるか探りましたが・・・。
玄関から洋館を回り込んで表門まで戻る途中に、庭が見えるスペースを見付けました。残念ながら結界があって、やっぱり庭には入れません・・・でした・・・残念。
この門を10時47分に出ました。軍艦マニアの2人も興味深く見てくれて良かったです。次は海軍記念館か桟橋です。
この「東郷邸」の公開は、毎月第一日曜日だけです。今月は9月2日の日曜日だけでした。そのため、この日に舞鶴の訪問が決まったんです。やっぱり天気は気になりましたが、夕方から雨の予報が、でもここまで天気が持ってくれました
。
【東郷邸】


舞鶴地方総監部会議所「東郷邸」の近くまで来ると、小さいですが看板も出ているので迷うことはないでしょう・・・ただ少し入り組んだ所ですが・・・10時30分に駐車場に入れ、向かいました。
ここには10時に着きたかった・・・のが本音です。10時開館で、既に30分も過ぎているので、人が多いだろう・・・な・・・と思いつつ門を入ると・・・。
来る前は万の前に受付があるのかなぁ・・・と思いましたが、そのまま飛び石を進んで行きます。飛び石を降りると、すごく歩きにくいです。
私は、初めて自衛隊の施設に入ります・・・ので少々緊張気味です

受付で「見学に来ました」と申し上げると、パンフレットをいただいて中に入ります。手荷物検査など何も無いんですね、受付の方より、「歴代の司令長官の名前が書いてあるので見て行って」と言われて写真を撮りました。初代はもちろん東郷平八郎海軍中将です。
この舞鶴地方総監部会議所は、1901年(明治34年)10月1日に舞鶴鎮守府が開庁され、東郷平八郎海軍中将(当時55歳)が初代司令長官に赴任し、1903年(明治36年)10月19日常備艦隊司令長官になられるまでの2年間にわたり過ごされた官邸です。以来、歴代長官の官邸として大東亜戦争終戦時まで使用されました。1953年(昭和28年)に海上自衛隊に移管され、総監部では旧海軍の遺跡としてこの邸の保守管理に努められています。
洋館の入口に置いてあった「帽子台」です。皇族方が海軍士官学校の卒業式などで使用されたものだそうです。
最初の部屋です。ここには「司令長官用机」があって、1901年(明治34年)10月1日に初代舞鶴鎮守府司令長官 東郷平八郎海軍中将が最初に使用したもので、以降歴代司令長官が使用した机だそうです。
私が想像していたことと違い来館者は少ないです。写真も自由に撮れました


次の部屋は「応接間」でしょう。このテーブルには“日本海戦”の資料が展示してありました。ただ、ここでは休憩はできません

次の部屋は天窓があれば“サンルーフ”でしょう。しかし、窓が広いので大変明るいです。ここでは“歴代の司令長官の写真”がありました。
ここは私がリクエストしたものです。ただ同行の2人も興味深く見てくれて、良かったです

洋館から、いきなり大広間に出ます。ここでは会議でもされたのでしょうね、床の間の掛け軸は“東郷平八郎海軍中将の書”でしょうか

最後は離れにある書斎です。ここで初めて、この東郷邸でガイドさんに会いましたし、そのガイドさんの話を聞いてる先客とも、ここで初めて出会いました。
この書斎から、少しみにくいと思いますが“一心池”が見えます。この書斎から東郷平八郎海軍中将は、風雲急を告げる日露情勢に国の将来を考えたのでしょう。
ここでガイドさんの話を、ほんの少しだけ聞き耳を立てて聞いてました。ここに来ても3人はバラバラで見学です。私は庭に降りられるか探りましたが・・・。
玄関から洋館を回り込んで表門まで戻る途中に、庭が見えるスペースを見付けました。残念ながら結界があって、やっぱり庭には入れません・・・でした・・・残念。
この門を10時47分に出ました。軍艦マニアの2人も興味深く見てくれて良かったです。次は海軍記念館か桟橋です。
この「東郷邸」の公開は、毎月第一日曜日だけです。今月は9月2日の日曜日だけでした。そのため、この日に舞鶴の訪問が決まったんです。やっぱり天気は気になりましたが、夕方から雨の予報が、でもここまで天気が持ってくれました

【東郷邸】