第43回 京の夏の旅 文化財特別公開 長楽館へ
雨が降る中、大谷祖廟で墓参りを済ませ、ゆっくりゆっくり歩いて長楽館には9時50分少し過ぎに着きました。
長楽館では8月8日~9月30日まで、ここの最上階にある「御成の間」(おなりのま)が特別公開されたので、やって来ました。
第43回 京の夏の旅 文化財特別公開 長楽館「御成の間」が公開中ですが、ここは休館日が多くて、来るのにチェックが必須でした。この21日(金)は公開ですが、22日(土)は見学中止など。そして、ここで衝撃な事実を目にします・・・数十名の団体さんが長楽館に入って行かれます・・・せっかく一番を目指して来たのに・・・残念の一言です
。
団体さんは50分頃に入られましたが、私は少し待たされました。でも傘を差して待っていたこともあって、9時55分には受付してもらいました。
見学料600円を払いチケットを貰います。そして受付の方より「チケットは2階で半券を切られるので、そのままお持ちください」そして「傘もそのまま2階までお持ちください」と、案内されました。
玄関を入ると、傘を袋に入れます。これは自動で袋に入るので、すごく楽です。ここらは2012年(平成24年)1月7日に来ていますが、久しぶりの訪問です。先ずは「迎賓の間」から入ります。
ドアが開いていたので、入って写真を撮ったら、すぐに追い出されました。何か分かりませんが使用中だったようです。帰りには扉はしっかり閉められてました。
以前は、ここで珈琲やジュースが飲めましたが今は“ブティックスペース”となっている「サンルーフ」です。床はイスラム風の幾何学模様、壁のリレーフはイスラムのモスクです。
1階の奥が「食堂の間」です。イギリス・ヴィクトリア調のネオ・クラシック様式。天井には、豪華なシャンデリアもあって現在は“フレンチレストラン ル シェーヌ”として営業されています。
1階の最後が「書斎の間」です。文字通り旧書斎として使用されてました。現在は重厚な書棚をワイン棚として使用されています。
なお、「書斎の間」「食堂の間」は、今回は入っていません。現在は変わっているかも・・・です。
ここは「ホール&階段室」で、帰りに、ここに座って休憩しました。そこで見上げたら「長楽館」と書かれた扁額・・・伊藤博文によるものです。
明治の元勲・伊藤博文公は、1909年(明治42年)に、木戸孝允(桂小五郎)の墓参りに来られた時に、ここに宿泊されました。その時に「この館に遊ばば、其の楽しみやけだし長(とこし)へなり」と詠んだといいます。それにちなんで「長楽館」と名付けられました。
この階段を上がると途中にパルコニー風に半円形に張り出しがあります。そこから正面に「球戯の間」と呼ばれる部屋があるので入ってみました。
以前、ここで珈琲をいただきました。元はビリヤード台が置かれてました。大理石の洗面台は、当時のまま残っています。
では2階に上がります。2階から3階に上がる所に受付があって、そこでチケットの半券を切られ靴を脱いで上がりますが、前途したとおり50数名の団体さんが入られたので、「今は御成の間は入れないので、少し待たれた方が良いですよ」と案内されたので先に「喫茶の間」に入りました。
元は喫茶スペースで、現在はカフェスペースで使用。当時の喫茶時に使用された螺鈿の椅子は京都市指定有形文化財です。
3階への受付がある向かいの部屋が「旧回廊」です。この日は中には入れませんでした。
元のバルコニー。当時は全面に開放されていたように壁が無く、屋外に面してました。
こちらは「美術の間」で、元の美術品陳列部屋として使用されてました。現在は、カフェスペースとして使われいます。
当時は数々のコレクションが展示されていたようです。部屋の“紫陽花の絵”は中村白玲(なかむらはくれい)画伯のもの。
次に「接遇の間」に移動しました。元はゲストルームで、現在はカフェペースに利用されています。
英国王室御用達のメープル社製の姿見付きの家具など京都市指定有形文化財の調度品が展示されていました。
そして次に「貴婦人の間」です。マントルピースや壁面の鏡がクラシックな雰囲気がある部屋です。
村井吉兵衛の妻・宇野子が過ごした部屋だそうで、格調高い雰囲気を漂わせています。
あと、「鳳凰の間」が残っています。しかし、この日は入れなかったのかどうか・・・この日は入っていません。それで前回の写真を使います
。
当時、国内外の賓客のためゲストルームとして使用されていた。西と南、2面の大きな窓から自然光が注ぎ、明るい雰囲気に包まれた一室でした。
次回は、3階へ上がって「御成の間」に向かいます。1階と2階は2012年(平成24年)1月7日と、今回との写真を合わせ技
で使用・・・しかし、ここまでは普段でも見られます(見学だけの入館は不可)。さて、3階は・・・
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【長楽館】

長楽館では8月8日~9月30日まで、ここの最上階にある「御成の間」(おなりのま)が特別公開されたので、やって来ました。
第43回 京の夏の旅 文化財特別公開 長楽館「御成の間」が公開中ですが、ここは休館日が多くて、来るのにチェックが必須でした。この21日(金)は公開ですが、22日(土)は見学中止など。そして、ここで衝撃な事実を目にします・・・数十名の団体さんが長楽館に入って行かれます・・・せっかく一番を目指して来たのに・・・残念の一言です

団体さんは50分頃に入られましたが、私は少し待たされました。でも傘を差して待っていたこともあって、9時55分には受付してもらいました。
見学料600円を払いチケットを貰います。そして受付の方より「チケットは2階で半券を切られるので、そのままお持ちください」そして「傘もそのまま2階までお持ちください」と、案内されました。
玄関を入ると、傘を袋に入れます。これは自動で袋に入るので、すごく楽です。ここらは2012年(平成24年)1月7日に来ていますが、久しぶりの訪問です。先ずは「迎賓の間」から入ります。
ドアが開いていたので、入って写真を撮ったら、すぐに追い出されました。何か分かりませんが使用中だったようです。帰りには扉はしっかり閉められてました。
以前は、ここで珈琲やジュースが飲めましたが今は“ブティックスペース”となっている「サンルーフ」です。床はイスラム風の幾何学模様、壁のリレーフはイスラムのモスクです。
1階の奥が「食堂の間」です。イギリス・ヴィクトリア調のネオ・クラシック様式。天井には、豪華なシャンデリアもあって現在は“フレンチレストラン ル シェーヌ”として営業されています。
1階の最後が「書斎の間」です。文字通り旧書斎として使用されてました。現在は重厚な書棚をワイン棚として使用されています。
なお、「書斎の間」「食堂の間」は、今回は入っていません。現在は変わっているかも・・・です。
ここは「ホール&階段室」で、帰りに、ここに座って休憩しました。そこで見上げたら「長楽館」と書かれた扁額・・・伊藤博文によるものです。
明治の元勲・伊藤博文公は、1909年(明治42年)に、木戸孝允(桂小五郎)の墓参りに来られた時に、ここに宿泊されました。その時に「この館に遊ばば、其の楽しみやけだし長(とこし)へなり」と詠んだといいます。それにちなんで「長楽館」と名付けられました。
この階段を上がると途中にパルコニー風に半円形に張り出しがあります。そこから正面に「球戯の間」と呼ばれる部屋があるので入ってみました。
以前、ここで珈琲をいただきました。元はビリヤード台が置かれてました。大理石の洗面台は、当時のまま残っています。
では2階に上がります。2階から3階に上がる所に受付があって、そこでチケットの半券を切られ靴を脱いで上がりますが、前途したとおり50数名の団体さんが入られたので、「今は御成の間は入れないので、少し待たれた方が良いですよ」と案内されたので先に「喫茶の間」に入りました。
元は喫茶スペースで、現在はカフェスペースで使用。当時の喫茶時に使用された螺鈿の椅子は京都市指定有形文化財です。
3階への受付がある向かいの部屋が「旧回廊」です。この日は中には入れませんでした。
元のバルコニー。当時は全面に開放されていたように壁が無く、屋外に面してました。
こちらは「美術の間」で、元の美術品陳列部屋として使用されてました。現在は、カフェスペースとして使われいます。
当時は数々のコレクションが展示されていたようです。部屋の“紫陽花の絵”は中村白玲(なかむらはくれい)画伯のもの。
次に「接遇の間」に移動しました。元はゲストルームで、現在はカフェペースに利用されています。
英国王室御用達のメープル社製の姿見付きの家具など京都市指定有形文化財の調度品が展示されていました。
そして次に「貴婦人の間」です。マントルピースや壁面の鏡がクラシックな雰囲気がある部屋です。
村井吉兵衛の妻・宇野子が過ごした部屋だそうで、格調高い雰囲気を漂わせています。
あと、「鳳凰の間」が残っています。しかし、この日は入れなかったのかどうか・・・この日は入っていません。それで前回の写真を使います

当時、国内外の賓客のためゲストルームとして使用されていた。西と南、2面の大きな窓から自然光が注ぎ、明るい雰囲気に包まれた一室でした。
次回は、3階へ上がって「御成の間」に向かいます。1階と2階は2012年(平成24年)1月7日と、今回との写真を合わせ技



【長楽館】