まもなく「勅封般若心経戊戌開封法会」が始まる大覚寺へ
大覚寺では、10月1日から11月30日まで、60年に一度の平成30年「勅封般若心経戊戌開封法会」が始まり、“勅封心経殿”の扉が60年振りに開きます。
このブログがアップされる頃には開扉されてるでしょうし、私も既に行っているかも知れません(追記・10月19日に行きました)が、9月24日(月・祝)に大覚寺を訪れた目的は、その準備状況を見ることよりも、この日は本来なら『観月の夕べ』(9月22日~24日)が行われる予定でしたが、台風21号の甚大なる影響により中止となりました。毎年多くの観光客で賑わう“お月見”が中止となるのは、よほどのことかと思い来てみました。
連休最終日でしたが、9時に来てみると、そこそこの観光客が来られてました。関空の一部閉鎖により見るからに減っていた外国人観光客も戻ってるようにも思えました。
上から「明智門」「玄関門」と続き、拝観受付がある“明智陣屋”の玄関から入ります。ここの“明智門”は時代劇で、本当によく使われるので見られた方も多いのでは。
玄関で靴を下駄箱に入れて上がると拝観受付があるので、そこで500円と“京都文化協会賛助会員証”を見せ、記念品をいただき中に入りました。
最初に見るのは「宸殿」です。ここもニュース映像で見ましたが、今は特に被害は確認できません。
狩野山楽によって描かれた襖絵やく蔀戸(しとみど)は無事のようでした。あの猛烈な風を持ち堪えたてくれたようで、ひとまず安心です。
宸殿は、桃山時代の造営で、江戸時代に第108代・後水尾天皇から下賜された寝殿造りの建物です。
大覚寺には何度も来ていますが、2014年(平成26年)11月30日には、京都文化協会主催の「旧嵯峨御所大覚寺門跡 伝狩野山楽筆『四季耕作図襖』特別鑑賞会」で、僧侶の方の案内のもと、じっくり見させてもらいました。
大覚寺では諸堂を結ぶ回廊を「村雨の廊下」と呼ばれています。縦の柱を雨に、直角に折れ曲がっている回廊を稲妻に例えているからです。
次の建物は「御影堂」です。この堂内の中央がガラス張りとなっており、僧侶はお勤めの時、ガラスは張りの奥にある建物・心経殿に向かってお祈りされています。
この堂内から見える“心経殿”が、10月1日からの主役なんです。この扉が60年振りに開くのは、もう間近です。
御影堂は、第123代・大正天皇の即位式に使われた京都御所内の饗宴殿を、1925年(大正14年)に「後宇多天皇600年遠忌」で移築されたものです。その即位式では、パーティー会場として使用されました。
御影堂の前から“舞楽台”そして、その奥の“勅使門”が一直線に見えます。その横には、春には見事な花を咲かせる枝垂桜も見えます。
その「勅封般若心経戊戌開封法会」で主役になる「心経殿」の様子も気になります。御影堂の裏に回って見てみました。
この扉が開く6日前でしたが、渡り廊下の建設が急ピッチでされていました。余談と言うより加筆ですが、10月1日には、この渡り廊下に皇室関係者が座られ法要を見られてました。
心経殿は、1925年(大正14年)に法隆寺の夢殿を模して再建されたもので、堂内には嵯峨天皇、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇が書かれた般若心経が納められています。
その奥にあるのが「霊宝館」です。春と秋に特別公開されますが、この秋は「勅封般若心経戊戌開封法会」のため公開はありません。
そして五大堂の裏を通って「観見台」に出ました。受付で「現在、大沢池は立入禁止とさせていただいてます」と案内されたので様子を見てみました。
ここから大沢池を見ると、蓮が全て北側に向いてますし、ニュース映像でみた「心経宝塔」周りの倒木は、ここからは見えませんが、甚大な被害が遭った事は間違い無いでしょう。
五大堂の内部に入って、お参りもさせてもらいました。ここには「勅封般若心経1200年開封法ご朱印」(貼付タイプ)があったので、本番では混雑が予想されるので、先に購入を済ませておきました。
五大堂の内陣には五大明王が祀られています。左から大威徳明王像、軍茶利明王像、不動明王像、隆三世明王像、金剛夜叉明王像で、いずれも1975年(昭和50年)の造像です。本来、祀られていた五大明王像は、霊宝館に安置されています。
大覚寺では、庭に降りることが出来ないので、五大堂の全景は、宸殿からしか見られません。
最後は「御霊殿」です。1871年(明治4年)に京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂から移築されました。
ここには内陣の格天井鏡板に花鳥などを描き、その奥の内々陣の折上の鏡天井に壮麗な雲龍が描かれています。
最後は、「正寝殿」とその奥にある「霊明殿」に向かいますが・・・受付で「一部見られない箇所がありますと」言われていた所かなぁ・・・。
予想通り、立入禁止でした。ニュース映像で見ましたが、相当な被害が遭ったようで、修復工事をされてるようでしたので、この先の“霊明殿”には行けません。
正宸殿には行けないので、宸殿の北側から元の玄関に戻ってきます。拝観者は少なかったですね・・・殆どが外国人観光客だったように思います。
玄関前には、こんなチラシを見つけました。10月1日~11月30日まで、拝観料1000円で、堂内は一方通行となるらしい。
60年毎しか開かない扉・・・私には次は無いでしょう。多分・・・じゃなく絶対に行きたいと思っています。そして次に大沢池に向かいました。立入禁止と聞いてましたが、自分の目で確かめたかったからです。
大沢池は立入禁止でしたが、ロープの隙間から入りました。ここから大沢池の向こう側も観察しましたが、被害状況は分かりません。
この大沢池の畔には倒木した大木が置かれています。ニュース映像では、何本もの倒木があったようで、立入禁止もやむを得ないでしょう。
記録的な暴風が吹き荒れた台風21号の爪痕は、京都の神社や寺、二条城まで国宝や重要文化財の建物も被害に遭ったようです。元に戻るには相当な日を要するでしょう。私も家に居ましたが、あんな強風は今まで体験したことが無かったです。これを書いてて、また恐怖を思い出しました。
このブログがアップされる頃には開扉されてるでしょうし、私も既に行っているかも知れません(追記・10月19日に行きました)が、9月24日(月・祝)に大覚寺を訪れた目的は、その準備状況を見ることよりも、この日は本来なら『観月の夕べ』(9月22日~24日)が行われる予定でしたが、台風21号の甚大なる影響により中止となりました。毎年多くの観光客で賑わう“お月見”が中止となるのは、よほどのことかと思い来てみました。
連休最終日でしたが、9時に来てみると、そこそこの観光客が来られてました。関空の一部閉鎖により見るからに減っていた外国人観光客も戻ってるようにも思えました。
上から「明智門」「玄関門」と続き、拝観受付がある“明智陣屋”の玄関から入ります。ここの“明智門”は時代劇で、本当によく使われるので見られた方も多いのでは。
玄関で靴を下駄箱に入れて上がると拝観受付があるので、そこで500円と“京都文化協会賛助会員証”を見せ、記念品をいただき中に入りました。
最初に見るのは「宸殿」です。ここもニュース映像で見ましたが、今は特に被害は確認できません。
狩野山楽によって描かれた襖絵やく蔀戸(しとみど)は無事のようでした。あの猛烈な風を持ち堪えたてくれたようで、ひとまず安心です。
宸殿は、桃山時代の造営で、江戸時代に第108代・後水尾天皇から下賜された寝殿造りの建物です。
大覚寺には何度も来ていますが、2014年(平成26年)11月30日には、京都文化協会主催の「旧嵯峨御所大覚寺門跡 伝狩野山楽筆『四季耕作図襖』特別鑑賞会」で、僧侶の方の案内のもと、じっくり見させてもらいました。
大覚寺では諸堂を結ぶ回廊を「村雨の廊下」と呼ばれています。縦の柱を雨に、直角に折れ曲がっている回廊を稲妻に例えているからです。
次の建物は「御影堂」です。この堂内の中央がガラス張りとなっており、僧侶はお勤めの時、ガラスは張りの奥にある建物・心経殿に向かってお祈りされています。
この堂内から見える“心経殿”が、10月1日からの主役なんです。この扉が60年振りに開くのは、もう間近です。
御影堂は、第123代・大正天皇の即位式に使われた京都御所内の饗宴殿を、1925年(大正14年)に「後宇多天皇600年遠忌」で移築されたものです。その即位式では、パーティー会場として使用されました。
御影堂の前から“舞楽台”そして、その奥の“勅使門”が一直線に見えます。その横には、春には見事な花を咲かせる枝垂桜も見えます。
その「勅封般若心経戊戌開封法会」で主役になる「心経殿」の様子も気になります。御影堂の裏に回って見てみました。
この扉が開く6日前でしたが、渡り廊下の建設が急ピッチでされていました。余談と言うより加筆ですが、10月1日には、この渡り廊下に皇室関係者が座られ法要を見られてました。
心経殿は、1925年(大正14年)に法隆寺の夢殿を模して再建されたもので、堂内には嵯峨天皇、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇が書かれた般若心経が納められています。
その奥にあるのが「霊宝館」です。春と秋に特別公開されますが、この秋は「勅封般若心経戊戌開封法会」のため公開はありません。
そして五大堂の裏を通って「観見台」に出ました。受付で「現在、大沢池は立入禁止とさせていただいてます」と案内されたので様子を見てみました。
ここから大沢池を見ると、蓮が全て北側に向いてますし、ニュース映像でみた「心経宝塔」周りの倒木は、ここからは見えませんが、甚大な被害が遭った事は間違い無いでしょう。
五大堂の内部に入って、お参りもさせてもらいました。ここには「勅封般若心経1200年開封法ご朱印」(貼付タイプ)があったので、本番では混雑が予想されるので、先に購入を済ませておきました。
五大堂の内陣には五大明王が祀られています。左から大威徳明王像、軍茶利明王像、不動明王像、隆三世明王像、金剛夜叉明王像で、いずれも1975年(昭和50年)の造像です。本来、祀られていた五大明王像は、霊宝館に安置されています。
大覚寺では、庭に降りることが出来ないので、五大堂の全景は、宸殿からしか見られません。
最後は「御霊殿」です。1871年(明治4年)に京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂から移築されました。
ここには内陣の格天井鏡板に花鳥などを描き、その奥の内々陣の折上の鏡天井に壮麗な雲龍が描かれています。
最後は、「正寝殿」とその奥にある「霊明殿」に向かいますが・・・受付で「一部見られない箇所がありますと」言われていた所かなぁ・・・。
予想通り、立入禁止でした。ニュース映像で見ましたが、相当な被害が遭ったようで、修復工事をされてるようでしたので、この先の“霊明殿”には行けません。
正宸殿には行けないので、宸殿の北側から元の玄関に戻ってきます。拝観者は少なかったですね・・・殆どが外国人観光客だったように思います。
玄関前には、こんなチラシを見つけました。10月1日~11月30日まで、拝観料1000円で、堂内は一方通行となるらしい。
60年毎しか開かない扉・・・私には次は無いでしょう。多分・・・じゃなく絶対に行きたいと思っています。そして次に大沢池に向かいました。立入禁止と聞いてましたが、自分の目で確かめたかったからです。
大沢池は立入禁止でしたが、ロープの隙間から入りました。ここから大沢池の向こう側も観察しましたが、被害状況は分かりません。
この大沢池の畔には倒木した大木が置かれています。ニュース映像では、何本もの倒木があったようで、立入禁止もやむを得ないでしょう。
記録的な暴風が吹き荒れた台風21号の爪痕は、京都の神社や寺、二条城まで国宝や重要文化財の建物も被害に遭ったようです。元に戻るには相当な日を要するでしょう。私も家に居ましたが、あんな強風は今まで体験したことが無かったです。これを書いてて、また恐怖を思い出しました。