京都府福知山市を散策 明智光秀を祀る御霊神社へ

JR福知山駅に12時4分に着いて、直ぐに13時46分発の“きのさき16号”の特急券を買い、昼食抜きで直ぐに目的地に向かう予定にしてましたが、「ミスタードーナツ JR福知山ショップ」の前を通りかかり急に気が変わって寄っていくことにしました。ここで暫く休憩&食事を済ませて12時20分頃に出発、予定では10分程度で着くはずが結構・・・遠かった・・・ので、目的地に12時34分に着きました。

多分・・・全国でも珍しい思える、明智光秀を祀る御霊神社に来てみました。

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場所は、JR福知山駅の約1㌔、ほぼ北に向かって歩いて行くと、土地勘の無い私でも迷わずに着きました。

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南鳥居をくぐると、左手に手水舎がありますが、ここには水がありません。そして階段を上がって行くと、本殿が見えました。

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階段を上がると、そこには本殿があります。ここまで来て、ようやく南鳥居が正面でないことに気づきました。(事前に地図で調べましたが・・・)

本殿の南より東に進むと朱塗りの拝殿・・・この時は拝殿とは分からず・・・があって、“祭”の準備でしょうか脚立に乗って作業されています。そこで朱印の有無を聞くと・・・、

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脚立から降りられたので、先ずはこの建物を聞きました。すると「拝殿で奥に本殿があります」と。そして朱印は社務所に宮司さんがおり、朱印帳を持って行かれました。

写真を撮るのに、正直・・・邪魔だなぁ・・・と思っていたのは事実ですが。その隙に撮った写真です。また、写真を撮っていると、地元の方でしょう、「こっちこっち」と手招きされたので行ってみると・・・。

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宮司さんと話されていたので・・・。行ってみると“カマキリ”が居たので、「これ、写真撮ったら」と。この「二の鳥居」まで来たので、いったん下に降りてみることにしました。

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神社の東側に大きな「社号標」と、巨大な「一の鳥居」が建っていますし、「御霊社」と書かれた、これも大きな扁額がありました。

その「一の鳥居」の手前左側には、こんな看板が立っています。“2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」に決定”と書いてあります。

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ここ数年、亀岡市や福知山市を訪れると、至る所に看板おポスターがあって「NHK大河ドラマに明智光秀を」とありました。亀岡市民や福知山市民の悲願が叶って良かったですね

参考までに、来年の大河ドラマは「いだてん〜東京オリムピック噺〜」(主演は中村勘九郎)ですが、その次が「麒麟がくる」で、主演の明智光秀に長谷川博己さんの起用が決まっています。

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一の鳥居の手前に「由緒」が書いてある看板が、そして鳥居を入って左手に「手水舎」があって、こちらには水は並々とありました。

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二の鳥居に上がる階段の右下には、読み取れませんが石碑がありますが、少しは気になりますが、無視して再び階段を上がります。

御霊神社の主神は保食神(うけもちのかみ)とも称え奉る五穀豊穣商売繁盛の守護神で、元紺屋町の大榎のある霊域に創祀されました。後に1705年(宝永2年)福知山城初代藩主・朽木稙昌(くつきたねまさ)が、福知山城を近世の城に改修するなど善政をしいた明智光秀を合祀しました。

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今度は北側から本殿を観察してみると、武将の彫り物がありました。御祭神は、宇賀御霊大神(うがのみたまのおおかみ)と明智光秀公です。

御霊神社は、京都市内にもあって上御霊神社や下御霊神社が有名です。ともに非業の御霊を供養するため創祀されたましたが、明智光秀は福知山城下の人々に慕われ冤罪者として祀っているんですね。次に本殿の北側に移動し末社を見ます。

こちらは御霊神社が現在地に遷座する前の旧本殿が社の「恵比須神社」で、五社造りとなっています。

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中央に恵比須神社があって、事代主大神を祀っています。向かって右から「秋葉神社」(秋葉大神)「福島稲荷神社」(稲荷大神)、中央が恵比須神社で次いで「天満宮」(天満大神)「養蚕神社」(養蚕大神、大正4年に京都市右京区の蚕ノ社から勧請)が祀られています。

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また手前には「残照を彩る御霊に弾む声」(真由美)と書かれた木札もありましたが・・・何でしょう。

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本殿の奥には大木があって、案内によると御神木の「大榎木」だそうで、幹下には小さな祠もありました。

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境内の北側に移動し、こちらは「叶石神社」でご神体は“叶石”です。古代より霊験あらたかな霊石を祀り受験合格必勝祈願などの御利益があるとか。

境内北側の最後は「堤防神社」で、1984年(昭和59年)に建立された神社です。

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水害から市民の生命財産を守る堤防に感謝と愛護の誠を捧げ水害無きことを祈願するために建立されました。

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こちらの石碑には「免税と決めて光秀名を残し」という文字が刻まれいます。丹波国を与えられた明智光秀は内政に力を入れて、民から免税したり、河川に堤防を築いたりして、人々から慕われてた領主だったんでね。

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朱印は、この「社務所」でいただきました。宮司さんだと思いますが、祭りの準備されていたので。ついでに由緒書きもありました。

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境内の東側にあったのが「筆塚」です。菅原道真公を祀る天満神社がある由縁で、2002年(平成14年)に建立されました。

その横には頼山陽作漢詩「本能寺」の石碑がありました。私にはもちろん読めません。そこでネットで調べてみると・・・。

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「本能寺 溝の深さ 幾尺なるぞ 吾れ大事を就すは 今夕に在り 茭粽手に在り 茭を併せて食ろう 四簷の梅雨 天墨の如し 老阪西に去れば 備中の道 鞭を揚げて東を指させば 天猶早し 吾が敵は正に 本能寺に在り 敵は備中に在り 汝能く備えよ」 ですって

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ここには狛犬が4体鎮座しています。それぞれ違ってて見てて面白いです。また、この御霊神社の東隣が御料公園で、広々としています。遠くに綺麗なアーチの音無瀬橋も見えています。

ここには12時50分頃に出て行きました。前途したとおり帰りの特急は13時46分に福知山を出るので1時間を切ってしまいました。少し、ここで時間を取り過ぎたようで、次へと急いで向かいます。

【御霊神社】



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