京都府福知山市を散策 内記稲荷神社へ

御霊神社から次は、福知山市役所近くの内記稲荷神社に向かいます。予定では福知山城の帰りに寄るつもりが、次の目的地になったのは、綾部市からここまで歩きづめで、少々疲れたことが要因です。

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少々急いで歩きましたが、ここには13時3分に着きました。普通にあるいたら15分ぐらいでしょう。

ここに向かう途中、このブログで度々登場する福知山在住の先輩から電話があって「今日は何処に行ったの」と「今、福知山に来てて内記稲荷神社に向かってます」と堪えるとビックリされてました。先輩は、これからお仕事に行かれるみたいで・・・次回、時間があればお会いしたいですね、余談でした

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見るからに新しいそうな鳥居や社殿です。歴史が浅いのか、改築されたのか・・・答えは書いてありました。2011年(平成23年)3月に竣工されたようです。

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急ぎ足で来たので、家を出るときは寒いぐらいの気候でしたが、もう汗だくです。綺麗な「手水舎」もありました。

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御祭神は稲荷神社ですので、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)でしょう。1862年(文久2年)丹波福知山藩第6代藩主・朽木綱貞(くつきつなさだ)が、ここに遷座させました。

何処かに由緒が書いてないか探したところ、本殿の壁にあるのを見つけました。それが下記です。

内記稲荷神社の発祥は1794年(寛政6年)頃まで、現在の霊域に遷宮したのは1862年(文久2年)とあり。祭神は宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)とあり、五穀豊穣商売繁盛と崇め、多くの崇敬者あり、しかし長年に亘り社殿の老朽化甚だし崇敬者相寄り改築と定め、ここにかくも荘厳に改築竣工成就を祝し、神前に奉告(ほうこく)感謝申し上げ、うやうやしく崇敬者の弥栄と天下泰平を祈願し奉る。1973年(昭和48年)3月。

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帰りの時間が押しているので急いで回ります。本殿の奥に建物があったので行ってみましたが・・・どうも倉庫のようでした・・・ひょっとして神輿庫かも・・・です。

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前途した建物の右となりに鳥居と祠があって、そこには「辨財天」と書いてありました。遷座前には池でもあったのかなぁ・・・。

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そのまま本殿裏を進みます。最初は「白龍神社」(白龍大神)御利益は、心願成就と病気平癒とありました。

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左から「豊川大神」(五穀豊穣)「末廣大神」(商売繁盛)「權大夫大神」(良縁成就)とありました。

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拝殿奥の「本殿」は、雨よけでしょうか覆いで囲われて、斜めから見ても良く分かりません。稲荷社らしく狛狐も鎮座してました。

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ここにも「社務所」はあります。朱印帳は持参してきましたが、どう見ても人が居るように思えないので、そのままスルーして帰りました。

ここを出たのが13時6分・・・JR福知山駅まで10分ぐらいでしょう、まだ余裕はありそうですが、このまま駅まで戻る事にしました。予定では「伯耆丸公園」でも寄ってみようと思っていましたが、足が疲れ切ってしまいました。駅に着いて、休憩所で少し休んだあと、少しばかりの土産を買って、定刻通りに着いた特急に乗り込みました。大変天気が良く気持ちの良い一日でしたが、台風24号は日本列島に近づいてきてます。明日から天気予報は雨・・・日曜日は大荒れの予報です。台風21号の恐怖を覚えているので、何とも不気味な動きです。

【内記稲荷神社】



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