海の舞鶴市を行く 円隆寺へ

朝代神社と隣接する円隆寺(えんりゅうじ)は、京都府舞鶴市の西市街地を見下ろす愛宕山の山裾ある真言宗御室派の寺院で、山号は慈恵山(じけいさん)といいます。

朝代神社から円隆寺の境内に入って、私は総門まで出ました。この日は蒸し暑い日でしたが、そろそろ天気予報のとおり雨が降りそうな・・・様子に。

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表通りまで出て「総門」を撮りに行きました。この総門は“三つ棟造り”で、脇間の前後に四天王像を安置する珍しいものらしいで、1753年(宝暦3年)建立です。

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この総門は、「本堂・多宝塔・鐘楼・鎮守堂」とともに、京都府指定文化財に、1984年(昭和59)年4月14日に指定されました。

同行の2人は、ここまで来なかったので多分・・・車まで戻っているのでしょう。いつもならゆっくり見学するんですけど、急ぎ足で回ります。

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総門を入った右手にあった「大師堂」と、「弘法大師像」です。ここまで来て、この寺院が真言宗だと分かった次第です。

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また、ここには四国八十八カ所観音霊場「第一番 霊山寺」もありました。あと八十八カ所もあるのでしょうか

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このまま緩やかに登って行くと、左手に1751年(宝暦元年)建立の「多宝塔」があります。近くまで行きませんでしたが、上部に鳥居が見えました。

そして、1786年(天明6年)建立の「本堂」です。まったくのノーマークでしたので、雄大な本堂に驚きです。

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本尊は、国の重要文化財に指定されている「木造阿弥陀如来坐像・薬師如来坐像・釈迦如来坐像」が安置されてるそうです。(外からは見えません)

他に、これも国の重要文化財に指定されている「木造不動明王立像・毘沙門天立像」もあるそうですが、安置されてる場所が分かりません。多分、本堂でしょうけど・・・。

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ここから朝代神社の方向を見ています。行きはあそこから入って来ました。私は、再びあそこから出て行く予定です。

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本堂の右手(北側)に移動すると、写真の左から「聖徳太子堂」と「観音堂」が並んで建っています。

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その向かい(東側)に建物が2つ並んでいます。右側は「粟嶋堂」で、左が「鎮守堂」で、もう少し近づいてみると・・・。

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鎮守堂」は、1737年(元文2年)の建立で、最初に書きましたが“京都府指定有形文化財“に指定されいます。

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最後に朝代神社と隣接する「出世稲荷神社」です。看板には出世の登竜門、出世・成功・幸運、合格祈願と書いてありましたが・・・。

こちらは、まったく情報がないので分かりません。ただ先ほど朝代神社でいただいた由緒書きには書いて無かったので、朝代神社の末社では無いようです。

奈良時代に行基が創建し、平安時代の長徳年間(998~998)に皇慶上人が中興した古刹。最盛期には、智恩院、成就院、理正院、吉祥院など70坊を擁する大規模なものであったが、1595年(文禄4年)の山崩れで智恩院など4坊を残すのみで他は壊滅しました。本堂・総門・多宝塔・鐘楼・鎮守堂からなり、本尊は丹後地方最大の木造阿弥陀如来坐像・薬師如来坐像いずれも重要文化財で、平安時代の定朝の作だと伝わります。

ここから朝代神社に戻り、社務所にて朱印をいただき京都市内に向けて出発しました。15時頃に出て、行きと同じく「京都縦貫自動車道」の大江I.Cから高速に入ります。途中、天気予報のとおり猛烈な雨に見舞われました。さすがに怖かったですね、前が見えないくらの雨でしたから。そして京丹波PAでトイレ休憩&買い物。ここで暫くゆっくりしたあと再び京都市に向けて出発家には17時頃に帰りました。ずっと運転をしてくれた友人には感謝しかないです。3人の珍道中・・・楽しい一日でした・・・が、非常に強い台風21号が関西めがけて北上中です。予報円を見ると最悪の直撃コース。最近の天気予報は外れないので、何とも不気味な動き・・・です

【円隆寺 本堂】



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