平成30年度 京都浄土宗寺院 特別大公開 三縁寺へ

10月16日(火)は、平成30年度 京都浄土宗寺院 特別大公開 三縁寺に行きました。ここの公開日が、10月15日~17日の3日間、午前の部が10時から14時、午後の部が14時から16時の二部制で初めて本堂が公開されました。しかし何れも平日だったので休みを取るしか行けません。それで16日(火)お昼から休みを取って岩倉に向かい、午後の部が始まる前の14時前に着くことができました。

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13時50分は少し回っていかと思いますが、ほぼ予定通り三縁寺の参拝者用駐車場に車を止めました。

門前には「池田屋事変殉難烈士之墓」と書かれた石標が建っています。元々三縁寺は三条大橋の東詰にありました。その三条大橋の西側に池田屋があった訳です。その経緯は後程住職さんから詳しく話しを聞きました。

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最近、岩倉に度々訪問しているので、道も慣れたもので、迷わず着きました。山門は閉まっていますが、通用口を押してみると開きました

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正面を上がると書院の玄関がありましたが、本日公開されている・・・筈の本堂に向かいます。

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近年、岩倉に引っ越して来られただけに、見たところ鉄筋コンクリート製に見えました・・・が、どう見ても、ここから上がることは出来ません。

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そこで、最初に階段を上がった先にある「玄関」に向かうことにしました。それで恐る恐る玄関を開けてみると・・・。

中から人が出て来られて、「本堂へどうぞ」と案内されました。写真撮影の有無と朱印を聞くと、「朱印はありません。本堂内は撮影禁止です」と。

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外から見ていたとおり、長い長い廊下を渡って本堂に向かいますが・・・既に堂内から住職さんの声が聞こえてきます。まだ13時55分・・・5分も早いのに・・・。

と思いながら堂内に入ると、既に案内が始まっていました。先客は2名、私と同時に入って来られた方が1名、そして14時過ぎに来られた方が1名、そして案内の終わり頃に来られた方が1名の方が案内を聞きました。

三縁寺(さんえんじ)は、山号を法輪山という浄土宗寺院で、ご本尊は阿弥陀如来座像で、創建は織田信長や豊臣秀吉の時代である天正年間(1573~1593)と言われています。岩倉に移転前は、現在の三条京阪バスターミナル付近にありました。その跡には「池田屋事変殉難志士墓所跡碑」が立っています。京都市の都市開発に伴い1979年(昭和54年)に現在地に移って来られました。

また寺宝には「幽霊封じ込めの祐天上人名号軸」も初めて公開されてました。三縁寺は昨年に「池田屋事件犠牲者の墓」を1日だけ公開され、今年は3日間の日程で初めて本堂内が公開された訳です。

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また、「池田屋事件ゆかりの品」が玄関入って左手の書院内で展示してあったので、それを見てからここを出ました。

次に、ここに来た目的の一つである「池田屋事変殉難烈士墓地」のお参りに向かいました。特に案内は出ていませんが、住職さんが案内の時に方向を示されたので、そちらに向かいます。

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前途しましたが、案内が出てないので不安に思いながら、本堂の前を通って右側の参道を登って行くと墓地がありました。

ただ、広い墓地内で「池田屋事変殉難烈士の墓」が何処にあるのか・・・とりあえず奥に奥に進んでいくと、鳥居があって・・・。

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墓地に鳥居・・・もう、ここしかないでしょう。くぐってみるとビンゴでした。住職さんは少し早口で聞き取りずらい事もありましたが、何とか来られました

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先ずは、鳥居を入った正面で、肥後の宮部鼎蔵(みやべていぞう)と松田重助((まつだじゅうすけ)の墓です。

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次に鳥居の左には、長州藩の吉田稔麿(よしだとしまろ)、杉山松助(すぎやままつすけ)、廣岡浪秀(ふじおかなみひで)の3名と土佐藩の北添佶麿(きたぞえきつま)、望月亀弥太(もちづきかめやた)、石川潤次郎(いしかわじゅんじろう)の3名で計6名の合同墓となっています。そして、その右には播磨国揖東郡にあった林田藩の大高又次郎(おおたかまたじろう)の墓がありました。

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鳥居の右側に移動し、こちらは肥後の上松源友胤。池田屋事変とは直接関係ないようです。前途した宮部鼎蔵の弟子で、1863年(文久3年)に、親幕派公卿を斬った際、 相手に重傷を負わせたもの自分も斬られ、その後に三縁寺に葬られたと言われています。

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最後に、こちらは正面にあった肥後の宮部鼎蔵(みやべていぞう)と松田重助((まつだじゅうすけ)の墓と同じで、こちらは見たところ古いように思えました。

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帰りも本堂前を通って、玄関前から階段を降りて山門を出ました。何名か入られたのでしょう、帰りには通用門は開いてました。

14時35分頃に、ここの駐車場を出ることに。他にも公開の寺院はありますが、既に訪れた寺院が多くて、これで帰ることにしました。

【三縁寺 池田屋事変殉難烈士之墓】



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