和倉・七尾観光旅行 懐古館飯田家へ

七尾城史資料館の受付で、入館料を払うときに「懐古館飯田家も行かれますか?」と聞かれたので、「もちろん行きます」と、「懐古館飯田家」の入館券も買いましたが、特に共通券では無かったようです。

画像
画像
画像
画像
画像
この家は約200年前、幕末時代加賀藩の肝煎(庄屋)を勤めた飯田家の屋敷で、国の登録文化財に登録されています。

画像
画像
画像
入ると、中から人が出て来られ、入館券を見せて上がります。玄関を入った「土間」には江戸時代の駕籠でしょうかガラスケースに中に展示してあります。

画像
画像
画像
最初に18畳の「囲炉裏の間」で、こちらの方より簡単な案内があります。ほんのちょっとだけの案内で終わったため、後は自由に見て回ります。写真撮影はOKでした。

画像
画像
お隣は8畳の「納戸」で“展示室”で、青柏祭の曳山行事 (ユネスコ無形文化遺産登録)(国指定重要無形民俗文化財)の“でか山”と呼ばれる巨大な山車が展示してあります。

画像
画像
画像
こちらは10畳の「座敷」です。こちらの欄間は両面彫りになっています(表と裏とでデザインが違う)。

画像
ここから廊下に出ると綺麗な「日本庭園」が見えます。ガラス戸は閉まっているため開けることはできませが、“隠し井戸”と書かれた文字が気になりますが・・・。

調べてみると、この井戸は七尾城に繋がっていたと伝わる“隠し井戸”らしいです。ちなみに、この庭園は500坪もあるとか。

画像
お隣の「仏間」も10畳もあり、角には“石動山縁りの大黒天像”が。七尾城主の畠山氏は代々篤く信仰されたようです。

画像
画像
次が6畳の「坊主部屋」とありました。ここには何故か“楠木正成像”が安置されてましたが、理由は分からないです

画像
ここから庭園を見ると、皇室の方も来られてたようで、三笠宮家と高円宮家の名前は読み取れました。

画像
この展示室は8畳もあって、ここが飯田家のもっとも奥の部屋となります。ここもあっさり見て次の部屋へ。

画像
画像
もうすぐ土間に戻ってきますが、こちらも8畳の間でした。外には綺麗な庭園がみえますが、雪国の七尾は、これから雪が積もって大変な時期になっていくのでしょうね。

調べると冬期は休館でした。12月11日~3月10日まで、予約拝観となるみたいです。

画像
画像
画像
画像
この後は、最初の土間まで展示物などを見ながら戻って行きました。そして最初にパンフレットを貰ったのを確認すると見損ねた部屋があったので、そちらに向かうと・・・。

画像
画像
最後に、来た見た部屋は6畳の「前室」を見たから出て行きました。入った時にお一人出て行かれたあと、誰も来られなかったので独占でした

懐古館飯田家住宅は、江戸時代に古屋敷村の庄屋(肝煎り役)を務めた上層農家の家柄です。茅葺の建物は江戸時代中期の1804年~1829年に建造されもので国登録有形文化財に登録されています。

画像
外に出て、車に乗り込む前に飯田家の周りを観察しいたら「篝火や 秋のしじまを 燃えつくせ」の石碑を見つけました。作者は見損ね・・・ました。

画像
画像
こちらは「稲架道を古城にゆくや秋の雨」と書いてあって、阪急電車や宝塚歌劇団の創立者小林一三翁が七尾城登山の時、ここで詠まれた句だそうです。

こちらには14時20分頃に出て行きました。七尾城の登城と、ここでのスタンプをゲットしたので、今回の旅行の目的は果たせました。後は七尾市内を観光して楽しみます。

【懐古館飯田家】



この記事へのトラックバック