和倉・七尾観光旅行 小丸山城址公園へ

七尾城史資料館と懐古館飯田家を見た後、当初リクエストしていたのは“山の寺寺院群”でしたが、時計を見ると時間に余裕があるので、これも行けたら・・・程度で言っていた小丸山城址公園をお願いしました。

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14時30分過ぎに駐車場から車を降りて、真っ先に2002年(平成14年)に放送された、NHK大河ドラマ「利家とまつ~加賀百万石物語~」の銅像が建っています。

この銅像の正面から太陽の光を浴びて眩しすぎます。正面から写真を撮れなかったので斜めかです。でも、私は見てないですよね・・・最初の何話か見たらやめてしまったからです

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今は公園として整備されてる城址ですが、これから本丸に向かって少しだけ登っていきます。

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公園となった城跡ですが、かつて城だった形跡は殆ど見当たりません。「史蹟 前田利家小丸山城址」と書かれた大きな石標が目立つぐらいです。

前田利家が築城したのが小丸山城で、1581年(天正9年)織田信長から初めて、能登国を与えられ国持大名となりました。そこで利家は七尾城に居を構えましたが、後に港に隣接する小丸山に城を築くこととなります。利家は円山と呼ばれた丘陵を四山(小丸山・西光寺山・愛宕山・屋敷山)に切り崩して築城し、記録では本丸・天性丸・宮丸などあったように記録が残りますが、1583年(天正11年)4月26日に豊臣秀吉より、石川・河北の2部を加増されたことにより居城を金沢城とし、小丸山城在城はわずか2年余りでした。そして1615年(元和元年)の幕府による一国一城令により、翌年に廃城となりました。

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少ししか写真に写ってませんが「三更橋」と呼ばれる橋で、本丸と天性丸を結んだ橋です。もちろん公園を整備された時に造られたもの、時間が無いので渡っていません。

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本丸には二つの「櫓台」がありました。東南隅と南西隅に“櫓台”が存在したことは発掘調査で確認されてるそうです。ここでは標高26㍍と城跡では最も高い場所にありました。

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「冬は憂しといひし七尾の花に来し」(高濱 年尾)「帰る気になかなかならず山車に従き」(稲畑 汀子)「星の綺羅露を宿してをりにけり」(稲畑 廣太郎)高濱虚子の実子、高濱年尾と虚子の孫、稲畑汀子の句碑がありました。

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こちらが、もう一つの「櫓台」です。約1.5㍍の盛土で構築してあります。ここには何故か分かりませんが“日像上人像”が立っています。

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ここから“七尾市街地”が見渡せます。こちらの方角が七尾城だと思います。山城の七尾城から平城の小丸山城に、この二つの城を見てきました。

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公園内はに、「前田利家小丸山城址碑」「長谷川等伯出生の地碑」「花本十三世句碑」もありましたが、文字が掠れて・・・読めません

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園内からは七尾湾が少しだけ見えます。眼下には駐車場も見えていて、私らが乗ってきたタクシーも止まっているのが見えてます

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この小丸山城公園は、桜の名所みたいですね。戦後努力され芋畑から再生されたことが書いてありました。毎年桜の時期に「小丸山城址公園さくらまつり」を開催されてるようです。

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妻は登るのが嫌がって下で待っているため急いで降りました。その途中でみた「愛宕山相撲場」で、ここは“宮丸(愛宕山)”があった所です。

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このあと、タクシーの運転手さんに割引券をもらって、車はそのままに“花嫁のれん館”に行って戻ってきたのが15時過ぎ、すっかり日が傾いてきました。

次回は、その“花嫁のれん館”に行きます。時間があれば・・・と思ってましたが、ここの駐車場に車を止めているので、見て行くことに・・・つづく。

【小丸山城址公園 本丸跡】



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