京都府亀岡市を散策 藤越神社へ
10月5日(金)は、1日から始まった平成30年度「京都浄土宗寺院特別大公開」の寺院に行くため、京都府亀岡市を訪れました。場所は亀岡市千代川町と言って、JR嵯峨野線「千代川駅」から歩いて20分ぐらいの所ですが、私は車で行きました。
京都市内の千代原口から国道9号線に入り北上します。そして沓掛から京都縦貫道には乗らず、そのまま9号線を走ること約60分。国道千原口までやって来ました。そこを左折し、直ぐに右折し北上すると、右手に藤越神社が見えました。
この細い道の手前に車を止め徒歩で向かいました。もし、道が狭くて車が止められなかったらスルーする予定でしたが、そこは大丈夫です。
鳥居は東に向いています。その先の本殿も同じく東向き・・・その鳥居の手前に由緒が書いてありました。
田園風景の中に、ポツンと森があって、そこに神社があった・・・そんな感じです。この掠れて読みにくい由緒は・・・。
御祭神の野椎命(のづちのみこと)は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の御子で野を司られる、またの名を鹿屋野比売(かやのひめ)といふ女神で、今の薩摩の阿多郡に住んでをられた。夫神に従い、日向から西海道を伊勢へと出られ、淡海国の日枝の山に来られる道すがら、山野の物・甘菜辛菜に到るまで霊感を示された。そのために邪神たちはそのお姿を見るや平伏し拝したと口碑にある。「故郷鎮守の森 亀岡神社誌」
創建建立はかなり古いが詳しいことは分からない。天正年間(1573~1592)明智光秀の丹波平定のころ兵火により焼失し、江戸後期に再建さされる。1740年(元文5年)の記載が鳥居と灯籠にあり。御利益は、家内安全・宮参り・厄除けの御利益とともに野を司る豊作をももたらす神として信仰されてきた。
鳥居の正面に見えるのが「拝殿」でしょう。そして右手には古井戸と手水盤がありますが、落ち葉で・・・とても使えないです。
先の台風21号と24号ですが、強風のため葉が落ちたのでしょう、落ち葉が凄いです。車も路上駐車しているので先を急ぎます。
多分、「本殿」は覆いで囲われているのかと思います。御祭神は野椎命(のづちのみこと)またの名を鹿屋野比売(かやのひめ)とありました。
田園の中にポツンとあるので、寂しい限りです。そんなにしつこく観察することなく、車に戻り出発しました。
ここには9時37分に着きました。次の寺院が10時からと書いてあったので早く着いてしまうので寄ってみました。それでも9時41分には出て行ったので、結果早かったんですが・・・。
【藤越神社】
京都市内の千代原口から国道9号線に入り北上します。そして沓掛から京都縦貫道には乗らず、そのまま9号線を走ること約60分。国道千原口までやって来ました。そこを左折し、直ぐに右折し北上すると、右手に藤越神社が見えました。
この細い道の手前に車を止め徒歩で向かいました。もし、道が狭くて車が止められなかったらスルーする予定でしたが、そこは大丈夫です。
鳥居は東に向いています。その先の本殿も同じく東向き・・・その鳥居の手前に由緒が書いてありました。
田園風景の中に、ポツンと森があって、そこに神社があった・・・そんな感じです。この掠れて読みにくい由緒は・・・。
御祭神の野椎命(のづちのみこと)は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の御子で野を司られる、またの名を鹿屋野比売(かやのひめ)といふ女神で、今の薩摩の阿多郡に住んでをられた。夫神に従い、日向から西海道を伊勢へと出られ、淡海国の日枝の山に来られる道すがら、山野の物・甘菜辛菜に到るまで霊感を示された。そのために邪神たちはそのお姿を見るや平伏し拝したと口碑にある。「故郷鎮守の森 亀岡神社誌」
創建建立はかなり古いが詳しいことは分からない。天正年間(1573~1592)明智光秀の丹波平定のころ兵火により焼失し、江戸後期に再建さされる。1740年(元文5年)の記載が鳥居と灯籠にあり。御利益は、家内安全・宮参り・厄除けの御利益とともに野を司る豊作をももたらす神として信仰されてきた。
鳥居の正面に見えるのが「拝殿」でしょう。そして右手には古井戸と手水盤がありますが、落ち葉で・・・とても使えないです。
先の台風21号と24号ですが、強風のため葉が落ちたのでしょう、落ち葉が凄いです。車も路上駐車しているので先を急ぎます。
多分、「本殿」は覆いで囲われているのかと思います。御祭神は野椎命(のづちのみこと)またの名を鹿屋野比売(かやのひめ)とありました。
田園の中にポツンとあるので、寂しい限りです。そんなにしつこく観察することなく、車に戻り出発しました。
ここには9時37分に着きました。次の寺院が10時からと書いてあったので早く着いてしまうので寄ってみました。それでも9時41分には出て行ったので、結果早かったんですが・・・。
【藤越神社】