和倉・七尾観光旅行 山の寺寺院群 長齢寺へ

山の寺寺院群とは、七尾の市街地からほど近い小高い丘に16もの寺院が集まる地域のことで、これは約4000年前に前田利家が七尾城を防御するために配置したものとされています。

一本杉通りを出たのが15時34分、“山の寺寺院群”には16もの寺院がありますが、全部周り切るのは不可能です。そこでタクシーの運転手さんにお勧めを聞きました。すると答えがかえってきたのが長齢寺で、「ここには“お宝”があるので是非行ってくださいと」言われたので、早速時間も無いので向かって貰いました。

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何だか細い道を進んで行くと、15時40分に着きました。タクシーは右側の超狭い道を登って行きますが、山門を撮りたい私は、ここで降ろして貰いました。

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急な階段を上がると「山門」が見えました。その山門の扁額には「休嶽山」の文字が。この長齢寺の正式名称は曹洞宗總持寺派宝円寺末 休嶽山(きゅうがくざん)長齢寺(ちょうれいじ)といいます。

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ここに来るまで車内にてタクシーの運転手さんから聞いた話ですが「“利家とまつ”が放送された翌年には拝観者が殺到したんですが、その翌年には元に戻った」と聞きました。

こんな田舎の寺に、年間300万人も来たらしいです。そして山門を入って奥に奥に進むと「宝物館」の入口に着きました。タクシーの運転手さんが開けようとすると鍵が掛かり閉まっています。どうも留守のようで・・・お宝を見たかったけど仕方ないですね。この後、お二人の観光客も訪れましたが、残念そうに帰られました。私らは、せっかくここまで来たので境内を散策です。

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ここには前田家の菩提所として、利家の父・前田利春(道機庵休岳居士)と母・長齢院(長齢院妙久大姉)の墓があります。

前田利家が七尾城主になった1581年(天正9年)、越前高瀬(現在の福井県武生)宝円寺の大透和尚を開山として創建したので始まり。後に宝円寺は利昌の戒名道機庵休嶽居士の“休嶽”、自身の戒名、長齢院妙久大姉の“長齢”からとられ休嶽山長齢寺と改名されました。

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次に山門の方に向かって歩いて行きます。私は山門は潜りましたが、妻と運転手さんは駐車場から来られたので、こちらは初めてです。

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こちらは「宝篋印塔」です。右が加賀初代藩主・前田利家公、左が二代目藩主・前田利長公のものです。

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こちらにはお地蔵さんが祀られているようです。入口には「千手千眼観音」とあり探してみましたが、確かに石像でありました。

ここには、15時45分に出ました。お宿には16時30分に入る予定のため、残り時間が少なくなってきました。ここで私が次の寺院のリクエストを出したら、快く行って貰えました。でも“お宝”見たかったなぁ・・・。

【山の寺寺院群 長齢寺】



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