和倉・七尾観光旅行 山の寺寺院群 妙観院へ
長齢寺から次に向かったのが、山の寺寺院群 妙観院で15時49分に着きました。ここは国道249号線沿いにあるので、スマホの地図を見ていた私でも直ぐに着いたのが分かりました。
ここは“山の寺寺院群”を調べていると、この妙観院が“お勧め”と出ていたので行ってもらった次第です。入口は竜宮門に似た唐門づくりの「山門」をくぐります。
この妙観院は、“七つの不思議な寺”として知られています。事前に調べて、ここは行ってみたいと思いました。先ずは山門前にある「第六 底なし池」から。
この池の中央には、龍に身を変えた女性が引き釣りずり込んだ釣り鐘が入るぐらいの縦穴が開いているそうです。それは七尾湾へ通じているとか。
この山門前に清掃されてたお寺の奥様でしょうか、その方に「朱印はありますか?」と尋ねると、「本堂へどうぞ」と開けていただきました。とその前に「第五 雌雄(めおと)岩の不思議」がありましたが・・・。
山門の横に左右から迫る岩が隙間をつくっています。この二つの岩が仲良く寄り添っていることから恋愛成就・家庭円満・子孫繁栄の御利益があるとされています。
山門を入った正面に「本堂」があります。持参してきた“朱印帳”を渡したら、靴を脱いで堂内に入りました。なお、写真撮影はOKです。
堂内に入って思ったことは、ここは日蓮宗かなぁ・・・と。尋ねると、高野山真言宗のお寺でした。中央は弘法大師像で、奥の本尊は聞きましたが・・・忘れました
。
堂内で御朱印を書いて貰っている間、お参りを済ませ、後はじっくり観察させて貰いました。本尊の右側には不動明王も安置されてましたね。
ここで七不思議・・・「第四 そうめん不動」で、お寺の忙しい時、住職に身を変えお参りの人に“そうめん”をふるまったと言う。
妙観院は高野山真言宗 小嶋山 妙観院と言い、古くは城山の牛が首に在ったと伝えられ、明治末期まで海中の孤島であったので“小嶋山”と言う。弘法大師の作と言われる聖観世音菩薩は秘仏で、33年毎に公開されます。ここには「七不思議」の伝説が残る。
御朱印を書いて貰ったら、本堂を出ました。その時、唐門造りの山門の左側から登って行って・・・と言われたので、もちろん向かいます
。
その時に見つけた「弘法水」です。1916年(大正5年)後の昭和天皇が軍艦“生駒”で七尾に行啓されたとき、その折りの飲料水として、選ばれた名水だそうです。
山門の二階へ上がってきました。ここで七不思議・・・「第三 弁財天の不思議」があって、内容は・・・。
およそ300年前、敦賀の「気比の宮大社」の弁天堂が大波にさらわれ、弁天様がこの地に流れ着きました。それ以降大切にお祀りされています。
そこから見た本堂です。西日が傾いて来ました。この時間になると少々お疲れです。
登り切ると鐘楼があります。ここにも七不思議が・・・「第二 竹に虎の名鐘」・・・実は、“釣り手”に注目なんですけど、よく分からなかったです。
300年前のこと、願いが叶わず入水した女性が龍に化け、釣り鐘を何度も海へ引きずり込むので「龍虎相打つ」の故事にならって、全国にただ一つの“竹に虎”の釣り手の鐘になりました。その鐘楼の先が「観音堂」があって、そこには最後の不思議が・・・
。
「第一 観世音霊告の不思議」で、まだ海に囲まれていた孤島だった時、弘法大師が観音経の書かれた一本木で、観世音を彫刻されました。33年に一度、開扉される秘仏です。
再び階段を降りて山門前に出て来ました。ここでは御朱印と由緒書きを貰えて良かったです。
事前学習無しで“七不思議”を巡りましたが、「第七 獅子岩と鼓岩」だけ見損ねました。時計の針は16時5分になってました。タクシーの運転手さんも「時間は少し早いけど、そろそろお宿に向かいますが良いですか?」と聞いて来られてので、ここからどのくらい時間がかかるのか分からないので、もちろんOKしました。次は、本日のお宿です。
【山の寺寺院群 妙観院】

ここは“山の寺寺院群”を調べていると、この妙観院が“お勧め”と出ていたので行ってもらった次第です。入口は竜宮門に似た唐門づくりの「山門」をくぐります。
この妙観院は、“七つの不思議な寺”として知られています。事前に調べて、ここは行ってみたいと思いました。先ずは山門前にある「第六 底なし池」から。
この池の中央には、龍に身を変えた女性が引き釣りずり込んだ釣り鐘が入るぐらいの縦穴が開いているそうです。それは七尾湾へ通じているとか。
この山門前に清掃されてたお寺の奥様でしょうか、その方に「朱印はありますか?」と尋ねると、「本堂へどうぞ」と開けていただきました。とその前に「第五 雌雄(めおと)岩の不思議」がありましたが・・・。
山門の横に左右から迫る岩が隙間をつくっています。この二つの岩が仲良く寄り添っていることから恋愛成就・家庭円満・子孫繁栄の御利益があるとされています。
山門を入った正面に「本堂」があります。持参してきた“朱印帳”を渡したら、靴を脱いで堂内に入りました。なお、写真撮影はOKです。
堂内に入って思ったことは、ここは日蓮宗かなぁ・・・と。尋ねると、高野山真言宗のお寺でした。中央は弘法大師像で、奥の本尊は聞きましたが・・・忘れました

堂内で御朱印を書いて貰っている間、お参りを済ませ、後はじっくり観察させて貰いました。本尊の右側には不動明王も安置されてましたね。
ここで七不思議・・・「第四 そうめん不動」で、お寺の忙しい時、住職に身を変えお参りの人に“そうめん”をふるまったと言う。
妙観院は高野山真言宗 小嶋山 妙観院と言い、古くは城山の牛が首に在ったと伝えられ、明治末期まで海中の孤島であったので“小嶋山”と言う。弘法大師の作と言われる聖観世音菩薩は秘仏で、33年毎に公開されます。ここには「七不思議」の伝説が残る。
御朱印を書いて貰ったら、本堂を出ました。その時、唐門造りの山門の左側から登って行って・・・と言われたので、もちろん向かいます

その時に見つけた「弘法水」です。1916年(大正5年)後の昭和天皇が軍艦“生駒”で七尾に行啓されたとき、その折りの飲料水として、選ばれた名水だそうです。
山門の二階へ上がってきました。ここで七不思議・・・「第三 弁財天の不思議」があって、内容は・・・。
およそ300年前、敦賀の「気比の宮大社」の弁天堂が大波にさらわれ、弁天様がこの地に流れ着きました。それ以降大切にお祀りされています。
そこから見た本堂です。西日が傾いて来ました。この時間になると少々お疲れです。
登り切ると鐘楼があります。ここにも七不思議が・・・「第二 竹に虎の名鐘」・・・実は、“釣り手”に注目なんですけど、よく分からなかったです。
300年前のこと、願いが叶わず入水した女性が龍に化け、釣り鐘を何度も海へ引きずり込むので「龍虎相打つ」の故事にならって、全国にただ一つの“竹に虎”の釣り手の鐘になりました。その鐘楼の先が「観音堂」があって、そこには最後の不思議が・・・

「第一 観世音霊告の不思議」で、まだ海に囲まれていた孤島だった時、弘法大師が観音経の書かれた一本木で、観世音を彫刻されました。33年に一度、開扉される秘仏です。
再び階段を降りて山門前に出て来ました。ここでは御朱印と由緒書きを貰えて良かったです。
事前学習無しで“七不思議”を巡りましたが、「第七 獅子岩と鼓岩」だけ見損ねました。時計の針は16時5分になってました。タクシーの運転手さんも「時間は少し早いけど、そろそろお宿に向かいますが良いですか?」と聞いて来られてので、ここからどのくらい時間がかかるのか分からないので、もちろんOKしました。次は、本日のお宿です。
【山の寺寺院群 妙観院】