我が国最大の前方後円墳 仁徳天皇陵古墳へ
「金剛山麓 まつまさ」駐車場を9時33分に出発すると直ぐに、「上赤坂城跡」の前を通りましたがこの後の予定を考え寄りませんでした。府道から国道309号に出て、車は一路“堺市”を目指します。途中、富田林市に通ったので遠くに“PL教大平和祈念塔”を初めて見ました。毎年8月1日の花火大会は有名ですから知っていました。車は堺市に入り、京都銀行北野田支店の前を通ると友人が「京銀に用事があるので寄って行く」と言うことで、ここで暫く待ちました。そして10時50分頃に「大仙公園仁徳御陵駐車場」に車を入れることができました。
私は初めて大阪府堺市にやって来ました。大阪から和歌山に何度も行ってるので、堺は単なる通過でしかなかったです。
2019年(平成31年)の世界文化遺産登録を目指す候補として、仁徳天皇陵含む百舌鳥・古市古墳群が候補に選ばれたとニュースで聞いたこともあって、千早城の帰りに寄ってくれるように友人にお願いしてました。
10時53分にエジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれる仁徳天皇陵古墳に初めてやって来ました。
着いたら結構な人が来られてました。よく見えるように前に進んで歩いていると、黄色のバャンパーを着られた堺市の職員でしょうか、あるパンフレットを貰いました。
「秋期 堺文化財特別公開」で期間が11月3日~4日と10日~11日までボランティアガイドさんの説明付きで普段見られない寺院や神社が見られるとのことで、「是非行ってください」と。
この情報は、堺に行くため調べていたら偶然知りました。今日も出来たら何箇所か回るつもりで来たんですが、このパンフを見て行きたい所を絞って回りたいと思った次第です。
上の写真が向かって右側・・・概ね東側の堀です。下の写真が向かって左側・・・概ね西側の堀になります。巨大な墳墓も下からでは実感がわかないですね。
宮内庁の看板に「仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵」と書いてあったので、これが正式名称なんでしょう。
でも下からでは大きさは実感できないので、近くで全景が見渡せるタワーが必要ですよね。案内の人は「近くの堺市役所庁舎21階展望ロビーから見えるので」と言われてましたが、そんなに近くに無いので・・・今日は行く時間が無い・・・です。
全景は、この立看板の絵を見て納得するようです。こちらには仁徳天皇陵の解説も書いてるので抜粋すると・・・。
仁徳天皇陵古墳は、我が国最大の前方後円墳です。第16代仁徳天皇の陵に定められ宮内庁が管理しています。墳丘の全長486㍍、後円部の直径249㍍、前方部の幅307㍍、周壕を含めた南北の長さ840㍍、東西の長さ654㍍、周囲の距離2718㍍で、その大きなことから「大仙陵」とも呼ばれています。
初めて堺市への訪問で、念願の仁徳天皇陵にやっと行けました。次に大仙公園に向かいます。地図を見て行ってみたいと思う庭園があったからです・・・で、その前に仁徳天皇陵古墳に南接する古墳が二基あるので巡りました。
先ず手前から「孫太夫山古墳」全長約56㍍、後円部径48㍍、後円部高約7.6㍍、前方部幅約30㍍です。この古墳は仁徳陵の中心線上に築かれており、関係の深さがうかがえますが埋葬施設などについては不明です。
次が「竜佐山古墳」全長61㍍、後円部径43㍍、前方部幅26㍍の前方部が短い帆立貝形をしています。東の孫太夫山古墳や西の狐山古墳とともに仁徳天皇陵古墳の陪冢(ばいちょう)の一つです。
第16代が仁徳天皇で、第17代が履中天皇で墳墓が「百舌鳥耳原南陵」だと言われています。日本書紀などに伝えられる仁徳・履中の在位順とは逆に、履中天皇陵古墳よりも後で、仁徳天皇陵古墳が築造されたことがわかっているそうで、古代史も考えるといろいろ面白いかも知れません。
【仁徳天皇陵古墳】
私は初めて大阪府堺市にやって来ました。大阪から和歌山に何度も行ってるので、堺は単なる通過でしかなかったです。
2019年(平成31年)の世界文化遺産登録を目指す候補として、仁徳天皇陵含む百舌鳥・古市古墳群が候補に選ばれたとニュースで聞いたこともあって、千早城の帰りに寄ってくれるように友人にお願いしてました。
10時53分にエジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれる仁徳天皇陵古墳に初めてやって来ました。
着いたら結構な人が来られてました。よく見えるように前に進んで歩いていると、黄色のバャンパーを着られた堺市の職員でしょうか、あるパンフレットを貰いました。
「秋期 堺文化財特別公開」で期間が11月3日~4日と10日~11日までボランティアガイドさんの説明付きで普段見られない寺院や神社が見られるとのことで、「是非行ってください」と。
この情報は、堺に行くため調べていたら偶然知りました。今日も出来たら何箇所か回るつもりで来たんですが、このパンフを見て行きたい所を絞って回りたいと思った次第です。
上の写真が向かって右側・・・概ね東側の堀です。下の写真が向かって左側・・・概ね西側の堀になります。巨大な墳墓も下からでは実感がわかないですね。
宮内庁の看板に「仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵」と書いてあったので、これが正式名称なんでしょう。
でも下からでは大きさは実感できないので、近くで全景が見渡せるタワーが必要ですよね。案内の人は「近くの堺市役所庁舎21階展望ロビーから見えるので」と言われてましたが、そんなに近くに無いので・・・今日は行く時間が無い・・・です。
全景は、この立看板の絵を見て納得するようです。こちらには仁徳天皇陵の解説も書いてるので抜粋すると・・・。
仁徳天皇陵古墳は、我が国最大の前方後円墳です。第16代仁徳天皇の陵に定められ宮内庁が管理しています。墳丘の全長486㍍、後円部の直径249㍍、前方部の幅307㍍、周壕を含めた南北の長さ840㍍、東西の長さ654㍍、周囲の距離2718㍍で、その大きなことから「大仙陵」とも呼ばれています。
初めて堺市への訪問で、念願の仁徳天皇陵にやっと行けました。次に大仙公園に向かいます。地図を見て行ってみたいと思う庭園があったからです・・・で、その前に仁徳天皇陵古墳に南接する古墳が二基あるので巡りました。
先ず手前から「孫太夫山古墳」全長約56㍍、後円部径48㍍、後円部高約7.6㍍、前方部幅約30㍍です。この古墳は仁徳陵の中心線上に築かれており、関係の深さがうかがえますが埋葬施設などについては不明です。
次が「竜佐山古墳」全長61㍍、後円部径43㍍、前方部幅26㍍の前方部が短い帆立貝形をしています。東の孫太夫山古墳や西の狐山古墳とともに仁徳天皇陵古墳の陪冢(ばいちょう)の一つです。
第16代が仁徳天皇で、第17代が履中天皇で墳墓が「百舌鳥耳原南陵」だと言われています。日本書紀などに伝えられる仁徳・履中の在位順とは逆に、履中天皇陵古墳よりも後で、仁徳天皇陵古墳が築造されたことがわかっているそうで、古代史も考えるといろいろ面白いかも知れません。
【仁徳天皇陵古墳】