大仙公園 日本庭園へ
仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵から駐車場に戻らず、そのまま大仙公園に入りました。事前に大仙公園を調べてて、ここにある日本庭園を見たくなって、向かった次第です。
公園に入ると、地上60㍍の「平和塔」が目立ちます。世界平和を祈念し、郷土の戦争犠牲者を慰霊するための塔だと、あとで知りました。
案内版にしたがって日本庭園に向かいますが、広い大仙公園・・・中々着きません。そうこうしてたらようやく門が見えてきました。
11時8分に着きましたが、ここでサプライズが。今日は11月3日の土曜日ですが、“文化の日”で祝日でもあります。そして係の方より・・・。
「本日は“文化の日”ですので無料でお入りいただけます」と呼び込みされてました。これはラッキーですよね、でも・・・普段は知りませんが、多分・・・入園者は多い筈・・・です。なお、本来なら、ここは入園料は200円です。これは事前に調べて知ってました。
入ると見事な庭園を目にしました。さすがに足立美術館の庭園で知られる中根金作氏が作庭した日本庭園ですね、堺市政100周年を記念し造られたものだそうです。
やっぱり園内は混雑してました。こうなったら有料でも空いてる方が良かったなぁ・・・と思いつつ案内にしたがって進みます。
ここから「印月橋(いんげつきょう)」と「映波橋(えいはきょう)」と呼ばれる橋を渡ります。
手前「映波橋」で、奥が「印月橋」。大海に見たてた池泉の河口の島に架かる橋です。
橋を渡りきると私は右側に進みました。帰ったから地図を見ると左側・・・西側にも庭園が広がっており、散策のコースになってましたが、この時は気がつかず・・・見損ねました・・・残念。
正面に「傘亭(かさてい)」が見えています。京都の高台寺で有名な茶室「傘亭」と同じ名前ですね、ここから庭園を見下ろせるみたいですが・・・行ってません。
少しだけ歩くと、“築山”があります。「廬山(ろざん)」と名付けてあるのは、中国江西省にある名勝“廬山”を模したからだそうです。
池の向かいに見えているのが「休憩舎(きゅうけいしゃ)」です。パンフレットによると、この建物は中世末期に納屋衆(のちに会合衆とも)呼ばれた堺の豪商たちが会合等に利用した集会所を想定して建てられたものです。
対岸の「休憩舎」には多くの人が休憩されています。それを見ながら奥に進むと「虎渓(こっけい)」と呼ばれる渓流があって、名の由来は「廬山」にある渓流からだそうです。
“渓流”の奥まった所には滝石組があつて、水が流れ落ちています。「飛龍瀑(ひりゅうばく)」と名が付いていました。
この先には中国風の休憩所・・・「甘泉殿(かんせんでん)」と呼ばれて建物がありました。この休憩舎の名は、そばに清く甘い泉が湧くことに由来します。
池の東側を一周して、“休憩舎”まで戻って来ました。ほぼ堺市民の方でしょう(多分)、多くの人が来られてます。本当に綺麗な庭園で、ここまでやって来て良かったです。
“休憩舎”の中では「菊花展」の催しがあって、ゆっくり鑑賞させてもらいました。そして帰りに、ここのパンフレットを貰って、家でゆっくり見せて貰った・・・ということです。
ここには11時20分に出て来ました。池の西側を見てないのは心残りですが・・・この後の日程を考えると時間がありませんでした(これは結果論で、この時は気がついてなかった・・・が正解です。)
さすがに中根金作氏の庭ですね、素晴らしいです。築山林泉廻遊式と呼ぶみたいですけど、出来たら再訪したい・・・そう思える庭園でした・・・が、遠方なんで、多分もう来られないでしようね。帰りは大仙公園の中を通って、車を止めている駐車場まで戻ります。その途中、目に付いたのが、堺市出身の歌人、与謝野晶子の歌碑です。
「花の名は 一年草もある故に 忘れず星は忘れやすかり」と書いてあります。これは第37回全国植樹祭を記念して花商組合が建立したものだそうです。
今回の堺市訪問では、与謝野晶子の生家などには行きませんでした。千利休屋敷跡や見所が多いので、次回はゆっくり散策・・・したいです・・・でも微妙だなぁ・・・。
駐車場に戻ると途中には、「バークレーの森」や「いこらの森」なんか書いてありましたが、この日は本当に天気が良かったです。近所なら絶好の散歩日和ですね。
最後に「小西行長ゆかりの松」がありました。どうも小西行長は堺で生まれたようで、どのような“ゆかり”かは書いて無いので不明です。
駐車場には11時40分ぐらいに出ましたので、駐車料金は200円で済みました。せっかく堺市までやって来たので先程、仁徳陵でパンフ(文化鑑賞会)をもらったので、先ずは何箇所か回ってみようと友人と相談し、さっそく向かうことにしました。
【大仙公園 日本庭園】
公園に入ると、地上60㍍の「平和塔」が目立ちます。世界平和を祈念し、郷土の戦争犠牲者を慰霊するための塔だと、あとで知りました。
案内版にしたがって日本庭園に向かいますが、広い大仙公園・・・中々着きません。そうこうしてたらようやく門が見えてきました。
11時8分に着きましたが、ここでサプライズが。今日は11月3日の土曜日ですが、“文化の日”で祝日でもあります。そして係の方より・・・。
「本日は“文化の日”ですので無料でお入りいただけます」と呼び込みされてました。これはラッキーですよね、でも・・・普段は知りませんが、多分・・・入園者は多い筈・・・です。なお、本来なら、ここは入園料は200円です。これは事前に調べて知ってました。
入ると見事な庭園を目にしました。さすがに足立美術館の庭園で知られる中根金作氏が作庭した日本庭園ですね、堺市政100周年を記念し造られたものだそうです。
やっぱり園内は混雑してました。こうなったら有料でも空いてる方が良かったなぁ・・・と思いつつ案内にしたがって進みます。
ここから「印月橋(いんげつきょう)」と「映波橋(えいはきょう)」と呼ばれる橋を渡ります。
手前「映波橋」で、奥が「印月橋」。大海に見たてた池泉の河口の島に架かる橋です。
橋を渡りきると私は右側に進みました。帰ったから地図を見ると左側・・・西側にも庭園が広がっており、散策のコースになってましたが、この時は気がつかず・・・見損ねました・・・残念。
正面に「傘亭(かさてい)」が見えています。京都の高台寺で有名な茶室「傘亭」と同じ名前ですね、ここから庭園を見下ろせるみたいですが・・・行ってません。
少しだけ歩くと、“築山”があります。「廬山(ろざん)」と名付けてあるのは、中国江西省にある名勝“廬山”を模したからだそうです。
池の向かいに見えているのが「休憩舎(きゅうけいしゃ)」です。パンフレットによると、この建物は中世末期に納屋衆(のちに会合衆とも)呼ばれた堺の豪商たちが会合等に利用した集会所を想定して建てられたものです。
対岸の「休憩舎」には多くの人が休憩されています。それを見ながら奥に進むと「虎渓(こっけい)」と呼ばれる渓流があって、名の由来は「廬山」にある渓流からだそうです。
“渓流”の奥まった所には滝石組があつて、水が流れ落ちています。「飛龍瀑(ひりゅうばく)」と名が付いていました。
この先には中国風の休憩所・・・「甘泉殿(かんせんでん)」と呼ばれて建物がありました。この休憩舎の名は、そばに清く甘い泉が湧くことに由来します。
池の東側を一周して、“休憩舎”まで戻って来ました。ほぼ堺市民の方でしょう(多分)、多くの人が来られてます。本当に綺麗な庭園で、ここまでやって来て良かったです。
“休憩舎”の中では「菊花展」の催しがあって、ゆっくり鑑賞させてもらいました。そして帰りに、ここのパンフレットを貰って、家でゆっくり見せて貰った・・・ということです。
ここには11時20分に出て来ました。池の西側を見てないのは心残りですが・・・この後の日程を考えると時間がありませんでした(これは結果論で、この時は気がついてなかった・・・が正解です。)
さすがに中根金作氏の庭ですね、素晴らしいです。築山林泉廻遊式と呼ぶみたいですけど、出来たら再訪したい・・・そう思える庭園でした・・・が、遠方なんで、多分もう来られないでしようね。帰りは大仙公園の中を通って、車を止めている駐車場まで戻ります。その途中、目に付いたのが、堺市出身の歌人、与謝野晶子の歌碑です。
「花の名は 一年草もある故に 忘れず星は忘れやすかり」と書いてあります。これは第37回全国植樹祭を記念して花商組合が建立したものだそうです。
今回の堺市訪問では、与謝野晶子の生家などには行きませんでした。千利休屋敷跡や見所が多いので、次回はゆっくり散策・・・したいです・・・でも微妙だなぁ・・・。
駐車場に戻ると途中には、「バークレーの森」や「いこらの森」なんか書いてありましたが、この日は本当に天気が良かったです。近所なら絶好の散歩日和ですね。
最後に「小西行長ゆかりの松」がありました。どうも小西行長は堺で生まれたようで、どのような“ゆかり”かは書いて無いので不明です。
駐車場には11時40分ぐらいに出ましたので、駐車料金は200円で済みました。せっかく堺市までやって来たので先程、仁徳陵でパンフ(文化鑑賞会)をもらったので、先ずは何箇所か回ってみようと友人と相談し、さっそく向かうことにしました。
【大仙公園 日本庭園】