2018年(平成30年)秋期堺文化財特別公開 方違神社へ
大仙公園の駐車場で、これから行く神社や寺院の情報を友人がナビに入れてくれて、それから出発しました。私は堺市の土地勘が無いので、どの道を通ったのか詳しい説明はできませんが、ほぼ12時ちょうどに秋期堺文化財特別公開の方違神社(ほうちがいじんじゃ)に着きました。
車は、この鳥居をくぐって入ります。驚いたことに、この日は多くの参拝者が来られており賑やかでした。
境内では子供連れの参拝者が多かったのは、“七五三詣”でしょう、参拝者が途切れないので、写真は諦めましたが、御朱印はいただきます
。授与所で聞くと、社務所内でと案内されたので、先に貰うことにしました。(順序は逆ですけど・・・)
綺麗な社務所です。この日“秋期堺文化財特別公開のバンフ”を貰って急に行くことにしたので予備知識は無しです。
七五三の受付もされているので、朱印帳を渡してからいただくまで随分時間がかかりました。有料の由緒書きもあるそうですが、無料でいただける由緒書きの方を貰って帰りました。
私が御朱印をいただくため待っている間、友人は境内をウロウロしてるのが見えてました。黄色のジャバーを着ているガイドさんが案内もされてましたが・・・。
2010年(平成22年)に創始2100年という節目で、老朽化した本殿を修復工事をされたらしく2013年(平成25年)に竣工されたようです。
綺麗になった「本殿」前で、七五三に来られた親子連れが記念撮影されるので、これでも途切れた方です
。
御祭神は、方違幸大神(かたたがえさちおおかみ) 〈四座〉八十天万魂神(やそあまよろずみたまのおおかみ)・素盞鳴尊(すさのおのみこと)・三筒男大神(みつつおのおおかみ)(住吉大神)・息気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)でした。
社務所の前に石碑があって読んでみると、「神功皇后御馬繋之松」と書かれています。読んだとおりでしょうね、ここで神功皇后が馬を繋がれたのでしょう。
方違神社の起源は古く、第75代・崇徳天皇の勅願により創建されたと伝わります。こまあたりは、河内・和泉・摂津三国の境に位置しているため、“三国山”“三国の衝”または“三国丘”と称されていました。三国の境界にあるため、方角の無い聖地であると考えられ、古来より方災除けの神として参拝者が絶えません。現在も、引越や旅行の際に全国から多くの方が参拝に来られます。
友人が何処かでウロウロしているので、私も御朱印をいただいたあと、少しだけですが境内を散策です。こちらは摂末社の「神明社」のようです。
こちらの石碑には「詠草塚」と書かれており、奥にも石碑があって「時を大切に」と読み取れます。
奥にも境内社があって「大年大明神」「鈴山大明神」「八幡大明神」「白髪大明神」「末次大明神」「楠木姫大神」があるようですが、ここより先には行きませんでした。
車を止めている側から・・・神社の裏手から「反正天皇百舌鳥耳原北陵」が見えます。前方後円墳の前方が見えているようです。
反正天皇(はんぜいてんのう)は、第18代の天皇です。先程訪れた仁徳天皇が第16代で父、履中天皇が第17代で兄に当たるわけですね。
何処かに行ってた友人も、いつの間にか戻ってきたので、私もいったん外に出ましたが、車に戻りました。
ここには12時10分過ぎに出て行きました。実際には12分~13分ぐらいしか居なかったと思いますが、大半は朱印待ちの時間でした。帰りは正面の鳥居横から出て次へと向かいました。
【方違神社】

車は、この鳥居をくぐって入ります。驚いたことに、この日は多くの参拝者が来られており賑やかでした。
境内では子供連れの参拝者が多かったのは、“七五三詣”でしょう、参拝者が途切れないので、写真は諦めましたが、御朱印はいただきます

綺麗な社務所です。この日“秋期堺文化財特別公開のバンフ”を貰って急に行くことにしたので予備知識は無しです。
七五三の受付もされているので、朱印帳を渡してからいただくまで随分時間がかかりました。有料の由緒書きもあるそうですが、無料でいただける由緒書きの方を貰って帰りました。
私が御朱印をいただくため待っている間、友人は境内をウロウロしてるのが見えてました。黄色のジャバーを着ているガイドさんが案内もされてましたが・・・。
2010年(平成22年)に創始2100年という節目で、老朽化した本殿を修復工事をされたらしく2013年(平成25年)に竣工されたようです。
綺麗になった「本殿」前で、七五三に来られた親子連れが記念撮影されるので、これでも途切れた方です

御祭神は、方違幸大神(かたたがえさちおおかみ) 〈四座〉八十天万魂神(やそあまよろずみたまのおおかみ)・素盞鳴尊(すさのおのみこと)・三筒男大神(みつつおのおおかみ)(住吉大神)・息気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)でした。
社務所の前に石碑があって読んでみると、「神功皇后御馬繋之松」と書かれています。読んだとおりでしょうね、ここで神功皇后が馬を繋がれたのでしょう。
方違神社の起源は古く、第75代・崇徳天皇の勅願により創建されたと伝わります。こまあたりは、河内・和泉・摂津三国の境に位置しているため、“三国山”“三国の衝”または“三国丘”と称されていました。三国の境界にあるため、方角の無い聖地であると考えられ、古来より方災除けの神として参拝者が絶えません。現在も、引越や旅行の際に全国から多くの方が参拝に来られます。
友人が何処かでウロウロしているので、私も御朱印をいただいたあと、少しだけですが境内を散策です。こちらは摂末社の「神明社」のようです。
こちらの石碑には「詠草塚」と書かれており、奥にも石碑があって「時を大切に」と読み取れます。
奥にも境内社があって「大年大明神」「鈴山大明神」「八幡大明神」「白髪大明神」「末次大明神」「楠木姫大神」があるようですが、ここより先には行きませんでした。
車を止めている側から・・・神社の裏手から「反正天皇百舌鳥耳原北陵」が見えます。前方後円墳の前方が見えているようです。
反正天皇(はんぜいてんのう)は、第18代の天皇です。先程訪れた仁徳天皇が第16代で父、履中天皇が第17代で兄に当たるわけですね。
何処かに行ってた友人も、いつの間にか戻ってきたので、私もいったん外に出ましたが、車に戻りました。
ここには12時10分過ぎに出て行きました。実際には12分~13分ぐらいしか居なかったと思いますが、大半は朱印待ちの時間でした。帰りは正面の鳥居横から出て次へと向かいました。
【方違神社】