2018年(平成30年)秋期堺文化財特別公開 祥雲寺へ

開口神社から秋期堺文化財特別公開 祥雲寺に行くことに当初から決めていたのは、普段は堂内に入れないのに、この日は入れるみたいな事が書いてあったからです。しかし、千早城を見学している時、友人が急遽「京都府南部の笠置山まで行こう」と言ってくれたので、開口神社から向かっても良いかなぁ・・・と私は思っていたんですが・・・それに、まだお昼も食べていなかったので、高速のSAでも入って食事でもと考えていたら、友人が「歩いて祥雲寺に行ってみよう」と行く気満々だったため、当初の予定どおり向かうことにしました

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ここには12時47分に着きました。朝一番に千早城に登っているので、私は少々お疲れ気味、それにしてもお寺の門とは思えないですね入口が。

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門と言えるかどうか通用門を入り、方丈を回り込むように参道を奥に進むと突き当たりに臨時の受付が設けてありました。

そこで、拝観料500円を・・・払うの止めました。振り返ると友人が「もういいよ」と言ってるように思ったのと、堂内にあまり興味を持てなかったからです・・・が、御朱印はいただきましたし、由緒書きも貰えました。そして受付の人に「庭園は見て良いですか?」と尋ねると「どうぞ」でしたので、庭園は見て行きます。

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受付から奥に「枯山水庭園」があります。この庭園が有名で見に来ました。残念ながら方丈の南にあるため、猛烈な逆行で眩しいです。

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第二次世界大戦で、ここも空襲を受け敷地全体が焼けたようですが、焼け残った石組をもとに整備され復元されたようですね。

臨済宗大徳寺派 龍谷山 祥雲寺は1625年(寛永2年)沢庵和尚によって創建され、本尊は十一面観音菩薩です。江戸幕府2代将軍・徳川家光のときから、幕府巡見所の一つになっており、かつては五葉松が有名で、“松の寺”と言われてました。方丈南に広がる庭園は大徳寺方丈庭園と類似の平庭式枯山水庭園で、大阪府指定名勝となっています。土塀寄りに石組を配置し手前に広い白砂空間をとっているのは、江戸時代初期の枯山水に共通する様式ですが、1945年(昭和20年)の戦災で、壮大な寺域を焼失しました。

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次に、方丈を回り込むように方丈の南から東、そして北側に出てみました。いただいた由緒書きでは、方丈の北側には茶室が、正面には庫裏があるようです。

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方丈の北側には「亀の庭」と呼ばれる庭園があります。亀を形どって石を組んだことから名付けられたそうですが・・・亀・・・分かりません

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庭園の写真を撮ったら、さっさと方丈の東側を通って元に戻ってきました。普段は入れないので、結構な人が来られ方丈(本堂)に入って行かれます。

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こちらは帰る時に気づいた「鎮守堂」です。先の大戦で焼失したそうですが、まもなく再建され、辨財天が祀られています。

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こちらも帰りに気づいた「歓喜天堂」で、ここは中に入れました。1948年(昭和23年)に再建され、夫婦和合・子授かり・病を除く「朱銀の石」が祀られてるそうです。

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最後に境外の「地蔵堂」を見て、ここを離れました。12時53分のことです。行きは探しながら来ましたが、帰りは開口神社にまっしぐらです。

開口神社には13時頃に着いて、直ぐに出ました。ここから「大浜出入口(IC)」から阪神高速4号湾岸線に乗ります。11月2日~12日まで阪神高速15号堺線がリニューアル工事で通行止めになっていたため迂回したんてず。次に阪神高速13号大阪東線から第二京阪奈道路を通って奈良市内に入り、平城宮跡を横目に見ながら以前訪れた海龍王寺や般若寺の前を通ったので懐かしかったです。そして奈良県から京都府の木津川市に入ってきたところ、あるポスターを目にし、行き先の変更を申し出をします。つづく。

【祥雲寺 庭園】



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