和倉・七尾観光旅行(二日目) 弁天崎源泉公園と湯元の広場へ

加賀屋の前に結構な公園があって「弁天崎源泉公園」といいます。昨日は夕方に着いたので行けませんでしたか、今朝は時間が早いので散策に行きました。

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公園の中央には「和倉弁天社」があります。古くは知恵・言語・音楽の神として、後に福徳財宝の神として仰がれた弁財天を祀る神社です。

ここには亀にそっくりな「亀石」なる巨石があります。私も何度も確認しましたが、本当に亀のように見える岩ですね。

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この公園一帯は、埋め立てられるまで“弁天島”という海に浮かぶ島で、亀にそっくりな亀岩は埋め立てられた後に残った弁天島の一部だそうです。

次は石碑や句碑、歌碑を巡ります。この弁天崎源泉公園にいくつかあったので見て行きますが、最初に見たのが佐佐木信綱の歌碑で・・・。

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宇た人の 国守巡り 見し日にも 山きよらに 海 志つかなりけむ」1929年(昭和4年)5月頃に信綱が和倉を来遊した際、大伴家持を偲んで詠んだ歌です。

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高浜虚子の句碑「家持の 妻恋舟か 春の海」1949年(昭和24年)和倉に来て、家持を追憶した現実の和倉の海を賞しました。

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園内には「弁天崎源泉公園」の案内が書かれています。そこには古写真があって、当時まだ孤島だったときの模様が分かります。

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こちらは「第10号源泉」で、1977年(昭和52年)12月に堀削され、深さは130㍍、泉温は93℃だそうです。

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以外に広い園内を散策です。こちらは「頌徳碑」で、廻船問屋を営んでた七海屋兵ヱ門の功績を称えるものだそうです。

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こちらは「水琴窟」だそうです。京都の寺や神社でみかける“水琴窟”と案内を読むと構造は同じですね、形は違いますが・・・。

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ここでは珍しい・・・ないかも飲める温泉」だそうです。効用が書いてありましたが、私はこれから観光、そして京都に帰るので、飲むのやめました

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これは「あったかベンチ」で座ると、ほんのり温かいです。温泉で暖めているのでしょう、朝の冷え込みには良かったです。

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第6号源泉」です。堀削は1971年(昭和46年)12月、深さ150㍍だそうです。

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最後に「涌湧開発七士賛美之碑」で、その脇には「涌湧浦涌湧浦と 家なら七つ 嶋に湯が出にゃ 誰行こや」と書いてありました。

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最後に、ここには温泉源泉がありその配管がいくつもあります。そのバルブなどがたくさんついたパイプの隙間になんと小さな祠があり「温泉(ゆ)かけ薬師如来尊像」なるものがありました。

次に弁天崎源泉公園から徒歩1分ぐらいの「湯元の広場」に行きました。

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昨日、ここをタクシーで通りました。この左を進めば加賀屋があるので、前日からここに来ることは決めてました。

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ここにも七福神があって、ここの「恵比寿神」で商売繁盛の神様ですね、この台に乗って湯気を七回浴びるとありましたが・・・。

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白鷺伝説をモチーフにした、二羽の「シラサギブロンズ像」が湯飲み場に設置されています。この二羽の間にある“湯壷”では温泉卵が作れるみたいです。

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温泉情緒たっぷりのこの広場、夜は「湯浦の炎」などのモニュメントをライトアップされるみたいです。知ってた行ってのに・・・残念・・・でもないか

加賀屋には8時頃に戻りました。今日の予定では9時30分にタクシーが迎えに来る予定でしたが、9時過ぎに客室係の方より「タクシーが迎えに来られたました」と。30分も早い到着です。昨日の運転手さんはベテランさんで、自分がリクエストしていた以外も案内していただきました。しかし、今日は運転手さんが交代です。昨日の運転手さんから、「今日のは少し頼りないので」と聞いてましたが・・・さて・・・どうなることやら。

【弁天崎源泉公園】



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