12年に一度の大混雑 イノシシ守り神 護王神社へ
北野天満宮近くのコインパーキングを8時59分に出て、今出川通りに出ます。車は、その今出川通りを東に進み、京都御所のある烏丸通りまで行き、車を右折し、南に進みます。京都御苑内にある駐車場に入るには蛤御門を左折する必要があるので、注意深く車を運転し、9時10分に「中立売西駐車場」に車を止めることが出来ました。
そして、そこから歩いて向かった先は足腰の守護神 護王神社です。近年、膝や足首の痛みが中々取れないので、ここの御守りをいつも身につけています。その御守りをいただきに訪問させてもらいました。
表門は烏丸通に面しているので写真がとりづらいです。そこで京都御所側(東側)から先に撮りましたが、交通量が多いので、車はどうしても写ってしまいます。
京都御苑の蛤御門を出て、下長者町通りの信号を渡って喜多門(北門)から境内に入りました。
昨年は、3月3日(土)に来ました。それ以来の訪問です。境内の至る所にイノシシが居る護王神社は、来年は“亥の年”でブレイク間違い無し混雑も予想されたので年末にやって来たわけです。
今年の11月12日に取り付けられた「大絵馬」で、これを撮る目的もありました。原画は京都市在住で亥年生まれの日本画家・曲子明良(まげしあきら)氏のご揮毫だそうです。
先の北野天満宮もそうでしたが、ここ護王神社も空いてました。それで目的どおり“絵馬”は撮れたので満足して帰れますが、もう少し散策します。
奥が本殿で、「中門」前で参拝します。祭神、和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)、和気広虫媛命(わけのひろむしひめのみこと)です。
それより中門前に特設の台が造られています。前途したとおり、この護王神社は12年毎に大混雑します。普段の正月の倍は来られると言われてましたが・・・結果は、後程。
表門の前には阿吽形の「狛猪(こまいのしし)」が鎮座。ここは“足腰の守護神”ですので、巨大な御守りも下がっています。
表門の“狛猪”は、2006年(平成18年)に「平成の霊猪像」と建立されたもので、拝殿前の“狛猪”は、1890年(明治23年)に故事(清麻呂公が宇佐へ向かう途中災難に遭った際、三百頭もの猪が現れ公を御護りした)に因み建立されました。
表門の右側には、イノシシの彫り物も置いてあります。探せば、ここの境内はイノシシだらけです。
表門を入って右手に「霊猪手水舎」があって、イノシシの口から水が出てきます。
本殿左手前に聳える“招魂樹(おがたまのき)の根本”に「願掛け猪」の石像があって、その周りに「座立亥串(くらたていぐし)」という願掛けの串がさしてあります。
拝殿の裏側に回り込むと“WELCOME”と木彫りされた、イノシシが展示してありました。
本殿右手前には“招魂樹の根本”に「足萎難儀回復の碑」があります。足腰の病気やけがの回復を願って祈願するそうです。
本殿右側にも「霊猪の手水舎」があります。こちらは見たところ表門近くにある手水舎より新しいですね。
本殿の南側(左に)ある「祈願殿(きがんでん)」には清麻呂公命と和気広虫姫命の御神像が安置されてるようです。
その左には「飛翔親子猪」(チェーンソー彫刻)が、樹齢300年の桂の木に神猪が子猪を守る姿を刻んだものです。
ここで「社務所」を見ると、ようやく空いたので御守りをいただき行きました。最近は“朱印ブーム”なんでしょうね、朱印待ちの行列が増えました。
ここは足腰の守護神で知られているのは、前途した猪が和気清麻呂公命を無事に宇佐までの道中を案内すると、その時、不思議にも清麻呂公が悩んでいた足萎えが治ったとの故事に因んだものです。
境内の北側には末社が三社並んでいます・・・と、その前に東側に「伊勢神宮遥拝所」があります。
末社は東から、最初が「祖霊社(近衛社)」です。護王神社の歴代宮司、神職、役員総代の霊を祀られています。
次が、「久邇宮家御霊殿」で、1964年(昭和39年)旧久邇宮家邸宅より遷座されました。多分、お向かいの京都御所内から東京へ、そしてここに遷移されたのでしょう。
「和気清麻呂公像」は、1942年(昭和17年)に滋野国民学校(滋野中学校)に建立されたものを2002年(平成14年)に移されました。
最後に「警察消防招魂社」です。警察や消防で職務に殉じた人ををお祀されています。
最初に入った喜多門(北門)近くに、ここの御祭神である「和気清麻呂公銅像」が、京都御所に向かって真っ直ぐ立っています。
また、その奥には「日本一のさざれ石」と書かれて巨石があります。君が代でお馴染みですね。
境内の東側にある「針の碑」です。毎年2月8日に行われる針供養祭で、針を柔らかい蒟蒻に刺して労をねぎらい供養されるようです。
その横に吉井勇の歌碑があって「風なきに 榠櫨(くわりん)の實(み)また ほろと落つ かくて極まる 庭のしづけさ」と書かれています。
「千年の皇都護りし和気命を いのししも守る花梨熟る宮」(興四郎)と書かれています。
ここには全国から奉納された「いのししコレクション」があって、その前には木彫りのイノシシ像がありました。
そして、新年元旦のニュースです。翌日の京都新聞に載った記事は以下のとおりです。
『12年に一度の大混雑 イノシシ守り神の京都・護王神社』
「好天に恵まれた元日、京都府内の神社や寺院は、朝から大勢の初詣客でにぎわった。足腰の守護神として知られ、境内の「狛猪(こまいのしし)」にちなみ「いのしし神社」とも呼ばれ親しまれている護王神社では、亥年にあやかって多くの参拝者が訪れ、混雑した。幅4メートル、高さ3メートルの大絵馬が飾られた境内は、午前10時を過ぎたころから混雑し始めた。お参りの行列が神社前の烏丸通にまで伸び、午後には300メートルほどの長さになった。大阪府寝屋川市から家族4人で訪れていた女性(44)は「もう1時間近く並んでいます。亥年にちなんで来ましたが、すごく混んでいますね」と話していた。同神社の本郷貴弘禰宜(47)によると、12年前の亥年の時は平年の10倍ほどの参拝者だったが、今年はそのときを上回る混雑といい、驚いた様子だった。」
と、皆の想像を上回る参拝者が殺到したようです。ニュース映像を見ましたが、あの行列の長さは驚きでしたし、境内が人で埋まっていました。そして何と・・・お正月三が日に参拝された方は、8万人だと発表されました。年末にお参りしておいて良かったと、つくづく思った次第です。
【護王神社 喜多門】
そして、そこから歩いて向かった先は足腰の守護神 護王神社です。近年、膝や足首の痛みが中々取れないので、ここの御守りをいつも身につけています。その御守りをいただきに訪問させてもらいました。
表門は烏丸通に面しているので写真がとりづらいです。そこで京都御所側(東側)から先に撮りましたが、交通量が多いので、車はどうしても写ってしまいます。
京都御苑の蛤御門を出て、下長者町通りの信号を渡って喜多門(北門)から境内に入りました。
昨年は、3月3日(土)に来ました。それ以来の訪問です。境内の至る所にイノシシが居る護王神社は、来年は“亥の年”でブレイク間違い無し混雑も予想されたので年末にやって来たわけです。
今年の11月12日に取り付けられた「大絵馬」で、これを撮る目的もありました。原画は京都市在住で亥年生まれの日本画家・曲子明良(まげしあきら)氏のご揮毫だそうです。
先の北野天満宮もそうでしたが、ここ護王神社も空いてました。それで目的どおり“絵馬”は撮れたので満足して帰れますが、もう少し散策します。
奥が本殿で、「中門」前で参拝します。祭神、和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)、和気広虫媛命(わけのひろむしひめのみこと)です。
それより中門前に特設の台が造られています。前途したとおり、この護王神社は12年毎に大混雑します。普段の正月の倍は来られると言われてましたが・・・結果は、後程。
表門の前には阿吽形の「狛猪(こまいのしし)」が鎮座。ここは“足腰の守護神”ですので、巨大な御守りも下がっています。
表門の“狛猪”は、2006年(平成18年)に「平成の霊猪像」と建立されたもので、拝殿前の“狛猪”は、1890年(明治23年)に故事(清麻呂公が宇佐へ向かう途中災難に遭った際、三百頭もの猪が現れ公を御護りした)に因み建立されました。
表門の右側には、イノシシの彫り物も置いてあります。探せば、ここの境内はイノシシだらけです。
表門を入って右手に「霊猪手水舎」があって、イノシシの口から水が出てきます。
本殿左手前に聳える“招魂樹(おがたまのき)の根本”に「願掛け猪」の石像があって、その周りに「座立亥串(くらたていぐし)」という願掛けの串がさしてあります。
拝殿の裏側に回り込むと“WELCOME”と木彫りされた、イノシシが展示してありました。
本殿右手前には“招魂樹の根本”に「足萎難儀回復の碑」があります。足腰の病気やけがの回復を願って祈願するそうです。
本殿右側にも「霊猪の手水舎」があります。こちらは見たところ表門近くにある手水舎より新しいですね。
本殿の南側(左に)ある「祈願殿(きがんでん)」には清麻呂公命と和気広虫姫命の御神像が安置されてるようです。
その左には「飛翔親子猪」(チェーンソー彫刻)が、樹齢300年の桂の木に神猪が子猪を守る姿を刻んだものです。
ここで「社務所」を見ると、ようやく空いたので御守りをいただき行きました。最近は“朱印ブーム”なんでしょうね、朱印待ちの行列が増えました。
ここは足腰の守護神で知られているのは、前途した猪が和気清麻呂公命を無事に宇佐までの道中を案内すると、その時、不思議にも清麻呂公が悩んでいた足萎えが治ったとの故事に因んだものです。
境内の北側には末社が三社並んでいます・・・と、その前に東側に「伊勢神宮遥拝所」があります。
末社は東から、最初が「祖霊社(近衛社)」です。護王神社の歴代宮司、神職、役員総代の霊を祀られています。
次が、「久邇宮家御霊殿」で、1964年(昭和39年)旧久邇宮家邸宅より遷座されました。多分、お向かいの京都御所内から東京へ、そしてここに遷移されたのでしょう。
「和気清麻呂公像」は、1942年(昭和17年)に滋野国民学校(滋野中学校)に建立されたものを2002年(平成14年)に移されました。
最後に「警察消防招魂社」です。警察や消防で職務に殉じた人ををお祀されています。
最初に入った喜多門(北門)近くに、ここの御祭神である「和気清麻呂公銅像」が、京都御所に向かって真っ直ぐ立っています。
また、その奥には「日本一のさざれ石」と書かれて巨石があります。君が代でお馴染みですね。
境内の東側にある「針の碑」です。毎年2月8日に行われる針供養祭で、針を柔らかい蒟蒻に刺して労をねぎらい供養されるようです。
その横に吉井勇の歌碑があって「風なきに 榠櫨(くわりん)の實(み)また ほろと落つ かくて極まる 庭のしづけさ」と書かれています。
「千年の皇都護りし和気命を いのししも守る花梨熟る宮」(興四郎)と書かれています。
ここには全国から奉納された「いのししコレクション」があって、その前には木彫りのイノシシ像がありました。
そして、新年元旦のニュースです。翌日の京都新聞に載った記事は以下のとおりです。
『12年に一度の大混雑 イノシシ守り神の京都・護王神社』
「好天に恵まれた元日、京都府内の神社や寺院は、朝から大勢の初詣客でにぎわった。足腰の守護神として知られ、境内の「狛猪(こまいのしし)」にちなみ「いのしし神社」とも呼ばれ親しまれている護王神社では、亥年にあやかって多くの参拝者が訪れ、混雑した。幅4メートル、高さ3メートルの大絵馬が飾られた境内は、午前10時を過ぎたころから混雑し始めた。お参りの行列が神社前の烏丸通にまで伸び、午後には300メートルほどの長さになった。大阪府寝屋川市から家族4人で訪れていた女性(44)は「もう1時間近く並んでいます。亥年にちなんで来ましたが、すごく混んでいますね」と話していた。同神社の本郷貴弘禰宜(47)によると、12年前の亥年の時は平年の10倍ほどの参拝者だったが、今年はそのときを上回る混雑といい、驚いた様子だった。」
と、皆の想像を上回る参拝者が殺到したようです。ニュース映像を見ましたが、あの行列の長さは驚きでしたし、境内が人で埋まっていました。そして何と・・・お正月三が日に参拝された方は、8万人だと発表されました。年末にお参りしておいて良かったと、つくづく思った次第です。
【護王神社 喜多門】