藤原忠通の屋敷跡に建つ神明神社へ

1月2日(水)は、初詣に六波羅蜜寺と“京都十六社朱印めぐり”で豊国神社に出かけました。その記事は早々にアップしましたが、他にも訪問した神社がありました。

先ずは、自宅を出て京都市バスに乗って四条烏丸で降り、六波羅蜜寺に向かいます。ただ地下道を行く予定が、某ビルが工事中のためやむなく、烏丸通りから綾小路通りを東に進むことにしました。すると途中で神明神社の鳥居が見えたので寄って行った次第です。

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綾小路通りに面して鳥居は建っています。ここに神明神社があることは知らなかった・・・事は無かったですが、この日はすっかり忘れてました。

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入ると右手に「手水舎」があって、水道か地下水か知りませんが栓を捻ると水が・・・分かりません。使ってないからです

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正面に「本殿」があって、左側の棚に“由緒書き”が置いてありました。そして探したんですが、“朱印”は置いて無かったです。

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本殿は、大きな屋根に覆われて雨露がしのげます。由緒書きによると祭神は天照大御神で、創建年代は不詳だそうです。

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本殿前に末社が五社あります。囲いがあるので入れませんが、望遠で見てみると左から「日本武尊」「春日大社」「伏見稲荷大社」「石清水八幡宮」「北野天満宮」と書いてありました。

平安時代末期,第76代・近衛天皇がしばしば皇居としたと伝わる藤原忠通(摂政)の屋敷跡で、四条内裏または四条東洞院内裡とも言われた。この邸内にあった鎮守の社が神明神社です。社伝によると、近衛天皇の時代、頭は猿、尾は蛇、手足は虎の「鵺(ぬえ)」という怪鳥が毎夜,空に現れ都を騒がせた。これを退治せよとの命を受けた、弓の名手であったという源頼政は神明神社に祈願をこめた後、見事に鵺を退治した、その時使われた弓矢の「やじり」二本が当社の宝物として伝わっています。藤原末期から天台宗の護国山立願寺円光院という寺によって管理されてましたが、明治初期の神仏分離令によって神社だけが残され、それ以来、神明町が管理の任に当たっています。

ここには8時24分に寄って、25分に出て来ました。そして、ここから歩いて六波羅蜜寺へと向かった訳です。地下道に入れなかったために綾小路通りを通って、たまたま見つけた神社でした。

【神明神社】



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