まもなく「京の冬の旅」が始まる善想寺へ
四条大宮は私が生まれ育った地元です。バスを降り大宮通を北上し、錦小路通り、蛸薬師通りを通過し、次の六角通りを西に入って直ぐに、浄土宗寺院 善想寺(ぜんそうじ)があります。
六角通りに面して山門が建っています。9時20分に着いてみると山門には柵があって入れませんが、通用口が開いてたので入って行くと・・・。
山門を入って右手に「庫裏」が、その先に「本堂」があって、玄関が少しだけ開いてて“どうぞ参拝ください”と書いてあったように思います。それで安心して堂内に入って行きました。
この善想寺を知ったのは、「第53回 今日の冬の旅」(1月10日~3月18日)に選ばれたからです。そこで、善想寺HPで調べると、お正月の1月1日~7日までは本堂内と地蔵堂内部に入れ参拝できそうなのでやって来ました
。
ここには初めて来たので、恐る恐る入ってみると、来週から始まる“京の冬の旅”の準備が出来てました。多くの椅子が設置されてて、ここでガイドさんが案内をされるのでしょう。
本堂の中央には中尊と脇侍の背後を1枚の「船形光背(ふながたこうはい)」が覆い、両掌を胸前で水平に重ねる独特の印を結ぶ脇侍が特徴の「善光寺式阿弥陀三尊」が安置されています。
次に堂内の右手に移動して、中央にも阿弥三尊像と、法然上人像(左)と善導大師像(右)が祀られています。
最後に堂内の左に移動し、ここも阿弥陀三尊像が祀られています。まもなく始まる“京の冬の旅”では多くの方が来られるのでしょうね・・・私は・・・今日来たので未定です
。
“京の冬の旅”では寺宝が公開されるようです。もちろん、この日は架かってませんが、これを見に来たくなったら再訪するかも・・・です。
本堂を出たら、案内が出ていたので矢印の方向に向かいます。そちらは墓地の中のようですが・・・。
墓地を入った直ぐの右手にあったのは「石仏阿弥陀如来」(平安時代後期建立)で迷うことはありませんでした。
約800年前には四条後院(ごいん)であったようで、後院(上皇の御所)内に祀られていたそうです。
次に山門まで戻ります。こちらも、お正月の1月1日~7日に公開されている「地蔵堂」に入ります。
普段は、山門横にある地蔵堂は、ガラス越しに堂内に祀られている「泥足(汗出し)地蔵尊」にお参りします。
堂内は大変狭いです。“地蔵尊”も正面からお参りしましたが、狭いので大勢の方がいつぺんには入れないでしょうね。
比叡山延暦寺の開祖、最澄自らが彫ったものと言われ、坂本村に祀られていましたが、1587年(天正15年)に善想寺にお迎えし地蔵堂を建立され現在に至っています。
最後は“朱印”です。寺務所は「庫裏」にあるようで、インターホンを押したら中から出てこられいただきました。
来週から始まる“京の冬の旅”の看板も出来てました。写真は「泥足(汗出し)地蔵菩薩像」のようです。
善想寺(ぜんそうじ)は浄土宗寺院で、開基・想阿善悦(そうあぜんえつ)上人は31歳の春、洛西の地を開拓し一寺を建立されました。その寺は法名の二字を取って善想寺と名付けられ、平安中期の上皇の御所であった四条後院の跡地に建っています。
ここには9時35分に出ました。帰りも大宮通りを南下し四条通りに出て、四条大宮の南東角にあるバス停から“207番”が来たので乗りました。道は年明け4日だということもあって空いてて、ほぼ定刻通りに“東寺東門前”で降り次の目的地に向かいました。
【善想寺 山門】

六角通りに面して山門が建っています。9時20分に着いてみると山門には柵があって入れませんが、通用口が開いてたので入って行くと・・・。
山門を入って右手に「庫裏」が、その先に「本堂」があって、玄関が少しだけ開いてて“どうぞ参拝ください”と書いてあったように思います。それで安心して堂内に入って行きました。
この善想寺を知ったのは、「第53回 今日の冬の旅」(1月10日~3月18日)に選ばれたからです。そこで、善想寺HPで調べると、お正月の1月1日~7日までは本堂内と地蔵堂内部に入れ参拝できそうなのでやって来ました

ここには初めて来たので、恐る恐る入ってみると、来週から始まる“京の冬の旅”の準備が出来てました。多くの椅子が設置されてて、ここでガイドさんが案内をされるのでしょう。
本堂の中央には中尊と脇侍の背後を1枚の「船形光背(ふながたこうはい)」が覆い、両掌を胸前で水平に重ねる独特の印を結ぶ脇侍が特徴の「善光寺式阿弥陀三尊」が安置されています。
次に堂内の右手に移動して、中央にも阿弥三尊像と、法然上人像(左)と善導大師像(右)が祀られています。
最後に堂内の左に移動し、ここも阿弥陀三尊像が祀られています。まもなく始まる“京の冬の旅”では多くの方が来られるのでしょうね・・・私は・・・今日来たので未定です

“京の冬の旅”では寺宝が公開されるようです。もちろん、この日は架かってませんが、これを見に来たくなったら再訪するかも・・・です。
本堂を出たら、案内が出ていたので矢印の方向に向かいます。そちらは墓地の中のようですが・・・。
墓地を入った直ぐの右手にあったのは「石仏阿弥陀如来」(平安時代後期建立)で迷うことはありませんでした。
約800年前には四条後院(ごいん)であったようで、後院(上皇の御所)内に祀られていたそうです。
次に山門まで戻ります。こちらも、お正月の1月1日~7日に公開されている「地蔵堂」に入ります。
普段は、山門横にある地蔵堂は、ガラス越しに堂内に祀られている「泥足(汗出し)地蔵尊」にお参りします。
堂内は大変狭いです。“地蔵尊”も正面からお参りしましたが、狭いので大勢の方がいつぺんには入れないでしょうね。
比叡山延暦寺の開祖、最澄自らが彫ったものと言われ、坂本村に祀られていましたが、1587年(天正15年)に善想寺にお迎えし地蔵堂を建立され現在に至っています。
最後は“朱印”です。寺務所は「庫裏」にあるようで、インターホンを押したら中から出てこられいただきました。
来週から始まる“京の冬の旅”の看板も出来てました。写真は「泥足(汗出し)地蔵菩薩像」のようです。
善想寺(ぜんそうじ)は浄土宗寺院で、開基・想阿善悦(そうあぜんえつ)上人は31歳の春、洛西の地を開拓し一寺を建立されました。その寺は法名の二字を取って善想寺と名付けられ、平安中期の上皇の御所であった四条後院の跡地に建っています。
ここには9時35分に出ました。帰りも大宮通りを南下し四条通りに出て、四条大宮の南東角にあるバス停から“207番”が来たので乗りました。道は年明け4日だということもあって空いてて、ほぼ定刻通りに“東寺東門前”で降り次の目的地に向かいました。
【善想寺 山門】