2019年(平成31年)「京都十六社朱印めぐり」新熊野神社へ
東寺東門前から京都市営バスの207番に乗りましたが、このバスは清水寺前に止まるので途中から外国人観光客で一杯になりました。バスは東福寺を超えて泉涌寺前か今熊野前かどちらで下車したらいいのか迷いましたが、今熊野前にしました。そして、そこから歩いて直ぐの“京都十六社朱印めぐり”新熊野神社に10時52分に着きました。
この日は、ここから混んできたんです。寒い朝には参拝には来られないのでしょう、昼前から社務所には並ぶようになりました。
東大路通り沿いに鳥居があって、少し登った先の左手に「手水舎」があります。“京都十六社朱印めぐり”の黄色い袋を持った人が数名入っていかれて、私も津続いてくぐります。
その鳥居を入った左手にあるのが後白河上皇お手植えの「大樟」さんがあります。今から300年前に紀州熊野よりと伝わる大木です。
手水舎の奥に入口があるので入ってみました。そこには「樟社」があって、祭神は樟大権現だそうです。
「影向の大楠(ようごうのおおくすのき)」と呼ばれる大木は樹齢約900年だそうで、「影向」とは神仏か現れるという意味だそうです。
神仏習合でしょうか、神が「樟大権現」、仏が「樟龍弁財天(しょうりゅうべんざいてん)」と書かれてました。
皆さんが社務所で並ばれてる隙に「本殿」で参拝を済ませました。祭神は、熊野牟須美大神(くまのふさみのおおかみ)(伊邪那美・いざなみのみこと)です。
新熊野(いまくまの)神社は、平安時代後期に生涯34回もの熊野詣をしたという後白河法皇によって、都から遠く離れた熊野まで行かずとも熊野へ参詣できるようにと創建されました。造営には平清盛が当たったそうです。そしてその鎮守社として新熊野神社を、鎮守寺として三十三間堂(蓮華王院)をも創建しました。
本殿横に張り紙があって、昨年の9月4日・・・台風21号による強風により、ここも倒木の被害があったようです。業者も数多くの被害が遭ったため、まだ手つかずの状態で立入禁止のエリアもありました。
本殿の左側(西側)に行って“熊野古道”に行ってみようと思ったら3年前には無かったエリアがありました。当然、巡ります。
「中之社」で御祭神が「天忍穂耳尊(あめのおしほみみのまこと)」(地蔵菩薩)、「瓊瓊杵尊」(龍樹菩薩)、「彦火火出見尊」(如意輪観音)、「鵜茅草葺不合尊(うかやふきあえずのみこと)」(聖観音)と書いてありました。
「上之社」で御祭神が「速玉之男大神(はやたまのをおおかみ)」(薬師如来)、「伊弉諾尊」「熊野家津御子大神(くまのけつみこのおおかみ)」(阿弥陀如来)、「素戔嗚尊」と書いてありました。
ご覧のように“熊野古道”は立入禁止です。前途した台風21号による倒木の後片付けが終わってないからです。
“熊野古道”は行けませんが、それよりその先に石段を登れるようになっていました。ここも3年前には無かったです。ここも4年続けて来てますが、昨年と2年前は朱印と参拝を済ませたらさっさと出て行ったから気づきませんでした。
ここからは本殿の裏側を見渡せます。あれだけ朱印で並ばれていましたが、ここには誰も来られません。
左から「制多伽童子(せいたかどうじ)」「弥都波能売神(みずはのめのかみ)、不動明王」「矜羯羅童子(こんがらどうじ)」でした。
東側の最後が“熊野三山”です。左から「那智の滝、熊野那智大社」「大斎ケ原(おゆみがはら)旧熊野本宮大社」「神倉山・ことひき岩、熊野速玉大社」でした。
これから西側の残りを見て行きます。ここからも本殿全体が見えてました。
西側の端まで見たので、これから戻ります。本殿の左側に降りて来たら、台風の被害でしょうか切り取られた枝が山積みに・・・。
ここから本殿の右側(東側)が移動します。こちらにも摂社末社があるので寄って行きます。
左から「若宮社」祭神は天照大神。右に行き、「下之社」で、祭神は稚産霊命(わくむすびのみこと)、軻遇突智命(かぐつちのみこと)、埴山姫命(はにやまひめのみこと)、弥都波能売命(みづはめのみこと)とありました。
右から「軻偶突智神(かぐつちのかみ)」(普賢菩薩)、「埴山姫神(はちやまひめのかみ)」(毘沙門天)、「軻偶突智神(かぐつちのかみ)」(文殊菩薩)でした。
ここには11時4分に出ました。狭い境内でしたが22分も居たことになります。久しぶりに来たら違った面もみつかって長居してしまいました。
ここから京阪「東福寺駅」まで歩きました。一年で一回しか、この道は歩きませんが忘れて無かったです。最短コースを歩いて、11時20分発の準急に乗り「京阪墨染駅」で降り、向かった先が“京都十六社朱印めぐり藤森神社です。
ここには11時30分過ぎに着きましたが、本殿前は行列でした。参拝するにも行列・・・朱印をいただくにも行列となりました。
今日は4日(金)で、我が社は営業が始まりましたが、世間では休んでいるところが多いようですね。藤森神社には11時50分頃に出て、再び京阪「墨染駅」に戻り、12時9分発の準急に乗って、「伏見桃山駅」で降りて向かった先が“京都十六社朱印めぐり御香宮です。
こちらは駅を降りると皆さん向かわれるのが御香宮です。そのため本殿前は行列ですし、朱印をいただくのも混雑してました。
御香宮には、12時27分に出ました。ここから京阪「伏見桃山駅」で行くか、近鉄「桃山御陵前駅」で行くか、ここに来るまで迷っていましたが、次の目的地を決めたので、京阪で行くことにしました。つづく。
【新熊野神社 東鳥居】
この日は、ここから混んできたんです。寒い朝には参拝には来られないのでしょう、昼前から社務所には並ぶようになりました。
東大路通り沿いに鳥居があって、少し登った先の左手に「手水舎」があります。“京都十六社朱印めぐり”の黄色い袋を持った人が数名入っていかれて、私も津続いてくぐります。
その鳥居を入った左手にあるのが後白河上皇お手植えの「大樟」さんがあります。今から300年前に紀州熊野よりと伝わる大木です。
手水舎の奥に入口があるので入ってみました。そこには「樟社」があって、祭神は樟大権現だそうです。
「影向の大楠(ようごうのおおくすのき)」と呼ばれる大木は樹齢約900年だそうで、「影向」とは神仏か現れるという意味だそうです。
神仏習合でしょうか、神が「樟大権現」、仏が「樟龍弁財天(しょうりゅうべんざいてん)」と書かれてました。
皆さんが社務所で並ばれてる隙に「本殿」で参拝を済ませました。祭神は、熊野牟須美大神(くまのふさみのおおかみ)(伊邪那美・いざなみのみこと)です。
新熊野(いまくまの)神社は、平安時代後期に生涯34回もの熊野詣をしたという後白河法皇によって、都から遠く離れた熊野まで行かずとも熊野へ参詣できるようにと創建されました。造営には平清盛が当たったそうです。そしてその鎮守社として新熊野神社を、鎮守寺として三十三間堂(蓮華王院)をも創建しました。
本殿横に張り紙があって、昨年の9月4日・・・台風21号による強風により、ここも倒木の被害があったようです。業者も数多くの被害が遭ったため、まだ手つかずの状態で立入禁止のエリアもありました。
本殿の左側(西側)に行って“熊野古道”に行ってみようと思ったら3年前には無かったエリアがありました。当然、巡ります。
「中之社」で御祭神が「天忍穂耳尊(あめのおしほみみのまこと)」(地蔵菩薩)、「瓊瓊杵尊」(龍樹菩薩)、「彦火火出見尊」(如意輪観音)、「鵜茅草葺不合尊(うかやふきあえずのみこと)」(聖観音)と書いてありました。
「上之社」で御祭神が「速玉之男大神(はやたまのをおおかみ)」(薬師如来)、「伊弉諾尊」「熊野家津御子大神(くまのけつみこのおおかみ)」(阿弥陀如来)、「素戔嗚尊」と書いてありました。
ご覧のように“熊野古道”は立入禁止です。前途した台風21号による倒木の後片付けが終わってないからです。
“熊野古道”は行けませんが、それよりその先に石段を登れるようになっていました。ここも3年前には無かったです。ここも4年続けて来てますが、昨年と2年前は朱印と参拝を済ませたらさっさと出て行ったから気づきませんでした。
ここからは本殿の裏側を見渡せます。あれだけ朱印で並ばれていましたが、ここには誰も来られません。
「後白河上皇座像」
左から「制多伽童子(せいたかどうじ)」「弥都波能売神(みずはのめのかみ)、不動明王」「矜羯羅童子(こんがらどうじ)」でした。
東側の最後が“熊野三山”です。左から「那智の滝、熊野那智大社」「大斎ケ原(おゆみがはら)旧熊野本宮大社」「神倉山・ことひき岩、熊野速玉大社」でした。
これから西側の残りを見て行きます。ここからも本殿全体が見えてました。
西側の端まで見たので、これから戻ります。本殿の左側に降りて来たら、台風の被害でしょうか切り取られた枝が山積みに・・・。
ここから本殿の右側(東側)が移動します。こちらにも摂社末社があるので寄って行きます。
左から「若宮社」祭神は天照大神。右に行き、「下之社」で、祭神は稚産霊命(わくむすびのみこと)、軻遇突智命(かぐつちのみこと)、埴山姫命(はにやまひめのみこと)、弥都波能売命(みづはめのみこと)とありました。
「花の窟(はなのいわと)」
右から「軻偶突智神(かぐつちのかみ)」(普賢菩薩)、「埴山姫神(はちやまひめのかみ)」(毘沙門天)、「軻偶突智神(かぐつちのかみ)」(文殊菩薩)でした。
ここには11時4分に出ました。狭い境内でしたが22分も居たことになります。久しぶりに来たら違った面もみつかって長居してしまいました。
ここから京阪「東福寺駅」まで歩きました。一年で一回しか、この道は歩きませんが忘れて無かったです。最短コースを歩いて、11時20分発の準急に乗り「京阪墨染駅」で降り、向かった先が“京都十六社朱印めぐり藤森神社です。
ここには11時30分過ぎに着きましたが、本殿前は行列でした。参拝するにも行列・・・朱印をいただくにも行列となりました。
今日は4日(金)で、我が社は営業が始まりましたが、世間では休んでいるところが多いようですね。藤森神社には11時50分頃に出て、再び京阪「墨染駅」に戻り、12時9分発の準急に乗って、「伏見桃山駅」で降りて向かった先が“京都十六社朱印めぐり御香宮です。
こちらは駅を降りると皆さん向かわれるのが御香宮です。そのため本殿前は行列ですし、朱印をいただくのも混雑してました。
御香宮には、12時27分に出ました。ここから京阪「伏見桃山駅」で行くか、近鉄「桃山御陵前駅」で行くか、ここに来るまで迷っていましたが、次の目的地を決めたので、京阪で行くことにしました。つづく。
【新熊野神社 東鳥居】