2019年(平成31年)「京都十六社朱印めぐり」豊国神社へ

六波羅蜜寺を出て、南へ進むと五条通りに出て渡ります。そして大和大路通りをさがること約10分で、豊臣秀吉公を祀る豊国神社に着きました。

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ここには9時17分に着きました。本音は9時過ぎに着きたかったんですが、その理由は後程

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鳥居を潜って左手に「手水舎」があって、いつものように使いますが、水が・・・チョロチョロ・・・これでは・・・貯まってる水しか使えなかったです。

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手水舎から参道を進むと、伏見城の遺構を利用された国宝「唐門」が見えています。普段は入れない唐門内に、正月1日~3日の間は参拝できます。

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唐門を潜ると正面に「拝殿」があります。普段神域で入れないので拝殿は四方が開けた構造になっており、この下を通ることも出来ます。

ここに来た目的は、今年も「京都十六社朱印めぐり」をするからです。トップバッターを豊国神社にしたのは、正月三が日しか入れない神域に行けるから・・・これが全てです。2017年(平成29年)以来、2度目ですがせっかく来るならこの日でしょう

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豊臣秀吉公を祀る「本殿」は、一段高く建てられています。拝所から覗くと分かりますが、これ以上は進めません。ここで参拝させて貰いました。

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次がその右隣にある摂社・貞照(さだてる)神社です。祭神は秀吉の正室である北政所(高台院)で、1925年(大正14年)に創祀されました。

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神域から見た、拝殿と唐門です。一年で3日だけ、この光景を見られます。この時間では数名の方が参拝に来られてて空いてました。

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豊国神社の絵馬は“ひょうたんの形”をしています。豊臣秀吉公が非常に瓢箪を好んでしたと伝わっているからでしょう

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唐門の南側に、ここにも大きな絵馬があります。可愛い猪の絵と、豊臣秀吉公にあやかり、“出世開運”と文字が書いてあります。

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宝物殿には何度か行っているのでスルーし、最後に「社務所」にて、“京都十六社朱印めぐり”の朱印をいただきました。今年は、ここからスタートします

ここを出る時、団体さんが境内に入って来られました。ちょうど良いときに参拝出来て良かったです。

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近年、豊国神社の境内に遷移された末社の「槇本(まきもと)稲荷社」毎年11月8日に御火焚祭(おひたきさい)が斎行されるそうです。

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ここを出る時に、右手に方広寺の鐘楼が見えました。当初は予定してませんでしたが、有名な梵鐘を見ていこうと寄って行くことにしました。

大坂冬の陣のきっかけになった方広寺鐘銘事件の鐘が今も残っており、いつでも見られます。本堂には入りませんが、鐘だけ見て行こう・・・と寄りました。

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明治の初めに鐘楼が取り壊されて、しばらくは方広寺の鐘は雨曝し状態になっていましたが、1884年(明治17年)に再建されました。その天井には綺麗な彩色画が描かれています。

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足元には焼失前の金銅大仏の遺物が置いてあります。なお、本堂内にも一部が展示されてました。事件となった梵鐘の銘文に“国家安康”と“君臣豊楽”は白枠に塗られているのでに誰でも直ぐに分かります。

本堂を見ると、ご本尊が外からでも見られるようになっていました。2014年(平成26年)の訪問時から変わったようです。変わったと言ったら、堂内前に“撮影禁止”の文字が・・・前は撮られたのにね。

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ここは9時30分に出て行きました。1月2日(水)の大変寒い朝でしたが、今年も頑張って“十六社”回ります。

ここから、もう一カ所行きます。正面通りを西に進み鴨川を正面橋で渡ります。そして河原町通りに出て西側に渡り、少しだけ北上すると左手に市比賣神社(いちひめじんじゃ)があります。

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ここは正月に行くと、祈祷待ちの参拝者で混んでます。“女人厄除 祈祷所”のためでしょう。

手水を使って、本殿にお参りして河原町通りにある納経所で“朱印”をいただき、出て行きました。9時42分に着いて、44分に出ていったほどです。この日は“京都十六社朱印めぐり”は2カ所だけで帰りました。


次回から前回12月30日の記事の続きに戻ります

【豊国神社 貞照神社】



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