2019年(平成31年)「京都十六社朱印めぐり」粟田神社へ
御香宮から京阪「伏見桃山駅」を12時35分発の準急に乗り、京阪「丹波橋駅」に12時37分に着くと、次に特急に乗り換えです。しかし特急は遅れて来たようで、12時40分に発車するところ6分遅れでした。そして「京阪三条駅」に12時56分に着くと、次に地下鉄「京阪三条駅」に乗り換え、13時1分発に間に合い乗ると、「蹴上駅」には13時4分着に着きました。
そこからゆっくりゆっくり歩いて行ったのは、足が相当疲れてきたから。蹴上駅から地上に上がると三条通りで、そこから暫くは下ります。そして13時24分に着いたのが“京都十六社朱印めぐり”粟田神社です。
この「石造鳥居」をくぐると、長い石段が続きます。この時間では寒さは少しマシになり、ここも参拝者が多いです。
私は登る時、少々ムキになって登ってしまいます。足が相当に疲れてましたが・・・そして着いた所が「能楽堂」です。毎年干支に因んだ人形が面白いです。
横目で社務所を見ると少し並ばれています。そこで先に「手水舎」に行きました。ここはセンサーがあるので近づくと水が出てきます。
先に「本殿」でお参りです・・・基本はそうでしょう
。祭神は、主座に素戔嗚尊、大己貴命(おおなむちのみこと)。左座に、八大王子命(はちだいやうじのみこと)。右座に、奇稲田媛命(くしいなだなひめのみこと)、神大市媛命(かむおおいちひめのみこと)、佐須良媛命(さすらひめのみこと) です。
ちょっと足が疲れたので、少しばかり休憩・・・少し汗もかきました。ここから眺望が綺麗で、平安神宮の大鳥居はよく見えてます。
休憩したあと、今日はこれで帰る事に決めました。しかし、ここではもう少し散策します。最初は「聖天社」の建設予定地から。
本殿の左側から時計回りで巡ると、最初が「朝日天満宮」(左)「多賀社」(右)で、祭神が朝日天満宮が菅原道真公。多賀社が多賀大社の御分霊を祀っています。
右隣が「大神宮」で、青蓮院の坊官である鳥居小路家の旧宅地の鎮護神でしたが、明治になって粟田神社の境内に遷座されました。現在は八幡神と春日神が両脇に配されています。
次が「出世恵比須神社」で、祭神は、蛭子大神。創建年代は不詳。もとは三条蹴上の夷谷に奉祀されていました。毎年1月9日~11日の“出世えびす祭”の期間中のみ、釣り上げた鯛を持って笑っている神像が一般に公開されます。
これを知ったのは、ここに行ったあとで・・・知っていたら来週に回したのに・・・と思った次第です。
本殿の右側から次に左側に移動します。正面からは見えない本殿の姿を、ここでは見られます。
最初は「吉兵衛神社」で、三条神宮道辺りにあった青蓮院の御門の東に奉祀されていた土地の守り神です。
そこから本殿の南側を見て、ここの境内を見ています。本殿前が空いていたので、「狛犬」も撮れました。
お昼を過ぎ、温かくなってきましたが境内は空いてきたので、あと残る摂末社を巡ります。最初は左から・・・。
朱塗りの鳥居を潜った先にあるのが、末社の「太郎兵衛神社」です。青蓮院の御門の西に奉祀されていた土地の守り神だそうです。
最後が、摂社の「北向稲荷神社」です。ここの御祭神が雪丸稲荷他三座で、雪丸稲荷は三条小鍛冶宗近(平安末期の名刀匠)が一条院の勅命により剣を打つ際に相槌を打ったお稲荷さんと云われています。
「社務所」の前も空いてきたので、ここで“京都十六社朱印めぐり”の御朱印をいただきました。ここで八箇所で、ちょうど半分です。
13時36分になって石段を降りていくと「神馬像」があるのが分かっていたので、写真だけ押さえておきました
。
石段を降りると、行きはスルーした「鍛冶神社」に寄りました。3年前と違って朱塗りの鳥居が無くなってました。
祭神が、天目一箇神、三條治宗近命、粟田口藤四郎吉光命で、後神徳が、鍛冶の神、刀剣の神、悪運を断ち良縁を切り開く神とありました。
祭神の三條治宗近命、粟田口藤四郎吉光命は、京の七口の一つとして知られる粟田口の刀工。作金者(かなだくみ)の祖である天目一筒神も祭神に祀られてる神社です。
境内には、明治天皇の歌碑「太刀」がありました。「真心を こめて錬ひしたちこそは 乱れぬくにのまもりなり けれ」と書いてあるみたいです。
足が疲れ切ったので、粟田神社を13時38分に出て、再び地下鉄「蹴上駅」まで戻り、13時55分発の地下鉄東西線に乗って、太秦天神川駅まで行き、そこから京都市営バスに乗って帰りました。今日はバスに5回乗りました。本当なら1150円でしたが、一日乗車券は600円ですので随分得しました
。
【粟田神社 鍛冶神社】

そこからゆっくりゆっくり歩いて行ったのは、足が相当疲れてきたから。蹴上駅から地上に上がると三条通りで、そこから暫くは下ります。そして13時24分に着いたのが“京都十六社朱印めぐり”粟田神社です。
この「石造鳥居」をくぐると、長い石段が続きます。この時間では寒さは少しマシになり、ここも参拝者が多いです。
私は登る時、少々ムキになって登ってしまいます。足が相当に疲れてましたが・・・そして着いた所が「能楽堂」です。毎年干支に因んだ人形が面白いです。
横目で社務所を見ると少し並ばれています。そこで先に「手水舎」に行きました。ここはセンサーがあるので近づくと水が出てきます。
先に「本殿」でお参りです・・・基本はそうでしょう

ちょっと足が疲れたので、少しばかり休憩・・・少し汗もかきました。ここから眺望が綺麗で、平安神宮の大鳥居はよく見えてます。
休憩したあと、今日はこれで帰る事に決めました。しかし、ここではもう少し散策します。最初は「聖天社」の建設予定地から。
本殿の左側から時計回りで巡ると、最初が「朝日天満宮」(左)「多賀社」(右)で、祭神が朝日天満宮が菅原道真公。多賀社が多賀大社の御分霊を祀っています。
右隣が「大神宮」で、青蓮院の坊官である鳥居小路家の旧宅地の鎮護神でしたが、明治になって粟田神社の境内に遷座されました。現在は八幡神と春日神が両脇に配されています。
次が「出世恵比須神社」で、祭神は、蛭子大神。創建年代は不詳。もとは三条蹴上の夷谷に奉祀されていました。毎年1月9日~11日の“出世えびす祭”の期間中のみ、釣り上げた鯛を持って笑っている神像が一般に公開されます。
これを知ったのは、ここに行ったあとで・・・知っていたら来週に回したのに・・・と思った次第です。
本殿の右側から次に左側に移動します。正面からは見えない本殿の姿を、ここでは見られます。
最初は「吉兵衛神社」で、三条神宮道辺りにあった青蓮院の御門の東に奉祀されていた土地の守り神です。
そこから本殿の南側を見て、ここの境内を見ています。本殿前が空いていたので、「狛犬」も撮れました。
お昼を過ぎ、温かくなってきましたが境内は空いてきたので、あと残る摂末社を巡ります。最初は左から・・・。
朱塗りの鳥居を潜った先にあるのが、末社の「太郎兵衛神社」です。青蓮院の御門の西に奉祀されていた土地の守り神だそうです。
最後が、摂社の「北向稲荷神社」です。ここの御祭神が雪丸稲荷他三座で、雪丸稲荷は三条小鍛冶宗近(平安末期の名刀匠)が一条院の勅命により剣を打つ際に相槌を打ったお稲荷さんと云われています。
「社務所」の前も空いてきたので、ここで“京都十六社朱印めぐり”の御朱印をいただきました。ここで八箇所で、ちょうど半分です。
13時36分になって石段を降りていくと「神馬像」があるのが分かっていたので、写真だけ押さえておきました

石段を降りると、行きはスルーした「鍛冶神社」に寄りました。3年前と違って朱塗りの鳥居が無くなってました。
祭神が、天目一箇神、三條治宗近命、粟田口藤四郎吉光命で、後神徳が、鍛冶の神、刀剣の神、悪運を断ち良縁を切り開く神とありました。
祭神の三條治宗近命、粟田口藤四郎吉光命は、京の七口の一つとして知られる粟田口の刀工。作金者(かなだくみ)の祖である天目一筒神も祭神に祀られてる神社です。
境内には、明治天皇の歌碑「太刀」がありました。「真心を こめて錬ひしたちこそは 乱れぬくにのまもりなり けれ」と書いてあるみたいです。
足が疲れ切ったので、粟田神社を13時38分に出て、再び地下鉄「蹴上駅」まで戻り、13時55分発の地下鉄東西線に乗って、太秦天神川駅まで行き、そこから京都市営バスに乗って帰りました。今日はバスに5回乗りました。本当なら1150円でしたが、一日乗車券は600円ですので随分得しました

【粟田神社 鍛冶神社】