第53回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 妙心寺 麟祥院へ
妙心寺塔頭 龍泉菴を出て、石畳の境内を北に向かって歩いて行きます。次の寺院は8年振りの公開ですが、その時に私は行ってます。それで場所は地図を見なくても大丈夫でした。
ほぼ法堂の東側に、今回公開されている寺院の案内が出てました。前途したとおり私は前に行っているので迷うことはありません。
それで10時25分に着いたのが第53回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 妙心寺 麟祥院です。
広大な妙心寺境内の北に位置いるので、北総門に近いでしょう。ここは“京の冬の旅”8年振りの公開です。
私が麟祥院に来たのが、2011年(平成23年)1月22日で、ほぼ8年振りの訪問となります。多分、その間は公開されなかったと思います・・・。
山門を入って右手に拝観受付があって、そこで拝観料600円を納めます。そしてスタンプラリーの用紙に2つ目のスタンプを押してもらい参道を進みます。
突き当たりに「唐風玄関」が見えています。長い参道の左手には「庫裏」がありますが、前回同様ここは非公開でした。
花頭窓から庭が見えていますが、帰りにでもじっくり見てみます。ここにガイドさんがスタンバイされてて、方丈内に入るように案内されます。
麟祥院は、1634年(寛永11年)、江戸幕府3代将軍・徳川家光が、春日局の冥福を祈るため碧翁愚完(へきおうぐかん)和尚を開山に建立した妙心寺の塔頭寺院。1897年(明治30年)に本堂・御霊屋・庫裏・鎮守などが現在地に移転され現在に至っています。家光の乳母となり、江戸城大奥の礎を築いた春日局ゆかりの寺宝などを展示されます。なお、麟祥院の名は、春日局の戒名・麟祥院殿仁淵了義尼大姉から名付けられました。
方丈内部です。室内は撮影禁止でした。手前の部屋から「西湖図」、室中の間に「雲竜図」、そして最後に「百椿図(ひゃくちんず)屏風」が展示されてます。
「室中の間」には室内に入れました。本尊は宝冠釈迦如来像と脇侍に阿難尊者と釈葉尊者を安置、春日局の嫁ぎ先である稲葉家の“隅切角に三の字”が寺紋として使用されていましたが、ご本尊は下から覗き込むようにしなければ見えないです。
襖絵は雌雄の龍が描かれた海北友雪筆「雲龍図」がガイドさんの案内で見させてみらいました。どちらが雄か雌かは・・・(チケットの半券は雌図)。
春日局と親交のあった、海北友松の子・友雪による水墨画で「雲龍図」は豪壮な筆致で江戸時代初期の傑作に数えられています。
案内には無かったんですが、ガイドブックを見ると一部複製とありました。室内に入れて間近で見たので複製だったかも知れませんね。寺宝をじっくり見せて貰ったあと、御霊屋に向かいます。
方丈(本堂)から、数段高い所にあるのが春日局を祀る「御霊屋」です。狭いのでガイドさんの話も後ろなら聞こえないです。
堂内中央に祀られているのは、小堀遠州作伝わる「春日局坐像」が安置されていますが、堂内が暗いのと入口から離れているので詳細は見えにくいです。(堂内撮影禁止のためパンフより抜粋)
春日局が仙洞御所にあった釣殿を御水尾より下賜されたもの。かつては能舞台として使用されたいたもので、蟇股や内部の折上小組格天井。透かし彫りの金具など格調の高い建物となっています。
御霊屋から見た「方丈(本堂)」です。前回は8年前でしたが、この風景は覚えていました。
その御霊屋から見た「方丈前庭園」です。ゆるやかな築山に枯滝組や石橋、舟石を捉えた枯山水庭園となっています。
方丈(本堂)裏の北東角には、多分ですが「鎮守社」が見えています。また、古井戸も見えてましたが、それ以上は行かれません。
余談ですが、春日局の菩提寺は、東京の麟祥院にあるりますが、ここは春日局の香華寺になります。これは前回のガイドさんから教えられたものです。
今回は案内されませんでしたが、この「手水鉢」は、淀城から移されたものです。淀城は稲葉家が12代148年にわたり淀藩主でした。その稲葉家と春日局との関係は・・・。
春日局こと斉藤福は、安土桃山時代から江戸時代前期の女性で、江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号です。 父は美濃国の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で明智光秀の重臣であった斎藤利三でした。美濃の豪族稲葉正成の後妻となるが、のち徳川家光の乳母となり、誠心誠意家光に仕えました。1643年(寛永20年)歿、65歳。
最後に、ガイドさんが「この花頭窓から鯱鉾が入るので撮ってみて」と言われて撮った一枚です。
これも、淀城から移された「鯱」だそうです。前回のガイドさんの話を記憶しといて良かったです。今日のガイドさんは非常に物足りないものでした。
帰りの参道で、前途した春日局の嫁ぎ先である稲葉家の“隅切角に三の字”が鬼瓦などで見かけます。これはガイドさんに質問して教えてくれたものです。
最後に拝観受付所の裏側に「春日稲荷社」があるので寄ってみました。これは前回のガイドさんに聞いた話で・・・是非、福を持って帰ってくださいと言われたことを思い出したからです。
お寺から貰った“由緒書き”にも何も書いて無かったので、ガイドさんの話が無かったら、おそらくスルーしていたでしょう。ただ春日局が稲荷信仰に篤かった・・・と思われます。
ここは10時41分に出て来ました。門前には「春日局菩提寺」と石標が立っています。
ここから目と鼻の先にある「天球院」も特別公開してますが、ここは2度ばかり訪問しており、最初から行く予定はありません。それで、ここから妙心寺第二駐車場まで戻り、帰路につきまた。
【妙心寺 麟祥院 御霊屋】
ほぼ法堂の東側に、今回公開されている寺院の案内が出てました。前途したとおり私は前に行っているので迷うことはありません。
それで10時25分に着いたのが第53回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 妙心寺 麟祥院です。
広大な妙心寺境内の北に位置いるので、北総門に近いでしょう。ここは“京の冬の旅”8年振りの公開です。
私が麟祥院に来たのが、2011年(平成23年)1月22日で、ほぼ8年振りの訪問となります。多分、その間は公開されなかったと思います・・・。
山門を入って右手に拝観受付があって、そこで拝観料600円を納めます。そしてスタンプラリーの用紙に2つ目のスタンプを押してもらい参道を進みます。
突き当たりに「唐風玄関」が見えています。長い参道の左手には「庫裏」がありますが、前回同様ここは非公開でした。
花頭窓から庭が見えていますが、帰りにでもじっくり見てみます。ここにガイドさんがスタンバイされてて、方丈内に入るように案内されます。
麟祥院は、1634年(寛永11年)、江戸幕府3代将軍・徳川家光が、春日局の冥福を祈るため碧翁愚完(へきおうぐかん)和尚を開山に建立した妙心寺の塔頭寺院。1897年(明治30年)に本堂・御霊屋・庫裏・鎮守などが現在地に移転され現在に至っています。家光の乳母となり、江戸城大奥の礎を築いた春日局ゆかりの寺宝などを展示されます。なお、麟祥院の名は、春日局の戒名・麟祥院殿仁淵了義尼大姉から名付けられました。
方丈内部です。室内は撮影禁止でした。手前の部屋から「西湖図」、室中の間に「雲竜図」、そして最後に「百椿図(ひゃくちんず)屏風」が展示されてます。
「室中の間」には室内に入れました。本尊は宝冠釈迦如来像と脇侍に阿難尊者と釈葉尊者を安置、春日局の嫁ぎ先である稲葉家の“隅切角に三の字”が寺紋として使用されていましたが、ご本尊は下から覗き込むようにしなければ見えないです。
襖絵は雌雄の龍が描かれた海北友雪筆「雲龍図」がガイドさんの案内で見させてみらいました。どちらが雄か雌かは・・・(チケットの半券は雌図)。
春日局と親交のあった、海北友松の子・友雪による水墨画で「雲龍図」は豪壮な筆致で江戸時代初期の傑作に数えられています。
案内には無かったんですが、ガイドブックを見ると一部複製とありました。室内に入れて間近で見たので複製だったかも知れませんね。寺宝をじっくり見せて貰ったあと、御霊屋に向かいます。
方丈(本堂)から、数段高い所にあるのが春日局を祀る「御霊屋」です。狭いのでガイドさんの話も後ろなら聞こえないです。
堂内中央に祀られているのは、小堀遠州作伝わる「春日局坐像」が安置されていますが、堂内が暗いのと入口から離れているので詳細は見えにくいです。(堂内撮影禁止のためパンフより抜粋)
春日局が仙洞御所にあった釣殿を御水尾より下賜されたもの。かつては能舞台として使用されたいたもので、蟇股や内部の折上小組格天井。透かし彫りの金具など格調の高い建物となっています。
御霊屋から見た「方丈(本堂)」です。前回は8年前でしたが、この風景は覚えていました。
その御霊屋から見た「方丈前庭園」です。ゆるやかな築山に枯滝組や石橋、舟石を捉えた枯山水庭園となっています。
方丈(本堂)裏の北東角には、多分ですが「鎮守社」が見えています。また、古井戸も見えてましたが、それ以上は行かれません。
余談ですが、春日局の菩提寺は、東京の麟祥院にあるりますが、ここは春日局の香華寺になります。これは前回のガイドさんから教えられたものです。
今回は案内されませんでしたが、この「手水鉢」は、淀城から移されたものです。淀城は稲葉家が12代148年にわたり淀藩主でした。その稲葉家と春日局との関係は・・・。
春日局こと斉藤福は、安土桃山時代から江戸時代前期の女性で、江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号です。 父は美濃国の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で明智光秀の重臣であった斎藤利三でした。美濃の豪族稲葉正成の後妻となるが、のち徳川家光の乳母となり、誠心誠意家光に仕えました。1643年(寛永20年)歿、65歳。
最後に、ガイドさんが「この花頭窓から鯱鉾が入るので撮ってみて」と言われて撮った一枚です。
これも、淀城から移された「鯱」だそうです。前回のガイドさんの話を記憶しといて良かったです。今日のガイドさんは非常に物足りないものでした。
帰りの参道で、前途した春日局の嫁ぎ先である稲葉家の“隅切角に三の字”が鬼瓦などで見かけます。これはガイドさんに質問して教えてくれたものです。
最後に拝観受付所の裏側に「春日稲荷社」があるので寄ってみました。これは前回のガイドさんに聞いた話で・・・是非、福を持って帰ってくださいと言われたことを思い出したからです。
お寺から貰った“由緒書き”にも何も書いて無かったので、ガイドさんの話が無かったら、おそらくスルーしていたでしょう。ただ春日局が稲荷信仰に篤かった・・・と思われます。
ここは10時41分に出て来ました。門前には「春日局菩提寺」と石標が立っています。
ここから目と鼻の先にある「天球院」も特別公開してますが、ここは2度ばかり訪問しており、最初から行く予定はありません。それで、ここから妙心寺第二駐車場まで戻り、帰路につきまた。
【妙心寺 麟祥院 御霊屋】