雪の大原 寂光院へ
1月26日(土)は、友人と岐阜にある山城や伊勢神宮を訪れる予定をしてました。ただこの冬最強の寒波が襲来し、京都市にも大雪警報が出されたこともあって、遠出は中止にし近場を散策することにして、昼から友人の車で出かけました。
目的地は、京都市内の寺院や神社に行く予定にしてましたが、天気予報のとおり雪は降らず、市内の積雪は0㌢・・・これなら岐阜に行けたかも知れません。そこで急遽予定を変更し、滋賀県大津市まで行くことになりました。大津市には京都市左京区の“途中越え”で行くことにし、その途中に三千院で知られている大原を通りました。道路は大原に向かう途中から雪が積もり始めてて・・・大原に着くと、一面雪景色となりました。それならと、友人に、久しく言ってない建礼門院ゆかりの寂光院に寄ってくれるようにお願いしたところ、快く行ってくれた次第です。
友人が、この大原の土地勘があるので道に結構、雪が積もっていても安心して乗ってました
。雪道を進むこと13時48分に「建礼門院大原西陵」前にある駐車場に車を止めてくれました。
私らが止めた駐車場には1台も止まってません。車を止めると“美ゆき茶屋”から人が出てこられ、そこで300円を払います。すると「市内は雪降ってた?」と聞かれたので「まったく降ってません」と答えました。聞くとこの辺りは雪が多いそうで、今朝の雪が積もったそうです。
雪は積もっていますが、人が歩いた所は溶けているので安心して歩けます。「拝観受付所」にて600円を納めて中に進みます。
雪が積もっている石段を上がって行きます。人が通った所は、ご覧のように溶けているので滑る心配は無かったです。
私が、ここ寂光院を訪れたのは、2度目だと記憶していますが、前回の記憶がありません。石段を上がりきった先には「山門」がありますが、その先の風景を思い出せない・・・
。
正面に2000年(平成12年)5月に放火によって焼失し、2005年(平成17年)6月に再建された「本堂」が雪を被って見えています。
本堂内部には向かって右側から入ります。案内に従って進むと、その前に豊臣秀吉の寄進により伏見城から移された南蛮鉄の「雪見燈籠」が見えます。
本堂の西側にある庭園は、“平家物語”当時のままで「汀の池」や苔むした石、汀の桜など当時の姿をとどめていますが、この日は雪を被ってて・・・それも綺麗ですけど
。
本堂を見ながら東に進み“雪見燈篭”越しに本堂を見ています。正面から上がることができないので、本堂東側に進みます。
本堂の東北側には「四方正面の池」があります。北側の背後の山腹から水を引き、三段に分かれた小さな滝を設けてありますが、雪で見えないです。
本堂の右側で靴を脱いで下駄箱に入れ堂内に入ります。堂内は撮影禁止でした。堂内には椅子が置いてあるので、人が集まるのを待って案内をされるようです。
ご本尊は、六万体地蔵菩薩立像(ろくまんたいじぞうぼさつりゅうぞう)で、放火によっては大きく焼損してしまったため復元され安置されています。また、堂内には建礼門院(けんれいもんいん)像や阿波内侍(あわのないじ)像も安置されていました。
堂内に入って、右へ左へ行きじっくり内陣を見せて貰いました。見てお参りし、早々に出て行こうとすると、お寺の方より「まもなく案内を始めますが」と言われましたが、夕方から大雪の予報も出ているし、次に滋賀県大津市まで足を運ぶので、聞きたかったのは言うまでもないですけど、堂内を出て行きました。
堂内を出て、お堂の周りを半周だけ、外の景色を撮りながら回ってみました。雪の庭を見られて本当に良かったです・・・が、すごく寒い中、目立つのは外国人観光客です。
堂内で案内を聞かないのは私と外国人観光客でしょうね
。早々に本堂を出て、“汀の池”の横にある江戸時代に建立された鐘楼には、「諸行無常の鐘」と称する梵鐘が懸かっています。
その先に、今は幹しかありませんが御神木の「千年姫小松」があります。2000年(平成12年)5月9日の放火による本堂火災により、御神木も被災してしまいました。
このあと、案内にしたがって本堂の西側・・・境内の西側から外に出ます。私の前に外国人観光客が数名・・・同じように出られたので後を付いて行くことに・・・。
“西門”を出ると、直ぐの右手に「神明神社」がありますが、ここからは神社には柵があるので行けません。行けたら無料で境内に入れてしまうからでしょうね。
雪道を奥に奥に進んで行くと、「建礼門院御庵室跡」の碑が建っています。建礼門院が出家したのが長楽寺で、晩年を過ごしたのが、ここ寂光院なんです。
建礼門院(平徳子)は、1185年(文治元年)「壇ノ浦の戦い」で、幼い第81代安徳天皇とともに入水するも源氏の平氏に助けられ、ひとり京都に送られ29歳のとき長楽寺で出家。そのあと都を遠く離れた洛北の大木ら寂光院に閑居。その地で、夫の第80代高倉天皇とわが子安徳天皇および平家一門の菩提を弔う余生を送りつつ、1191年(建久2年)2月、この地でその生涯を閉じたました。(諸説あり)
この奥に「収蔵庫」があるようです。雪で行けない・・・では無く、特別公開だけでしょうね、見られるのは。ここに今も重要文化財に指定されてる旧本尊が安置されてるそうです。
その石碑の右手奥に、建礼門院が使用したという「井戸」が残っていますが、雪で殆ど分かりません。そして再び「西門」から境内に戻って来ました。
境内に戻って、正面に「本堂」(上)。右手に「書院」(下)を見ながら山門を出ました。なお、書院は非公開のようです。
次に入ったのが「宝物殿」で、2006年(平成18年)に復興を祈念し建てられました。内部は撮影禁止で、内部にはミュージアムショップもありました。
最後に見に行ったのが茶室「孤雲」の門をくぐりました。場所は“山門”下の直ぐにあるので、行きも少しだけ覗いてました。
門を入った左手には“四阿”があって、左には“書院”が、そして正面に“孤雲”が見えています・・・が、非公開のため、ここから先は行けません。
門から少ししか入れないので、見学後直ぐに出ました。門の前には、何かの歌碑でしょうか、それと「手水鉢」もありました。
雪道を歩いてきたので、足元から冷えて来ました。雪景色をたっぷり楽しんで駐車場まで戻ると、「紫葉漬と大原女の発祥の地」の石碑を見つけました。家族が“柴漬け”が好物で、帰りに買って帰るのを失念してました
。
ここには14時10分頃に出て行きました。我が家のタイヤはノーマルですが、友人の車はスタッドレスタイヤに年末履き替えたそうで安心して乗ってられますが・・・10年目だそうです。少し心配に・・・なりました
。ここから京都市内を北上し、途中越えから滋賀県に入り、大津市でました。大原では雪が積もってましたが、大津市は積雪は0㌢です。友人は、「高島市にある白鬚神社に行こう」と言いましたが、距離が相当離れているので、やっぱり当初の予定どおり近江神宮を目指すことにしました。つづく。
【大原 寂光院】

目的地は、京都市内の寺院や神社に行く予定にしてましたが、天気予報のとおり雪は降らず、市内の積雪は0㌢・・・これなら岐阜に行けたかも知れません。そこで急遽予定を変更し、滋賀県大津市まで行くことになりました。大津市には京都市左京区の“途中越え”で行くことにし、その途中に三千院で知られている大原を通りました。道路は大原に向かう途中から雪が積もり始めてて・・・大原に着くと、一面雪景色となりました。それならと、友人に、久しく言ってない建礼門院ゆかりの寂光院に寄ってくれるようにお願いしたところ、快く行ってくれた次第です。
友人が、この大原の土地勘があるので道に結構、雪が積もっていても安心して乗ってました

私らが止めた駐車場には1台も止まってません。車を止めると“美ゆき茶屋”から人が出てこられ、そこで300円を払います。すると「市内は雪降ってた?」と聞かれたので「まったく降ってません」と答えました。聞くとこの辺りは雪が多いそうで、今朝の雪が積もったそうです。
雪は積もっていますが、人が歩いた所は溶けているので安心して歩けます。「拝観受付所」にて600円を納めて中に進みます。
雪が積もっている石段を上がって行きます。人が通った所は、ご覧のように溶けているので滑る心配は無かったです。
私が、ここ寂光院を訪れたのは、2度目だと記憶していますが、前回の記憶がありません。石段を上がりきった先には「山門」がありますが、その先の風景を思い出せない・・・

正面に2000年(平成12年)5月に放火によって焼失し、2005年(平成17年)6月に再建された「本堂」が雪を被って見えています。
本堂内部には向かって右側から入ります。案内に従って進むと、その前に豊臣秀吉の寄進により伏見城から移された南蛮鉄の「雪見燈籠」が見えます。
本堂の西側にある庭園は、“平家物語”当時のままで「汀の池」や苔むした石、汀の桜など当時の姿をとどめていますが、この日は雪を被ってて・・・それも綺麗ですけど

本堂を見ながら東に進み“雪見燈篭”越しに本堂を見ています。正面から上がることができないので、本堂東側に進みます。
本堂の東北側には「四方正面の池」があります。北側の背後の山腹から水を引き、三段に分かれた小さな滝を設けてありますが、雪で見えないです。
本堂の右側で靴を脱いで下駄箱に入れ堂内に入ります。堂内は撮影禁止でした。堂内には椅子が置いてあるので、人が集まるのを待って案内をされるようです。
ご本尊は、六万体地蔵菩薩立像(ろくまんたいじぞうぼさつりゅうぞう)で、放火によっては大きく焼損してしまったため復元され安置されています。また、堂内には建礼門院(けんれいもんいん)像や阿波内侍(あわのないじ)像も安置されていました。
堂内に入って、右へ左へ行きじっくり内陣を見せて貰いました。見てお参りし、早々に出て行こうとすると、お寺の方より「まもなく案内を始めますが」と言われましたが、夕方から大雪の予報も出ているし、次に滋賀県大津市まで足を運ぶので、聞きたかったのは言うまでもないですけど、堂内を出て行きました。
堂内を出て、お堂の周りを半周だけ、外の景色を撮りながら回ってみました。雪の庭を見られて本当に良かったです・・・が、すごく寒い中、目立つのは外国人観光客です。
堂内で案内を聞かないのは私と外国人観光客でしょうね

その先に、今は幹しかありませんが御神木の「千年姫小松」があります。2000年(平成12年)5月9日の放火による本堂火災により、御神木も被災してしまいました。
このあと、案内にしたがって本堂の西側・・・境内の西側から外に出ます。私の前に外国人観光客が数名・・・同じように出られたので後を付いて行くことに・・・。
“西門”を出ると、直ぐの右手に「神明神社」がありますが、ここからは神社には柵があるので行けません。行けたら無料で境内に入れてしまうからでしょうね。
雪道を奥に奥に進んで行くと、「建礼門院御庵室跡」の碑が建っています。建礼門院が出家したのが長楽寺で、晩年を過ごしたのが、ここ寂光院なんです。
建礼門院(平徳子)は、1185年(文治元年)「壇ノ浦の戦い」で、幼い第81代安徳天皇とともに入水するも源氏の平氏に助けられ、ひとり京都に送られ29歳のとき長楽寺で出家。そのあと都を遠く離れた洛北の大木ら寂光院に閑居。その地で、夫の第80代高倉天皇とわが子安徳天皇および平家一門の菩提を弔う余生を送りつつ、1191年(建久2年)2月、この地でその生涯を閉じたました。(諸説あり)
この奥に「収蔵庫」があるようです。雪で行けない・・・では無く、特別公開だけでしょうね、見られるのは。ここに今も重要文化財に指定されてる旧本尊が安置されてるそうです。
その石碑の右手奥に、建礼門院が使用したという「井戸」が残っていますが、雪で殆ど分かりません。そして再び「西門」から境内に戻って来ました。
境内に戻って、正面に「本堂」(上)。右手に「書院」(下)を見ながら山門を出ました。なお、書院は非公開のようです。
次に入ったのが「宝物殿」で、2006年(平成18年)に復興を祈念し建てられました。内部は撮影禁止で、内部にはミュージアムショップもありました。
最後に見に行ったのが茶室「孤雲」の門をくぐりました。場所は“山門”下の直ぐにあるので、行きも少しだけ覗いてました。
門を入った左手には“四阿”があって、左には“書院”が、そして正面に“孤雲”が見えています・・・が、非公開のため、ここから先は行けません。
門から少ししか入れないので、見学後直ぐに出ました。門の前には、何かの歌碑でしょうか、それと「手水鉢」もありました。
雪道を歩いてきたので、足元から冷えて来ました。雪景色をたっぷり楽しんで駐車場まで戻ると、「紫葉漬と大原女の発祥の地」の石碑を見つけました。家族が“柴漬け”が好物で、帰りに買って帰るのを失念してました

ここには14時10分頃に出て行きました。我が家のタイヤはノーマルですが、友人の車はスタッドレスタイヤに年末履き替えたそうで安心して乗ってられますが・・・10年目だそうです。少し心配に・・・なりました

【大原 寂光院】