近江八景「堅田の落雁」で名高い満月寺 浮御堂へ

京都大原から途中越えで滋賀県大津市に入りました。私は大津市に平成元年から7年間、大津市浜大津にある職場に通った思い出の地でもあります。その懐かしの琵琶湖大橋を正面に見て、車は左折して北上し“白鬚神社”ますが、前途のとおり途中で引き返し南下します。途中で友人から「浮御堂に行ったことある?」と聞いてきたので、「行ったことない」と返答。そしてたら「行ってみよう」と言うことになり、急遽、予定に無かった近江八景「堅田の落雁」で名高い「満月寺 浮御堂」に行くことになりました。

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竜宮門を思わせる山門(楼門)の前に駐車場があって、車はそこに止めます。友人は、以前入ったことがあるので「外で待っている」と言って、私だけこの門をくぐりました。

ここには15時過ぎに着きました。大原から少し遠回りしたこともあって、約50分で着いたことになります。ただ以前、大津に勤めていたこともあって、ここの寒さは覚えています。常に琵琶湖から冷たい強風が吹いているんですね、この日もそうでした。

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山門を入って左手に「拝観受付所」があって、そこで拝観料300円と朱印をお願いしました。今日は、神社用の朱印帳しか持って来なかったので“書き置き”をいただきました。

着いた時は、少し晴れ間もありましたが、この時間から雪が降り始め冷たい風に加え、雪も降ってきたので、ここの温度計は2℃・・・体感は0℃ぐらい・・・寒くて寒くて・・・急いで回ります。

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先客は、家族連れの一組でした。その家族連れも直ぐに出て行かれたので、ここには出るまで独占でした。

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1937年(昭和12年)に再建された琵琶湖に突き出た「浮御堂」にも雪が吹き抜けます。それでも堂内を一周したく橋を渡っていくと・・・。

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遠くに湖面を見ると句碑が建っています。肉眼では読めませんが「湖も この辺にして 鳥渡る」(高浜虚子)と調べて分かりました。

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7年間、毎日会社から見ていた琵琶湖は懐かしいです。遠くに“近江富士”や“琵琶湖大橋”が見えています。

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浮御堂の堂内には「阿弥陀仏一千体」を安置、創建時に恵心僧都が自ら刻んだで、湖上安全と衆生済度を祈願したと言われています。

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堂内を一周すると間にも雪はますます強く降ってきて、写真にも雪が写るほどです。外で待っている友人も寒いかと思うので急いで境内を廻ります。

このときは知りませんでしたが、境内には多くの句碑があります。それを見て回ります(この時は写真だけ帰ってから調べました)。

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「鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂」(松尾芭蕉)

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「雪さしわたせ 鷺の橋」(比良三上)

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「病雁も 残らで春の 渚かな」(高桑蘭更)

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境内句碑の最後がありますが、バンフに載ってないので、作者を含めてこれは不明です。

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雪が強く降ってきましたが「観音堂」に入りました。正面は秘仏でしょうか厨子の中に「聖観音座像」、左に「十一面観音立像」、右に「薬師如来座像」、そして「賓頭盧尊像」が安置されてました。

冷凍庫に入っているように粉雪が吹き付けるので、堂内の記憶は殆どありません。写真だけ撮って、早々に出て行きました。

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最初にお願いしていた“朱印”を受取、境内を出ようとしたら、パンフに載っている最後の句碑がありました。「五月雨の 雨だればかり 浮御堂」(阿波野青畝)でした。

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粉雪が猛烈に吹き付けるので、写真にも雪が写るようになりました。ここには15時10分には出て来たかと思います。

外で待っていてくれた友人は、この辺りを散策しようとしたらしいんですが、雪が降ってきたので車の中で待っててくれました。そして次へと向かいました。

【満月寺 浮御堂】



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