明智光秀一族の菩提寺 西教寺へ
鮎屋 本店を出て、最初の目的地である近江神宮に向かう途中に、明智光秀一族の菩提寺である西教寺に寄りました。今年もNHK大河ドラマ「いだてん」が始まりましたが、来年の大河「麒麟がくる」の主役は、明智光秀です。その明智光秀一族ゆかりの西教寺には2013年(平成25年)11月13日に来てるので、久々の訪問です。
2013年(平成25年)11月13日には京都定期観光バスできたので、この「総門」は見てません。この総門の左横に、乗用車が止められる駐車場がありました。
浮御堂で降り始めてた雪は止みません。写真にも雪が写っています。ここは京都定期観光バスできたため堂内にて、僧侶の方に案内を聞きました。ですからこの日は来年にはブレーク間違い無しの明智光秀・・・・その一族の墓所を見に来た訳です。
門前にあった「沢庵禅師の碑」です。1614年(慶長19年)5月頃の42歳に、この近江を巡礼していた“石山行記”という紀行文に書かれている文だそうです。
雪が舞う中、参道を奥に奥に進みます。前途したとおり2013年(平成25年)11月13日の京都定期観光バスでは、バスは奥に止められたので、この参道は初めて通ります。
参道を済むと左右に西教寺に塔頭が並んでいます。ほぼ北側には「登録有形文化財 徳乗坊」がありました。
その先にも塔頭があって、北に「實成坊」。南に「禅林坊」が、ともに登録有形文化財に指定されるみたいですね。
雪で煙る参道を奥に奥に進んで本堂を目指します。この日はスルーしましたが2013年(平成25年)11月13日では「勅使門」も見てました。
この広い境内には誰も居ません。駐車場には数台が止まってましたが、出て行かれたのでしょう・・・この雪と寒風は堪えます。
「本堂」には入れました。ここで僧侶の方が2013年(平成25年)11月13日で案内してもらいました。ただ話が長すぎて予定時間をオーバーしたみたいで、次の行程が押してしまったんですね
。
堂内を出て、次に「明智光秀一族の墓所」に向かいます。前途したとおり、前回僧侶の方の話が長かったので、境内の散策が出来なかったと記憶しています
。
この墓地には看板がありますが、寒いので“明智光秀一族の墓所”を探すことだけ・・・見てました。その手前には「宝篋印塔」があります。
ここが明智光秀の墓だと思いましたが、先程の案内図には何も書いてないので・・・分かりません。
ここが「坂本城城主・明智光秀の妻煕子(ひろこ)の墓」です。細川ガラシャの母でもあるお墓を撮ったつもりが雪のため目測を誤り撮れてません。
その右隣が「聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像」です。阿弥陀如来が二十五菩薩を従え、はるか極楽浄土の世界に導く姿でしょうか。
そして最後が「明智光秀とその一族の墓」です。戦国の世、謀反人として寂しい最後を遂げましたが、お墓も何だか寂しそうですね。
夕方で暗くなりかけた境内を急いで出て、車を止めている駐車場に戻り16時50分に出て行きました。今年の大河「いだてん」は、ビデオに撮ってますが、まだ見てません。多分、私は見ないでしょう。妻は見るからと言っているので、消さずに残していますが、来年は明智光秀が主役ですし、好きな戦国歴史ドラマ「麒麟がくる」は今から楽しみです。妻の思い出の地である亀岡市や、友人が在住の福知山市もスポットがあたるでしょう、待ち遠しいです
。
【西教寺 総門】

2013年(平成25年)11月13日には京都定期観光バスできたので、この「総門」は見てません。この総門の左横に、乗用車が止められる駐車場がありました。
浮御堂で降り始めてた雪は止みません。写真にも雪が写っています。ここは京都定期観光バスできたため堂内にて、僧侶の方に案内を聞きました。ですからこの日は来年にはブレーク間違い無しの明智光秀・・・・その一族の墓所を見に来た訳です。
門前にあった「沢庵禅師の碑」です。1614年(慶長19年)5月頃の42歳に、この近江を巡礼していた“石山行記”という紀行文に書かれている文だそうです。
雪が舞う中、参道を奥に奥に進みます。前途したとおり2013年(平成25年)11月13日の京都定期観光バスでは、バスは奥に止められたので、この参道は初めて通ります。
参道を済むと左右に西教寺に塔頭が並んでいます。ほぼ北側には「登録有形文化財 徳乗坊」がありました。
その先にも塔頭があって、北に「實成坊」。南に「禅林坊」が、ともに登録有形文化財に指定されるみたいですね。
雪で煙る参道を奥に奥に進んで本堂を目指します。この日はスルーしましたが2013年(平成25年)11月13日では「勅使門」も見てました。
この広い境内には誰も居ません。駐車場には数台が止まってましたが、出て行かれたのでしょう・・・この雪と寒風は堪えます。
「本堂」には入れました。ここで僧侶の方が2013年(平成25年)11月13日で案内してもらいました。ただ話が長すぎて予定時間をオーバーしたみたいで、次の行程が押してしまったんですね

堂内を出て、次に「明智光秀一族の墓所」に向かいます。前途したとおり、前回僧侶の方の話が長かったので、境内の散策が出来なかったと記憶しています

この墓地には看板がありますが、寒いので“明智光秀一族の墓所”を探すことだけ・・・見てました。その手前には「宝篋印塔」があります。
ここが明智光秀の墓だと思いましたが、先程の案内図には何も書いてないので・・・分かりません。
ここが「坂本城城主・明智光秀の妻煕子(ひろこ)の墓」です。細川ガラシャの母でもあるお墓を撮ったつもりが雪のため目測を誤り撮れてません。
その右隣が「聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像」です。阿弥陀如来が二十五菩薩を従え、はるか極楽浄土の世界に導く姿でしょうか。
そして最後が「明智光秀とその一族の墓」です。戦国の世、謀反人として寂しい最後を遂げましたが、お墓も何だか寂しそうですね。
夕方で暗くなりかけた境内を急いで出て、車を止めている駐車場に戻り16時50分に出て行きました。今年の大河「いだてん」は、ビデオに撮ってますが、まだ見てません。多分、私は見ないでしょう。妻は見るからと言っているので、消さずに残していますが、来年は明智光秀が主役ですし、好きな戦国歴史ドラマ「麒麟がくる」は今から楽しみです。妻の思い出の地である亀岡市や、友人が在住の福知山市もスポットがあたるでしょう、待ち遠しいです

【西教寺 総門】