2019年(平成31年)「京都十六社朱印めぐり」東天王 岡崎神社へ
「熊野神社前バス停」で殆ど待つこと無く、“錦林車庫前”行きが来ました。時刻表では13時7分発でしたので、遅れて来たようです。そこから所要時間が約3分で「岡崎神社前バス停」に着き、そこから歩いて数歩の“京都十六社朱印めぐり”東天王 岡崎神社に向かいました。
ここには13時16分に着きました。丸太町通沿いに大鳥居が建っているのか参道を進みます。
鳥居をくぐった左手には「手水舎」がありますが、ここは使われていません。参拝者は、先の今宮神社と同じぐらい多かったです。
参道を北に向かって歩いて行くと、階段の上に本殿がありますが、その前に右手にある「手水屋形」に寄りました。
中には大きな兎がいて、この兎のお腹をさすって、水を掛けてお祈りしてお参りするそうです。鳥居下の提灯も兎・・・ここも兎・・・何故か
当地は野ウサギの生息地であり、多産な兎は古くから神の使いとされ、安産の神としての信仰も篤かったからです。
階段下には、雄大な阿吽形の「狛犬」が鎮座しています。そして、本殿前が空いたので、階段を上がると・・・。
階段を上がって正面に「本殿」がありますが、その前にも珍しい可愛い「狛兎」がいます。
それで本殿をのぞき込むと可愛い“招き兎”も居ます。ここは兎ずくめですよね、それで他の神社にない若い女性や外国人観光客も、ここでは目立ちます。
御祭神は、速素盞鳴尊(すさのをのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、三女五男八柱御子神(やはしらのみこがみ) です。
本殿の右側(東側)から一周してみました。正面から見えない本殿は見えましたが、他は特に何もありません。
ここは“御守り”も可愛いのがあるので、朱印以外でも人気があるようで、少し待って「社務所」で“京都十六社朱印めぐり”の朱印をいただきました。あと、残り一つです。
朱印をいただいた後は境内を一周します。社務所の前には何だろう・・・明神鳥居の“笠木”のように見えますが・・・。
境内の北東角にある「雨社」の鳥居が見えているので、そちらに向かいます。ここでも先程の熊野神社で見かけ方が来られてました。
こちらが「雨社(あましゃ)」です。安目社とも呼ばれ、目の病気平癒のご利益があるそうです。元は如意々岳(大文字山)の山中の石祠に鎮座していたもので、全国でも珍しい竜神だそうです。天雨の恵みにより五穀豊穣を祈る雨乞いの神とありました。
御祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)、句々廼馳命(くくのちのみこと)、国挟槌尊(くにさつちのみこと)、豊宇気媛命(とようけひめのみこと)、闇象女命(みづはのめのみこと)の五柱です。
「雨社」の左隣(西側)には、「神輿庫」だと思います。その前に「岡崎神社御旅所」の石標が。毎年、10月16日の「氏子祭」では、子どもみこし10基と稚児列が繰り出すそうです。
帰りに「能楽堂」に寄ってみると「三善清行卿邸址」の石碑が新たに出来ました。三善清行って誰調べてみると・・・。
三善清行卿は、847年(承和14年)生まれ、918年(延喜18年)没。平安時代前期の公卿・漢学者・淡路守・三善氏吉の三男。官位は従四位上・参議、贈正二位。正義感に溢れた経世家で権威に屈せず、そのために官位が停滞したといわれてます。(ウィキペディアより)
これで岡崎神社を出て行こうと思いましたが、やっぱり境内社に寄って行くことにしました。
朱塗りの鳥居が連なる鳥居が特徴の「宮繁稲荷神社」です。“お稲荷さん”らしく御利益は商売繁盛です。
御祭神は、倉稲魂神(うがのみたまの神)、蛭子大神(えびす神)、大国主大神(大黒神)。元は仙洞御所の苑中に祀られていたそうで、1710年(宝永7年)に遷座されました。
あと「絵馬舎」と入口付近にある社殿の前を通って、13時26分に出ました。最後に丸太町通りから大鳥居を撮ることができました。
いよいよ“京都十六社朱印めぐり”も次の熊野若王子神社で満願です。さすがに次の目的地までのバスがないので、少し距離はありますが歩いて行きます。
【東天王 岡崎神社 社務所】
ここには13時16分に着きました。丸太町通沿いに大鳥居が建っているのか参道を進みます。
鳥居をくぐった左手には「手水舎」がありますが、ここは使われていません。参拝者は、先の今宮神社と同じぐらい多かったです。
参道を北に向かって歩いて行くと、階段の上に本殿がありますが、その前に右手にある「手水屋形」に寄りました。
中には大きな兎がいて、この兎のお腹をさすって、水を掛けてお祈りしてお参りするそうです。鳥居下の提灯も兎・・・ここも兎・・・何故か
当地は野ウサギの生息地であり、多産な兎は古くから神の使いとされ、安産の神としての信仰も篤かったからです。
階段下には、雄大な阿吽形の「狛犬」が鎮座しています。そして、本殿前が空いたので、階段を上がると・・・。
階段を上がって正面に「本殿」がありますが、その前にも珍しい可愛い「狛兎」がいます。
それで本殿をのぞき込むと可愛い“招き兎”も居ます。ここは兎ずくめですよね、それで他の神社にない若い女性や外国人観光客も、ここでは目立ちます。
御祭神は、速素盞鳴尊(すさのをのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、三女五男八柱御子神(やはしらのみこがみ) です。
本殿の右側(東側)から一周してみました。正面から見えない本殿は見えましたが、他は特に何もありません。
ここは“御守り”も可愛いのがあるので、朱印以外でも人気があるようで、少し待って「社務所」で“京都十六社朱印めぐり”の朱印をいただきました。あと、残り一つです。
朱印をいただいた後は境内を一周します。社務所の前には何だろう・・・明神鳥居の“笠木”のように見えますが・・・。
境内の北東角にある「雨社」の鳥居が見えているので、そちらに向かいます。ここでも先程の熊野神社で見かけ方が来られてました。
こちらが「雨社(あましゃ)」です。安目社とも呼ばれ、目の病気平癒のご利益があるそうです。元は如意々岳(大文字山)の山中の石祠に鎮座していたもので、全国でも珍しい竜神だそうです。天雨の恵みにより五穀豊穣を祈る雨乞いの神とありました。
御祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)、句々廼馳命(くくのちのみこと)、国挟槌尊(くにさつちのみこと)、豊宇気媛命(とようけひめのみこと)、闇象女命(みづはのめのみこと)の五柱です。
「雨社」の左隣(西側)には、「神輿庫」だと思います。その前に「岡崎神社御旅所」の石標が。毎年、10月16日の「氏子祭」では、子どもみこし10基と稚児列が繰り出すそうです。
帰りに「能楽堂」に寄ってみると「三善清行卿邸址」の石碑が新たに出来ました。三善清行って誰調べてみると・・・。
三善清行卿は、847年(承和14年)生まれ、918年(延喜18年)没。平安時代前期の公卿・漢学者・淡路守・三善氏吉の三男。官位は従四位上・参議、贈正二位。正義感に溢れた経世家で権威に屈せず、そのために官位が停滞したといわれてます。(ウィキペディアより)
これで岡崎神社を出て行こうと思いましたが、やっぱり境内社に寄って行くことにしました。
朱塗りの鳥居が連なる鳥居が特徴の「宮繁稲荷神社」です。“お稲荷さん”らしく御利益は商売繁盛です。
御祭神は、倉稲魂神(うがのみたまの神)、蛭子大神(えびす神)、大国主大神(大黒神)。元は仙洞御所の苑中に祀られていたそうで、1710年(宝永7年)に遷座されました。
あと「絵馬舎」と入口付近にある社殿の前を通って、13時26分に出ました。最後に丸太町通りから大鳥居を撮ることができました。
いよいよ“京都十六社朱印めぐり”も次の熊野若王子神社で満願です。さすがに次の目的地までのバスがないので、少し距離はありますが歩いて行きます。
【東天王 岡崎神社 社務所】