伊豆旅行 「女将のもちより雛と修禅寺庭園特別鑑賞」の修禅寺へ

日枝神社を14時43分に出ると、次に西に少しだけ歩きます。この辺りは修善寺温泉の中心地で、外国人観光客も目立ちます。

画像
向かいに流れているのが地元では“桂川”と呼ばれ、その先に架かる橋が「虎渓橋(こけいばし)」です。また、この写真の向かいにあるのが“筥湯”です。

この“筥(はこ)湯”で、1204年(元久元年)、鎌倉幕府2代将軍・源頼家が入湯中に北条氏の刺客に襲撃され暗殺されたと伝わっています。23歳でした。

その“虎渓橋”の北側にあるのが曹洞宗 福地山 修禅寺で、石段の上に山門が見えます。

画像
ここには14時44分に着きました。せっかく修善寺まで来たのに、雨降りとは・・・ついてないですね。この修禅寺に源頼家が幽閉されていたとか・・・。

画像
石段を上がると、2014年(平成26年)に修復工事をされた「山門」があります。境内を覗くと、何か催し物をされてるようで賑やかです。

画像
画像
画像
山門の改修に伴い指月殿から金剛力士像(平安時代後期の作)を移し、再び修禅寺を守護することなったようです。

山門を入った右手に「手水舎」があって、扁額には「桂谷霊泉 大師の湯」と書いてあるとおり、ここのは温泉が出てくるようです。

画像
画像
画像
また、案内では“ここの温泉は飲めます”と書いてあります。実際に飲んでみて・・・飲みませんでした。

そして正面にある「本堂」に向かいました。1883年(明治16年)に再建された本堂は、2007年(平成19年)に修復されました。

画像
画像
ご本尊は「大日如来坐像」(重要文化財)で、毎年11月1日~10日まで一般公開されるので、普段は非公開です。なおご本尊は、源頼家七回忌に際し北条政子が寄進したものです。

画像
画像
この日は、普段は非公開の書院に入れて、庭園も見られると、JTBさんから聞きました。それを楽しみ来たので早速向かいます。

女将のもちより雛と修禅寺庭園特別鑑賞」(200円)と題して、2月16日(土)~3月10日(日)まで開催されてました。

画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像
雛人形300体が展示。修善寺温泉旅館・ホテルや地元住民から寄せられたもので、人形は明治・大正・昭和・平成と四世代が揃い、それぞれの違いが楽しめます。

画像
画像
また、明治後半から昭和にかけて活躍した画家・棚田暁山 (たなだぎょうざん)の“屏風図絵”も展示されていました。

画像
そして、次がいよいよ庭園の見学です。第123代・大正天皇が東宮の時、この庭園をご覧になって「東海第一庭園」と称されたことでも知られています。

画像
画像
画像
画像
画像
この庭園は、1907年(明治40年)に整えられたようで、策定者については記録が残ってないようです。遙か達磨山から水路を引き、大小の岩を積み、滝や池を造り裏山を借景にした庭園となっています。

残念ながらガラス越しの見学でした。秋には特別公開があるようですが、そう度々来られないので、この機会に見られて良かったです。このあと書院をあとにして出てみると・・・。

画像
画像
画像
驚いたことに、外国人観光客の団体さんに境内を占拠されてました。雨が降っているのに傘もさざす気の毒でしたね。

私は寺務所で“朱印”をいただきました。この旅行で寺院は、ここだけの予定だったので寺用の朱印帳は持参しなかったため、書き置きをいただきました。

画像
境内の一角に「慶應幼稚舎疎開学園之碑」と書かれた石碑を見つけました。戦時中に疎開されたようです。

こちらの地名は修善寺ですが、修禅寺の名称は、福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)といます。807年(大同2年)に弘法大師空海に依って開創され、その後約470年間は真言宗として栄えました。 そして鎌倉時代になり、建長寺の開山である宗国の高僧である蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師が入山して臨済宗に改宗。やがて室町時代になり、韮山城主北条早雲が隆渓繁紹(りゅうけいはんじょう)禅師を住職として遠州の石雲院から招き、曹洞宗に改宗し現在に至っています。

画像
山門を入って左手・・・手水舎の向かい辺りに「鐘楼」がありました。これだけは押さえておいて、修禅寺をあとにしました。

この修禅寺で、1204年(元久元年)に鎌倉幕府2代将軍・源頼家が幽閉され、後に暗殺される舞台となったのは、ここ修善寺です。

画像
画像
今回の旅行で宿の決めてとなったのは、JTBさんのパンフを見たからです。そして修善寺に決めて、いろいろ調べてて分かったことが多いです。源頼家のことも、今回の旅行で知りました。

画像
虎渓橋(こけいばし)から修禅寺を撮りました。このままお宿には帰らず、しばらく修善寺の温泉街を散策します。

ここからお宿まで歩いて10分程度です。「電話いただいたら迎えに行く」と言われましたが、時間も早いので散策することに最初から決めていました。

【修禅寺 庭園】



この記事へのトラックバック