伊豆旅行 二日目 源頼朝配流の地「蛭ケ小島」へ
静岡県伊東市にある伊豆シャボテン動物公園を11時頃に出て車は、行きとほぼ同じコースを通り、再び修善寺近くまで戻ってから車は北に向きを変えます。次の予定は当初“韮山反射炉”でした。そして当日、“江川邸”の追加を申し出て、運転手さんは快く引き受けてくれました。その“韮山反射炉ガイダンスセンター”で12時から時代背景などを映像で紹介されるので、その時間に入ってもらう前に「蛭ケ小島に行ってみましょう」と言われたので、私も喜んでお願いしました。
車は11時53分に到着しました。殆ど時間が無いので大急ぎで見て回ります。歴史の教科書で習った“蛭ケ小島”に今立っています。
その向かいには綺麗に富士山が見えています。源頼朝や北条政子も見てたでしょうね、頼朝は京からどんな思いでここまでやって来たのでしょう。
平治の乱で破れた源義朝の嫡子、源頼朝配流の地と言われているのが蛭ケ小島です。狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、近在には古刹・和田島・土手和田等の地名が現存することから、往時は大小の田島(中州)が点在し、そのひとつが、この“蛭ケ小島”であったことが想像される。1160年(永禄元年)に14歳で、この地に流された頼朝は、1180年(治承4年)34歳で旗揚げ、やがては鎌倉幕府創設を成し遂げます。配流20年間における住居等の細部は不明で分からない。
こちらは、「秋山富南の頌徳碑」で、豆州志稿の増訂に当たった萩原正夫が、1895年(明治28年)に建立したもの。
その先に、源頼朝と北条政子の銅像が建っています。1177年(治承元年)頼朝31歳、政子21歳の姿だそうです。
富士山も少し雲がかかってきしたが山頂はくっきり見えます。本当は、昨日“十国峠”から見たかった・・・なぁ・・・と。
12時から映像が始まるので、富士山の写真を撮っていたら、運転手さんに急かされ車に乗り込みました。11時56分に出ましたが、果たして間に合うのか・・・。
【蛭ケ小島】
車は11時53分に到着しました。殆ど時間が無いので大急ぎで見て回ります。歴史の教科書で習った“蛭ケ小島”に今立っています。
その向かいには綺麗に富士山が見えています。源頼朝や北条政子も見てたでしょうね、頼朝は京からどんな思いでここまでやって来たのでしょう。
平治の乱で破れた源義朝の嫡子、源頼朝配流の地と言われているのが蛭ケ小島です。狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、近在には古刹・和田島・土手和田等の地名が現存することから、往時は大小の田島(中州)が点在し、そのひとつが、この“蛭ケ小島”であったことが想像される。1160年(永禄元年)に14歳で、この地に流された頼朝は、1180年(治承4年)34歳で旗揚げ、やがては鎌倉幕府創設を成し遂げます。配流20年間における住居等の細部は不明で分からない。
こちらは、「秋山富南の頌徳碑」で、豆州志稿の増訂に当たった萩原正夫が、1895年(明治28年)に建立したもの。
その先に、源頼朝と北条政子の銅像が建っています。1177年(治承元年)頼朝31歳、政子21歳の姿だそうです。
富士山も少し雲がかかってきしたが山頂はくっきり見えます。本当は、昨日“十国峠”から見たかった・・・なぁ・・・と。
12時から映像が始まるので、富士山の写真を撮っていたら、運転手さんに急かされ車に乗り込みました。11時56分に出ましたが、果たして間に合うのか・・・。
【蛭ケ小島】