伊豆旅行 二日目 世界文化遺産「国指定史跡韮山反射炉」へ
蛭ケ小島を出て2分程度で、「明治日本の産業革命遺産」世界文化遺産の「国指定史跡韮山反射炉」に着きました。
ほぼ12時に着いたので、運転手さんは急いで受付を案内してくれて「韮山反射炉・江川邸の共通入場券」を購入しました。
別々で購入すると1000円になりますが、共通券では700円で、300円のお得です。ここまで来たら是非“江川邸”も行くべきでしょうね。
最初に、12時から「韮山反射炉カセイダンスセンター」内にある映像ホールで「反射の全貌」を見ます。約10分ぐらいだったでしょうか予備知識無しで来たので参考になりました。あと展示物もありますが時間の都合でスルーし、実物の反射炉に向かいます。
タクシーの運転手さんがガイドさんに、反射炉の案内をしてくれるように、お願いしてくれました。私らのグルーブは7名程度・・・でした。
入口を入ると写真左の床几に座って、ガイドさんの話を聞きました。ガイドさんの話は面白かったですね・・・上手に話されました。
案内を聞きながら座って、正面から写真を撮ったものです。ここに来たら是非、ガイドさんの話を聞くべきです。事前予約がお勧めとHPには書いてありましたが・・・。
先ず、正面の「焚所風入口(たきしょふうにゅうこう)、灰穴(はいあな)」の案内がありましたが、私には難し話しは分かりませんがお話は面白かったです。
上部の焚所に自然送風を行うとともに、焚所で燃えた燃料の灰を落とすところ。上部に設置した鉄けたの上にロストル(火格子)を敷き、その上に燃料となる石炭等を置いて燃焼させていた。
ここで身振り手振りで話しをされたあと、左側にある階段を上がって、次の案内スポットで立ち止まり・・・早速話しを始められました。
ガイドさんには申し訳なかったんですが、青空に映える煉瓦造りの煙突を見上げ、夢中で写真を撮りました。
「炉体の構造」は、炉体の外側は伊豆石を積み、内側は耐火煉瓦のアーチ積み。炉床の地下には鉄板で覆われた通気用の空間が設けられている。焚所に燃料となる石炭等を配置し、燃焼させ、それによって生じた熱や炎がドーム状の天井で反射し、溶解室内の鋳物可能な千数百度の高温が実現する。このように熱や炎を反射させる仕組みから「反射炉」と呼ばれた。
この四角い穴と隣のアーチ型の穴の前でパネルを使って案内してもらいました。内部も覗き込んだけど・・・暗くて見えなかったです。
「石炭投入口」。これは燃料となる石炭等の投入口で、当時の技術書によると、内部の焚所(燃焼室)において最初に弱火でロストルを温め、その上に木くずと薪を置き、石炭を堰より高くなる程度に入れて熱や炎を発生されていた。
「鋳物鉄投入口」。原材料となる鋳物鉄等の投入口で、内部の溶解室において溶解された鋳物鉄は、ゆるやかな下り勾配の炉床を出湯口に向かって流れていく。
次に「出湯口側(しゅうとうこうがわ)」に移動です。ここから溶解した鉄が流れ出てきたのでしょう、江戸時代後期に、このようなものを造った・・・と感心します。
「方孔(ほうこう)」は、溶解した鉄をかき混ぜたり、取り出して品質を調べたりするところ。「出滓口(しゅっさいこう)」は、溶解した鉄の上部に浮く滓をとりだすところ。「出湯口(しゅっとうこう)」は、溶解した鉄が流れ出てくるところ。
ここから溶解した鉄が・・・ドバッ・・・と出てくるようです。プールのようになっていますが、実際には、この下に埋められるそうで・・・。
「鋳台」で、反射炉本体で溶解した鉄を鋳型に流し込み成形した施設。過去に実施された発掘調査の際に木造の遺構が確認され、現在は地中に保存されている。
反射炉本体は、内部の天井がドーム状になっている炉体本部と、煉瓦積みの高い煙突から成り、高さは15.7㍍。煙突の外観は上部に向かって細くなっているが、煙道は同じ広さで、人が一人入れるほどである。15.7㍍の高さを必要としたのは、燃焼時にふいごなどの人力によらず、自然送風により大量な空気の吸引を確保するためである。反射炉本体の築造技術は幕末に長崎を通じて輸入されたオランダの大砲鋳造法を翻訳して取り入れたものであり、当時における西洋技術の導入と国内での伝播を物語っている。加えて、基礎構造に松杭を使用するなど従来の土木技術の援用も見られる。建設当時は煙突部の煉瓦の表面に漆喰が塗られており、白亜の塔のような姿であった。
ここに展示してある「鋳鉄製24ポンドカノン砲」は復元されたもので、1998年(平成10年)3月に設置されました。全長3.5㍍、重量3.5㌧もあります。
「反射炉碑」1926年(大正15年)建立。韮山反射炉の概要や建設に至る背景、建設舎である江川英龍を顕彰すめ内容等の碑文が刻まれています。
韮山反射炉で造られたのは18ポンドカノン砲でした。幕末期の代官江川英龍(坦庵)が手がけ、後を継いだその子英敏(ひでとし)が完成させました韮山反射炉は、実際に稼働した反射炉として国内で唯一現存するものです。
ガイドさんの話が終わると、運転手さんには時間が押しているのか、次に少し離れた江川英龍の銅像に案内してくれました。
江川英龍は、このあと「江川邸」に行くので、そのときに案内を聞きたいと思いながら写真を撮りました。
反射炉から江川邸まで、車で5分程度だそうです。そこも案内があるので、見学時間は30分程度だそうで、運転手さんも少々・・・焦りぎみに出発しました。
ここ、世界文化遺産の韮崎反射炉を12時34分に出て行きました。また富士山が見えるかなぁ・・・と思って探しているまに“江川邸”に着きました。
【韮山反射炉】
ほぼ12時に着いたので、運転手さんは急いで受付を案内してくれて「韮山反射炉・江川邸の共通入場券」を購入しました。
別々で購入すると1000円になりますが、共通券では700円で、300円のお得です。ここまで来たら是非“江川邸”も行くべきでしょうね。
最初に、12時から「韮山反射炉カセイダンスセンター」内にある映像ホールで「反射の全貌」を見ます。約10分ぐらいだったでしょうか予備知識無しで来たので参考になりました。あと展示物もありますが時間の都合でスルーし、実物の反射炉に向かいます。
タクシーの運転手さんがガイドさんに、反射炉の案内をしてくれるように、お願いしてくれました。私らのグルーブは7名程度・・・でした。
入口を入ると写真左の床几に座って、ガイドさんの話を聞きました。ガイドさんの話は面白かったですね・・・上手に話されました。
案内を聞きながら座って、正面から写真を撮ったものです。ここに来たら是非、ガイドさんの話を聞くべきです。事前予約がお勧めとHPには書いてありましたが・・・。
先ず、正面の「焚所風入口(たきしょふうにゅうこう)、灰穴(はいあな)」の案内がありましたが、私には難し話しは分かりませんがお話は面白かったです。
上部の焚所に自然送風を行うとともに、焚所で燃えた燃料の灰を落とすところ。上部に設置した鉄けたの上にロストル(火格子)を敷き、その上に燃料となる石炭等を置いて燃焼させていた。
ここで身振り手振りで話しをされたあと、左側にある階段を上がって、次の案内スポットで立ち止まり・・・早速話しを始められました。
ガイドさんには申し訳なかったんですが、青空に映える煉瓦造りの煙突を見上げ、夢中で写真を撮りました。
「炉体の構造」は、炉体の外側は伊豆石を積み、内側は耐火煉瓦のアーチ積み。炉床の地下には鉄板で覆われた通気用の空間が設けられている。焚所に燃料となる石炭等を配置し、燃焼させ、それによって生じた熱や炎がドーム状の天井で反射し、溶解室内の鋳物可能な千数百度の高温が実現する。このように熱や炎を反射させる仕組みから「反射炉」と呼ばれた。
この四角い穴と隣のアーチ型の穴の前でパネルを使って案内してもらいました。内部も覗き込んだけど・・・暗くて見えなかったです。
「石炭投入口」。これは燃料となる石炭等の投入口で、当時の技術書によると、内部の焚所(燃焼室)において最初に弱火でロストルを温め、その上に木くずと薪を置き、石炭を堰より高くなる程度に入れて熱や炎を発生されていた。
「鋳物鉄投入口」。原材料となる鋳物鉄等の投入口で、内部の溶解室において溶解された鋳物鉄は、ゆるやかな下り勾配の炉床を出湯口に向かって流れていく。
次に「出湯口側(しゅうとうこうがわ)」に移動です。ここから溶解した鉄が流れ出てきたのでしょう、江戸時代後期に、このようなものを造った・・・と感心します。
「方孔(ほうこう)」は、溶解した鉄をかき混ぜたり、取り出して品質を調べたりするところ。「出滓口(しゅっさいこう)」は、溶解した鉄の上部に浮く滓をとりだすところ。「出湯口(しゅっとうこう)」は、溶解した鉄が流れ出てくるところ。
ここから溶解した鉄が・・・ドバッ・・・と出てくるようです。プールのようになっていますが、実際には、この下に埋められるそうで・・・。
「鋳台」で、反射炉本体で溶解した鉄を鋳型に流し込み成形した施設。過去に実施された発掘調査の際に木造の遺構が確認され、現在は地中に保存されている。
反射炉本体は、内部の天井がドーム状になっている炉体本部と、煉瓦積みの高い煙突から成り、高さは15.7㍍。煙突の外観は上部に向かって細くなっているが、煙道は同じ広さで、人が一人入れるほどである。15.7㍍の高さを必要としたのは、燃焼時にふいごなどの人力によらず、自然送風により大量な空気の吸引を確保するためである。反射炉本体の築造技術は幕末に長崎を通じて輸入されたオランダの大砲鋳造法を翻訳して取り入れたものであり、当時における西洋技術の導入と国内での伝播を物語っている。加えて、基礎構造に松杭を使用するなど従来の土木技術の援用も見られる。建設当時は煙突部の煉瓦の表面に漆喰が塗られており、白亜の塔のような姿であった。
ここに展示してある「鋳鉄製24ポンドカノン砲」は復元されたもので、1998年(平成10年)3月に設置されました。全長3.5㍍、重量3.5㌧もあります。
「反射炉碑」1926年(大正15年)建立。韮山反射炉の概要や建設に至る背景、建設舎である江川英龍を顕彰すめ内容等の碑文が刻まれています。
韮山反射炉で造られたのは18ポンドカノン砲でした。幕末期の代官江川英龍(坦庵)が手がけ、後を継いだその子英敏(ひでとし)が完成させました韮山反射炉は、実際に稼働した反射炉として国内で唯一現存するものです。
ガイドさんの話が終わると、運転手さんには時間が押しているのか、次に少し離れた江川英龍の銅像に案内してくれました。
江川英龍は、このあと「江川邸」に行くので、そのときに案内を聞きたいと思いながら写真を撮りました。
反射炉から江川邸まで、車で5分程度だそうです。そこも案内があるので、見学時間は30分程度だそうで、運転手さんも少々・・・焦りぎみに出発しました。
ここ、世界文化遺産の韮崎反射炉を12時34分に出て行きました。また富士山が見えるかなぁ・・・と思って探しているまに“江川邸”に着きました。
【韮山反射炉】