伊豆旅行 二日目 伊豆国一宮 三嶋大社へ
三嶋大社の前で車を降りたので、目の前が鳥居です。この三嶋大社は源頼朝が源氏再興を祈願したことでも知られている伊豆国一宮 三嶋大社は、この旅行では外せないですね。
堂々たる白御影石の「大鳥居」を13時32分にくぐりました。あとで知ったことですが、この前の通りが“旧東海道”だったみたいです。また、南に延びる街道が“下田街道”でした。
大鳥居をくぐった直ぐの所に「たたり石」がありしまた。怖そうなネーミングですが、旧東海道の中央にあって、人々の往来を整理する役目があったとか。“たたり”とは糸のもつれを防ぐ具のことです。
その先には、若山牧水の歌碑があって「のずゑなる 三島のまちのあげ花火 月夜のそらに 散りて消ゆなり」と、三嶋大社の夏祭を見て詠まれました。
この先には「相生松」があります。ここで1180年(治承4年)源頼朝が源氏再興を祈願し、三嶋大社に祈願しに参拝した時、従者の安達藤九郎盛長が、この場所で警護したと伝わります。
次に源頼朝が放生会を行ったと伝わる「神池(しんち)」を渡ります。三嶋大社の東に流れる“大場川”から水を引かれているとか。
ここで神池に浮かぶ島にある「厳島神社」に寄りました。北条政子が勧請したと伝わり、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀っています。
その“厳島神社”に至る朱塗りの橋の先に、三嶋大社の「狛犬」が鎮座しています。
“狛犬”を過ぎ「総門」に出ました。三嶋大社の外構えの門で、注連縄は、毎年年末に張り替えられます。総重量は400㌔もあります。
“総門”をくぐっても、まだまだ参道は続きます。神門に向かって歩いて行くと左手に「手水舎」がありました。
手水舎で手と口を清めたら次に「神門」をくぐります。唐破風を備えた銅板葺に欄間の彫刻も見事です。1867年(慶應3年)に再建されました。
神門の先が「舞殿(ぶでん)」です。1866年(慶應2年)に再建され、ここでは舞や奉納神事が行われます。
1866年(慶應2年)の再建で、本殿・幣殿・拝殿を総称し「御殿」と詠んでいます。欅造りの社殿に施された彫刻は見事です。
御祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)、積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)の二柱。その御二柱の神を総じて三嶋大明神と称しています。富士火山帯の根元の神、国土開発の神として古くから信仰されています。
国の重要文化財に指定されている“御殿”は雄大で壮麗でした。そして次に境内にある摂末社を巡ります。
南側が「西五社」です。左から「幸神社」「第三社」「聖神社」「天神社」「大楠社」です。北側には「夏目神社」があって、祭神は三嶋大神の后神六柱が祀られています。
次に本殿西側の「若宮神社」です。御祭神は物忌奈乃命(三嶋大神の御子神)、誉田別命(応神天皇)、神功皇后が祀られています。
境内の東側に移動し「東五社」に来ました。南から「小楠社」「第二社」「酒神社」「飯神社」「船寄社」でした。
その北側に「授与所」がありました。ここで朱印をいただこうと思いきや、朱印は“客殿(きゃくでん)”でした。
早速、今度は西側に移動し、「客殿(きゃくでん)」に入り御朱印をいただきました。ここでは並ばずに済みました。
朱印を待っているの間、ここから小さな祠が見えました。あとで調べると「水神社」と分かりました。
今度は、境内の東側に移動です。ここには「天然記念物 金木犀」があって、樹齢1200年と推定されてます。開花すると甘い香りが一面にするそうです。
金木犀の奥を進んでいくと「伊豆魂神社(いずたまじんじゃ)」の社標を見つけたので行ってみました。
伊豆一円の“西南の役”以降の戦没者の御霊が祀られている神社です。1967年(昭和42年)に創建されました。
この境内で見つけた、松尾芭蕉句碑「どむみりと 棟(あふち)や雨の 花曇り」は、1694年(元禄7年)5月14日に三島神社に参詣した際に、江戸に残してきて病床の妻のみを案じて詠んだ句です。
また境内に戻ると「矢田部式部盛治大人銅像」」に寄りました。1854年(嘉永7年)11月の東海大地震で倒壊した社殿を10年の歳月をかけて復興させたとありました。
こちらは境内の東端にあった「神馬舎」です。中には“神馬”も。ここだけは人が空くのを待ちました。
三嶋大社に行かれた方はお分かり方と思いますが、先程から境内の西や東へと移動しています。実はトイレを探していたんです。伊豆シャボテン動物公園を出てからスケジュールが切迫してて、トイレが出来なかったからです。ここには案内が出てなかったので、西へ東へと探した次第です。
“神馬舎”の南側には源頼朝や北条政子が腰掛けたと伝わる「腰掛け石」があります。頼朝は平家打倒を祈願しに訪れて、この石にを腰掛けたと伝わっています。
トイレがあるかなぁ・・・と思い近づいてみた「社務所」です。綺麗に梅が咲いていました。
最後に「宝物館」に寄りました。入ってみようかなぁ・・・と思いましたが、興味を引く物がなかったので止めました。
ここの境内が広いので疲れました。ここを出る前に樹齢550年の“モッコク”を見てから出て行きました。
三嶋大社には、14時1分に出ました。次は歩いて10分程度と見込んでいましが・・・帰りの新幹線は、15時48分発です。三島駅には15時30分までには戻る予定で、次の目的地に歩いていまきした。
【三嶋大社】
堂々たる白御影石の「大鳥居」を13時32分にくぐりました。あとで知ったことですが、この前の通りが“旧東海道”だったみたいです。また、南に延びる街道が“下田街道”でした。
大鳥居をくぐった直ぐの所に「たたり石」がありしまた。怖そうなネーミングですが、旧東海道の中央にあって、人々の往来を整理する役目があったとか。“たたり”とは糸のもつれを防ぐ具のことです。
その先には、若山牧水の歌碑があって「のずゑなる 三島のまちのあげ花火 月夜のそらに 散りて消ゆなり」と、三嶋大社の夏祭を見て詠まれました。
この先には「相生松」があります。ここで1180年(治承4年)源頼朝が源氏再興を祈願し、三嶋大社に祈願しに参拝した時、従者の安達藤九郎盛長が、この場所で警護したと伝わります。
次に源頼朝が放生会を行ったと伝わる「神池(しんち)」を渡ります。三嶋大社の東に流れる“大場川”から水を引かれているとか。
ここで神池に浮かぶ島にある「厳島神社」に寄りました。北条政子が勧請したと伝わり、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀っています。
その“厳島神社”に至る朱塗りの橋の先に、三嶋大社の「狛犬」が鎮座しています。
“狛犬”を過ぎ「総門」に出ました。三嶋大社の外構えの門で、注連縄は、毎年年末に張り替えられます。総重量は400㌔もあります。
“総門”をくぐっても、まだまだ参道は続きます。神門に向かって歩いて行くと左手に「手水舎」がありました。
手水舎で手と口を清めたら次に「神門」をくぐります。唐破風を備えた銅板葺に欄間の彫刻も見事です。1867年(慶應3年)に再建されました。
神門の先が「舞殿(ぶでん)」です。1866年(慶應2年)に再建され、ここでは舞や奉納神事が行われます。
1866年(慶應2年)の再建で、本殿・幣殿・拝殿を総称し「御殿」と詠んでいます。欅造りの社殿に施された彫刻は見事です。
御祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)、積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)の二柱。その御二柱の神を総じて三嶋大明神と称しています。富士火山帯の根元の神、国土開発の神として古くから信仰されています。
国の重要文化財に指定されている“御殿”は雄大で壮麗でした。そして次に境内にある摂末社を巡ります。
南側が「西五社」です。左から「幸神社」「第三社」「聖神社」「天神社」「大楠社」です。北側には「夏目神社」があって、祭神は三嶋大神の后神六柱が祀られています。
次に本殿西側の「若宮神社」です。御祭神は物忌奈乃命(三嶋大神の御子神)、誉田別命(応神天皇)、神功皇后が祀られています。
境内の東側に移動し「東五社」に来ました。南から「小楠社」「第二社」「酒神社」「飯神社」「船寄社」でした。
その北側に「授与所」がありました。ここで朱印をいただこうと思いきや、朱印は“客殿(きゃくでん)”でした。
早速、今度は西側に移動し、「客殿(きゃくでん)」に入り御朱印をいただきました。ここでは並ばずに済みました。
朱印を待っているの間、ここから小さな祠が見えました。あとで調べると「水神社」と分かりました。
今度は、境内の東側に移動です。ここには「天然記念物 金木犀」があって、樹齢1200年と推定されてます。開花すると甘い香りが一面にするそうです。
金木犀の奥を進んでいくと「伊豆魂神社(いずたまじんじゃ)」の社標を見つけたので行ってみました。
伊豆一円の“西南の役”以降の戦没者の御霊が祀られている神社です。1967年(昭和42年)に創建されました。
この境内で見つけた、松尾芭蕉句碑「どむみりと 棟(あふち)や雨の 花曇り」は、1694年(元禄7年)5月14日に三島神社に参詣した際に、江戸に残してきて病床の妻のみを案じて詠んだ句です。
また境内に戻ると「矢田部式部盛治大人銅像」」に寄りました。1854年(嘉永7年)11月の東海大地震で倒壊した社殿を10年の歳月をかけて復興させたとありました。
こちらは境内の東端にあった「神馬舎」です。中には“神馬”も。ここだけは人が空くのを待ちました。
三嶋大社に行かれた方はお分かり方と思いますが、先程から境内の西や東へと移動しています。実はトイレを探していたんです。伊豆シャボテン動物公園を出てからスケジュールが切迫してて、トイレが出来なかったからです。ここには案内が出てなかったので、西へ東へと探した次第です。
“神馬舎”の南側には源頼朝や北条政子が腰掛けたと伝わる「腰掛け石」があります。頼朝は平家打倒を祈願しに訪れて、この石にを腰掛けたと伝わっています。
トイレがあるかなぁ・・・と思い近づいてみた「社務所」です。綺麗に梅が咲いていました。
最後に「宝物館」に寄りました。入ってみようかなぁ・・・と思いましたが、興味を引く物がなかったので止めました。
ここの境内が広いので疲れました。ここを出る前に樹齢550年の“モッコク”を見てから出て行きました。
三嶋大社には、14時1分に出ました。次は歩いて10分程度と見込んでいましが・・・帰りの新幹線は、15時48分発です。三島駅には15時30分までには戻る予定で、次の目的地に歩いていまきした。
【三嶋大社】