伊豆旅行 関八州総鎮護 伊豆山神社へ
箱根くらかけ展望台から車は、熱海を目指しました。私にとって熱海は、初めてですが、こんなに坂の多いとは想像もできなかったです。急な坂を登ったり下っててりして、11時52分に着いたのが、源頼朝が源氏の再興を祈願し、北条政子との愛を育んだと言われる伊豆山神社に着きました。
見えている鳥居の手前右側に駐車場がありますが、そんなに広くはありません。運転手さんの話では、熱海市内から長く続く参道を登っていくと、ここにたどり着くそうです。
駐車場を出たら、先程の写真にある「鳥居」の前に出ます。その先を見上げると約900段もの石段が・・・膝を怪我してる私には少々酷ですが、頑張って登ります。
しばらく石段を登ると、次の鳥居をくぐります。その鳥居には「伊豆山神社」の扁額が架かっていました。
その鳥居の右手には「祖霊社」があります。この社は、関八州総鎮護と称えられた伊豆大権現に仕えた氏人の祖霊が祀られています。
石段は、まだまだ続きます。膝を痛めているから、一段一段ゆっくり登っていくと、右手に「足立権現社」があったので、寄って行きました。御祭神が「役の小角(神変大菩薩)」とありました。
ここは仏教者や修験者が入峰し、修行を積んだ霊場でした。奈良時代の呪術師で、修験道の始祖とされる役小角(えんのおづね)は流されていた伊豆大島より毎夜、飛行術で飛来し、修行していたと伝えられることから“運命開拓の神”とされています。
次は左手に移動です。ここには「結明神社」がありました。御祭神は結明神で、男女の縁結びを叶えてくださるとありました。
伊豆権現氏人之祖といわれる夫婦神(めおとがみ)を祀る縁結びの社。古くは一名恋祭りという神事があって、各地から集まった若い男女の参列を得て行われていたこてが伝わっています。
約3分をかけて石段を上がりきると、本殿前には数十名の参拝者が来ておられました。左手には赤と白の龍がいる「手水舎」がありますが、ここも混んでました。
「走湯山縁起」に拠れば伊豆山の地底に赤白龍が横たわってて、赤が火の力を、白が水の力を表してて火と水の力が合わさってて温泉が湧くと言う、この縁起に因んで、伊豆山神社の手水舎が造られました。
手水舎の先に、伊豆山神社の境内図があって、私は事前にHPで見てみました。その先にある“狛犬”をじっくり見た後、その先に進みます。
次に「本殿」に向かいますが、人が多いです。京都の神社なら、空くのをしつこく待ちますが時間がありません・・・。
御祭神・・・調べました。正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)、拷幡千千姫尊(たくはたちぢひめのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の三柱を“伊豆大神”として崇め、強運守護の神様して信仰されています。
伊豆山(いずさん)の中腹に鎮座する伊豆山神社は、源頼朝の旗揚げに勝運をもたらしたと伝わります。そして山腹から勢いよく湯が噴出したことから、走湯(そうとう)大権現や走湯山(そうとうさん)とも呼ばれ全国に点在する走湯神社の総本社とされています。また、ここで源頼朝と北条政子が逢瀬を重ねたことで有名で、頼朝は鎌倉幕府を開いたあと、将軍自ら同社と箱根神社に参詣する“二所詣”を始め、幕府最高の崇敬社として武家の二所三嶋(にしょみしま)信仰の礎を築きました。
次に境内右側まで行ってみます。ここには“本宮”がありますが、時間が無いので行きません。
正面に大きな石碑がありますが、字が掠れてて殆ど見えません。その横の石碑には「征清軍凱旋記念碑(せいしんぐんがいせんきねんひ)」と書かれてました。
その先にあるのが伊豆山神社の所蔵品を中心に展示してある「伊豆山郷土資料館」で、入館料は150円でしたが入ってません。伊豆山地区に代々伝わる郷土資料を展示しています。
そこから見た流造の本殿です。朱色が映える社殿ですが、調べても創建年は分かりませんでした。
この先には「白山神社遥拝所」があります。後途しますが、今日は時間が足りないので、行きたいのが本音ですが、ここから引き返しました。
この先、末社「白山神社」があって、祭神が伊豆大神奇魂(くしみたま)・菊理媛命(くくりひろのみこと)で、ここまで約20分だそうです。さらに険しい山道を登ること約1時間で「本宮」に着くそうです。
本宮は、836年(承和3年)以前の元宮で、江戸後期の焼失により現在は拝殿のみ。御祭神は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊です。
こちらは「光石」で、走湯山縁起と吾妻鏡の大磯高麗山(高来神社)道祖神(猿田彦大神、天宇受売命)とともに来た光の石です。良き事を祈りながら、触ったり座ったりしてお参りするようです。
最後に「雷電社」です。御祭神は伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)で、事業、経営、商売繁盛、心願成就、良縁成就、家内安全、夫婦円満、子孫繁栄など御利益があるそうです。
ここから熱海市街地が見えます。運転手さんに聞いたとおり熱海は坂の多い待ちですね、ここまで登ってきて良かったです。
「こころ むすび」と書かれた扁額と、大きなハートマークに朱塗りの鳥居が。頼朝と政子の恋の舞台らしい・・・ですね。
こちらは“御神木”かなぁ・・・と思い撮りましたが、違うかも
。一見すると境内には人が少ないように思うでしょう・・・でも、結構多いです。
最後に、御朱印を「社務所」でいただきました。滅多に来られない遠方なんで貴重な朱印です
。ただ嬉しすぎて“由緒書き”は貰い損ねました
。
ここで失敗談・・・先程の“光石”を“頼朝と政子の腰掛石”と勘違いしてしまいました・・・それで写真はありません・・・。
源頼朝と北条政子が腰掛け、愛を語らったといわれる石です。本当でしょうか・・・歴史は面白いですね。(写真は借りました)
今度の怪我は、階段を上るより下る方が痛いんです。さすがに、この石段は堪えました。
いつもなら時間をかけてゆっくり廻りますが、この先の予定があるので12時10分には下に降りて来ました。
下まで来ると、運転手さんが待っていたので、早速乗り込むところ、少しだけここの話を聞きましたか。それにしても、次から次へと車が入ってくるものです。
伊豆山神社をJTBの担当者に予約を入れたとき、“いずやまじんじゃ”と伝えました。そしたら担当者より“いずさんじんじゃ”と教えてもらいました。ここには12時12分頃、次の目的地に向かって出発しました。
【伊豆山神社 拝殿】

見えている鳥居の手前右側に駐車場がありますが、そんなに広くはありません。運転手さんの話では、熱海市内から長く続く参道を登っていくと、ここにたどり着くそうです。
駐車場を出たら、先程の写真にある「鳥居」の前に出ます。その先を見上げると約900段もの石段が・・・膝を怪我してる私には少々酷ですが、頑張って登ります。
しばらく石段を登ると、次の鳥居をくぐります。その鳥居には「伊豆山神社」の扁額が架かっていました。
その鳥居の右手には「祖霊社」があります。この社は、関八州総鎮護と称えられた伊豆大権現に仕えた氏人の祖霊が祀られています。
石段は、まだまだ続きます。膝を痛めているから、一段一段ゆっくり登っていくと、右手に「足立権現社」があったので、寄って行きました。御祭神が「役の小角(神変大菩薩)」とありました。
ここは仏教者や修験者が入峰し、修行を積んだ霊場でした。奈良時代の呪術師で、修験道の始祖とされる役小角(えんのおづね)は流されていた伊豆大島より毎夜、飛行術で飛来し、修行していたと伝えられることから“運命開拓の神”とされています。
次は左手に移動です。ここには「結明神社」がありました。御祭神は結明神で、男女の縁結びを叶えてくださるとありました。
伊豆権現氏人之祖といわれる夫婦神(めおとがみ)を祀る縁結びの社。古くは一名恋祭りという神事があって、各地から集まった若い男女の参列を得て行われていたこてが伝わっています。
約3分をかけて石段を上がりきると、本殿前には数十名の参拝者が来ておられました。左手には赤と白の龍がいる「手水舎」がありますが、ここも混んでました。
「走湯山縁起」に拠れば伊豆山の地底に赤白龍が横たわってて、赤が火の力を、白が水の力を表してて火と水の力が合わさってて温泉が湧くと言う、この縁起に因んで、伊豆山神社の手水舎が造られました。
手水舎の先に、伊豆山神社の境内図があって、私は事前にHPで見てみました。その先にある“狛犬”をじっくり見た後、その先に進みます。
次に「本殿」に向かいますが、人が多いです。京都の神社なら、空くのをしつこく待ちますが時間がありません・・・。
御祭神・・・調べました。正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)、拷幡千千姫尊(たくはたちぢひめのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の三柱を“伊豆大神”として崇め、強運守護の神様して信仰されています。
伊豆山(いずさん)の中腹に鎮座する伊豆山神社は、源頼朝の旗揚げに勝運をもたらしたと伝わります。そして山腹から勢いよく湯が噴出したことから、走湯(そうとう)大権現や走湯山(そうとうさん)とも呼ばれ全国に点在する走湯神社の総本社とされています。また、ここで源頼朝と北条政子が逢瀬を重ねたことで有名で、頼朝は鎌倉幕府を開いたあと、将軍自ら同社と箱根神社に参詣する“二所詣”を始め、幕府最高の崇敬社として武家の二所三嶋(にしょみしま)信仰の礎を築きました。
次に境内右側まで行ってみます。ここには“本宮”がありますが、時間が無いので行きません。
正面に大きな石碑がありますが、字が掠れてて殆ど見えません。その横の石碑には「征清軍凱旋記念碑(せいしんぐんがいせんきねんひ)」と書かれてました。
その先にあるのが伊豆山神社の所蔵品を中心に展示してある「伊豆山郷土資料館」で、入館料は150円でしたが入ってません。伊豆山地区に代々伝わる郷土資料を展示しています。
そこから見た流造の本殿です。朱色が映える社殿ですが、調べても創建年は分かりませんでした。
この先には「白山神社遥拝所」があります。後途しますが、今日は時間が足りないので、行きたいのが本音ですが、ここから引き返しました。
この先、末社「白山神社」があって、祭神が伊豆大神奇魂(くしみたま)・菊理媛命(くくりひろのみこと)で、ここまで約20分だそうです。さらに険しい山道を登ること約1時間で「本宮」に着くそうです。
本宮は、836年(承和3年)以前の元宮で、江戸後期の焼失により現在は拝殿のみ。御祭神は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊です。
こちらは「光石」で、走湯山縁起と吾妻鏡の大磯高麗山(高来神社)道祖神(猿田彦大神、天宇受売命)とともに来た光の石です。良き事を祈りながら、触ったり座ったりしてお参りするようです。
最後に「雷電社」です。御祭神は伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)で、事業、経営、商売繁盛、心願成就、良縁成就、家内安全、夫婦円満、子孫繁栄など御利益があるそうです。
ここから熱海市街地が見えます。運転手さんに聞いたとおり熱海は坂の多い待ちですね、ここまで登ってきて良かったです。
「こころ むすび」と書かれた扁額と、大きなハートマークに朱塗りの鳥居が。頼朝と政子の恋の舞台らしい・・・ですね。
こちらは“御神木”かなぁ・・・と思い撮りましたが、違うかも

最後に、御朱印を「社務所」でいただきました。滅多に来られない遠方なんで貴重な朱印です


ここで失敗談・・・先程の“光石”を“頼朝と政子の腰掛石”と勘違いしてしまいました・・・それで写真はありません・・・。
源頼朝と北条政子が腰掛け、愛を語らったといわれる石です。本当でしょうか・・・歴史は面白いですね。(写真は借りました)
今度の怪我は、階段を上るより下る方が痛いんです。さすがに、この石段は堪えました。
いつもなら時間をかけてゆっくり廻りますが、この先の予定があるので12時10分には下に降りて来ました。
下まで来ると、運転手さんが待っていたので、早速乗り込むところ、少しだけここの話を聞きましたか。それにしても、次から次へと車が入ってくるものです。
伊豆山神社をJTBの担当者に予約を入れたとき、“いずやまじんじゃ”と伝えました。そしたら担当者より“いずさんじんじゃ”と教えてもらいました。ここには12時12分頃、次の目的地に向かって出発しました。
【伊豆山神社 拝殿】