丹波路を行く 京都府亀岡市 村山神社へ

3月29日(金)は、京都府亀岡市にある“お屋敷”で食事を予約してました。ただ、そこだけ行くには勿体なので、“ぶらり亀岡 亀岡市観光協会”のHPを見て近くにある神社に寄って行くことにしたんです。

自宅を8時45分頃に車にて出発します。亀岡へ行くには国道9号線か、京都縦貫自動車道の二通りですが、一般道の国道9号線を選択し老ノ坂峠のトンネルを通って亀岡市内に入りました。何度か亀岡市には来てますが、渋滞知らずで来られたのは良かったです。老ノ坂峠のトンネルを出ると下りが続き、王子の交差点を過ぎると暫くして左手にアル・プラザ亀岡が見えてきます。それが目印で、篠町広田が交差点を左折、川沿いの道路を道なりに進むと、この日最初の訪問地である村山神社に9時24分に着きました。

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自宅から約30分で着きました。車は駐車場があるので何処でも止められます。入口の鳥居の右には「延喜 式内 村山神社」と書かれた社号標がありました。

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鳥居を入ったら、右手に小さな社殿があって、そこには「百太夫(ひゃくたゆう)」とありました。芸能関連に御利益があるそうです。

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鳥居をくぐると、参道の両脇に、「狛犬」が鎮座。向かって右側に口を開いた「阿像」で獅子、左側が口を閉じた「吽像」で狛犬でした。

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その先に「社務所」があって、覗いても市“朱印”や“御守り”の気配はありません・・・が、帰りに、ここから人が出て来られ“朱印と由緒書きの有無”を聞きました・・・結果は・・・どちらも無いとの返答でした。

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参道を進むと案内が出ていて、ここでは反時計回り・・・右周りで参拝するようです。そして右手には“古井戸”と“手水舎”がありました。

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その先には、池に浮かぶ「厳島神社」があります。その先には太鼓橋を渡り、石段を登るようです。

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石段を登ると、下から見えていたのは「拝殿」で、本殿に行くには、またまた石段を登る必要があるようです。膝はまだ治ってませんが・・・。

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右側の石段を上がると正面に「本殿」があります。御祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)と木花咲耶比売命(このはなのさくやひめのみこと)です。

その左隣には、「八幡宮本殿」が建っていますが、工事用の覆いで社殿は見えません。ここに来るまで知りませんでしたが、昨年9月4日の台風21号の強風により倒壊してしまったようです。

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倒壊した社殿を解体して建材を保存し、その材木の八割を利用して再建されるそです。なお、祭神は第15代・応神天皇、第16代・仁徳天皇です。

ここ京都府亀岡市までやって来たので、後はゆっくり境内を見て回ります。思ってたより早く着いたので時間に余裕が出来ました。

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こちらは「天皇社」で、御祭神は第14代・仲哀(ちゅうあい)天皇です(日本武尊の第二子)。

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昨年の台風の被害でしょうか、この大木も上の方が折れてました。村山神社の“モッコク”で幹周り2.6㍍、樹高15㍍もあります。

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こちらは「広田社」です。江戸時代に、今の広田区から遷されたとの記録があるそうです。

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工事用のシートに覆われた“八幡本殿”の左側には「五社」があって、向かって右から「稲荷神社、天満宮、大国主命社、野々神社、愛宕神社」です。

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前途したとりおり反時計回り・・・右周りで・・・下りも右側の石段から降りてきます。降りると拝殿が前にある訳です。

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降りて来ると右手には“蓮池”が見えますが、特に何もありません。その奥には亀岡の田園風景が広がっています。

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手水舎まで戻ってくると、何処かで猫の鳴き声が・・・探すと・・・手水舎辺りから出てきました。首輪してたので、この神社で飼われているのでしょう。

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前途したとおり、ここで社務所から人が出て来られ、“朱印”と“由緒書き”の有無を確認できた訳です。ただ朱印帳は、車に置いたままでした。もしあると言われた慌てて取りに戻るところでした。

村山神社は、本殿と八幡宮が長い階段の先に並んで建つ姿が印象的な神社です。創建の年代は不明ですが、延喜式神名帳に記載があることからそれ以前の創建と推察されます。室町時代の1420年(応永27年)に再興されたとされるほど、市内でも古い歴史を持つ神社です。

ここには9時40分頃まで居ました。随分ゆっくりさせていただいた訳で、ここで次の目的地をナビに入れて車を出発させてました。

【村山神社】



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