丹波路を行く 京都府亀岡市 「京都 亀岡 がんこ 楽々荘」へ
亀岡市並河の大井神社を10時35分に出たら、次の目的地と言うより、この日のメインである京都 亀岡 がんこ 楽々荘の駐車場に、10時44分に着きました。
事前に駐車場の有無や場所は調べておきました。ここには第一駐車場と第二駐車場がありますが、この時間では第一駐車場に止めることができました。
初めて来たので、ここの入口が分かりません。駐車場内にあった“案内図”を見て玄関先まで歩いて行きます・・・が、少し距離があるようです。
坂を上がると、庭園の裏門がありますが、ここは閉まっているので、予定では食後に散策させてもらいます。あとは川沿いの道路を進み、玄関までやってきました。
ここの開店時間は11時からで、食事も11時から予約してました。着いたのが10時50分前・・・少し早いかなぁ・・・と思いましたが入ってみました。
門をくぐると、綺麗な雛飾りが置いてあります。この楽々荘は、洋館・和館・玄関が国の登録有形文化財に指定されています。
入って、靴を下駄箱に入れると仲居さんが出て来られ、「11時からお呼びしますので席でお待ちください」と。
それで座ろうとしたら、思いがけない提案が。「時間が早いので、先に庭園でも見学されますか?」と。これには参りました。二つ返事で、「是非、見たいです」と答え、仲居さんが庭園の入口まで案内してくれました。
ここで、スリッパに履き替えます。そして「お庭の見所」をいただいて、喜んで庭園に向かいました。何故、そんなに庭園や建物を見たかったのか?それは楽々荘の歴史が物語っています。
京都鉄道会社(現在の嵯峨野線)の創設者でで衆議院議員・貴族院議員を務めた田中源太郎が、1898年(明治31年)頃に自らの生家を改築し楽々荘を建設しました。トロッコ列車のトンネルと同じ煉瓦で造られた洋館と、迎賓館として建てられた書院造りの屋敷は、1997年(平成9年)に国の登録有形文化財に登録されました。また、洋館と和館の前には650坪の日本庭園は、七代目小川治兵衛(植治)による作庭で、安土桃山時代の石燈籠や鉄製井筒などが亀山城から移設され、保津峡の絶景に見立てた池泉回遊式摺鉢状庭園となっています。
南禅寺の別荘などの庭園を手がけたことで、あまりにも有名な“七代目小川治兵衛”が、亀岡でも庭園を作庭していたのかと・・・興味津々進んで行くと・・・。
先ずは洋館を撮りました。内部も見たいと、ここに来るまで思ってたので、食事の後に、見学の有無は聞いてみます。
それでは、庭園の奥に進んで行きます。特に案内があるわけでも無いので、自由に池の周りを散策すると・・・。
池に架かる木橋は通行止めになっており渡れません。池の向こうにも行きたいので迂回していきます。
池の対岸までやって来て、正面に洋館を見ています。ここに来て分かったことは、池の周りは一周できない・・・と言うことです。
こちらが、裏門横にあたります。この塀の向こう側に第一駐車場があり、行きに裏門から庭園を見られた所です。
下の写真が、亀山城から移設した豊臣家の家紋入りの「春日灯籠」だそうです。“五三桐”分かりました。
後で内部から見せて貰った書院造りの“和館”です。国の登録有形文化財で、団体さんが食事される所です。
前途したとおり池の周りは一周できないので、再び“洋館”前まで戻って来ました。ここで洋館内に入れるかなぁ・・・と思い行ってみることに。
庭園から洋館内部には入れないと思います。中を覗くと食事の準備がされていたので、ドアは触っていません。
樹齢360年の松だそうです。この日は天気が良かったんですが、少し霞んでいます・・・黄砂か花粉か分かりませんが・・・桜も咲いてないので、庭を出て中に入ります。
最後に寄ったのは、これも亀山城から移設された、豊臣家の家紋入り「鉄製井筒」です。そんなに由緒あるものと思って無かったので、この時は気にも止めなかった・・・が、本音です。
11時前には戻りました。すると3名程度の方が、座って待たれてました。私は座らず、玄関棟にあるカウンター席を見学・・・庭を見ながら食事ができるみたいです。
11時少し回ってから名前を呼ばれ、仲居さんについていくと、洋館でした。最初に予約を入れた時、ダメ元で個室をお願いしてました。部屋に入ると、仲居さんに他の部屋の見学を申し出ると、快く承諾していただき早速行ってみると・・・。
先程、庭園から見てた書院造りの和館です。大広間に雛飾りがありました。次は、洋館の見学に向かいます。つづく。
【京都 亀岡 がんこ 楽々荘】
事前に駐車場の有無や場所は調べておきました。ここには第一駐車場と第二駐車場がありますが、この時間では第一駐車場に止めることができました。
初めて来たので、ここの入口が分かりません。駐車場内にあった“案内図”を見て玄関先まで歩いて行きます・・・が、少し距離があるようです。
坂を上がると、庭園の裏門がありますが、ここは閉まっているので、予定では食後に散策させてもらいます。あとは川沿いの道路を進み、玄関までやってきました。
ここの開店時間は11時からで、食事も11時から予約してました。着いたのが10時50分前・・・少し早いかなぁ・・・と思いましたが入ってみました。
門をくぐると、綺麗な雛飾りが置いてあります。この楽々荘は、洋館・和館・玄関が国の登録有形文化財に指定されています。
入って、靴を下駄箱に入れると仲居さんが出て来られ、「11時からお呼びしますので席でお待ちください」と。
それで座ろうとしたら、思いがけない提案が。「時間が早いので、先に庭園でも見学されますか?」と。これには参りました。二つ返事で、「是非、見たいです」と答え、仲居さんが庭園の入口まで案内してくれました。
ここで、スリッパに履き替えます。そして「お庭の見所」をいただいて、喜んで庭園に向かいました。何故、そんなに庭園や建物を見たかったのか?それは楽々荘の歴史が物語っています。
京都鉄道会社(現在の嵯峨野線)の創設者でで衆議院議員・貴族院議員を務めた田中源太郎が、1898年(明治31年)頃に自らの生家を改築し楽々荘を建設しました。トロッコ列車のトンネルと同じ煉瓦で造られた洋館と、迎賓館として建てられた書院造りの屋敷は、1997年(平成9年)に国の登録有形文化財に登録されました。また、洋館と和館の前には650坪の日本庭園は、七代目小川治兵衛(植治)による作庭で、安土桃山時代の石燈籠や鉄製井筒などが亀山城から移設され、保津峡の絶景に見立てた池泉回遊式摺鉢状庭園となっています。
南禅寺の別荘などの庭園を手がけたことで、あまりにも有名な“七代目小川治兵衛”が、亀岡でも庭園を作庭していたのかと・・・興味津々進んで行くと・・・。
先ずは洋館を撮りました。内部も見たいと、ここに来るまで思ってたので、食事の後に、見学の有無は聞いてみます。
それでは、庭園の奥に進んで行きます。特に案内があるわけでも無いので、自由に池の周りを散策すると・・・。
池に架かる木橋は通行止めになっており渡れません。池の向こうにも行きたいので迂回していきます。
池の対岸までやって来て、正面に洋館を見ています。ここに来て分かったことは、池の周りは一周できない・・・と言うことです。
こちらが、裏門横にあたります。この塀の向こう側に第一駐車場があり、行きに裏門から庭園を見られた所です。
下の写真が、亀山城から移設した豊臣家の家紋入りの「春日灯籠」だそうです。“五三桐”分かりました。
後で内部から見せて貰った書院造りの“和館”です。国の登録有形文化財で、団体さんが食事される所です。
前途したとおり池の周りは一周できないので、再び“洋館”前まで戻って来ました。ここで洋館内に入れるかなぁ・・・と思い行ってみることに。
庭園から洋館内部には入れないと思います。中を覗くと食事の準備がされていたので、ドアは触っていません。
樹齢360年の松だそうです。この日は天気が良かったんですが、少し霞んでいます・・・黄砂か花粉か分かりませんが・・・桜も咲いてないので、庭を出て中に入ります。
最後に寄ったのは、これも亀山城から移設された、豊臣家の家紋入り「鉄製井筒」です。そんなに由緒あるものと思って無かったので、この時は気にも止めなかった・・・が、本音です。
11時前には戻りました。すると3名程度の方が、座って待たれてました。私は座らず、玄関棟にあるカウンター席を見学・・・庭を見ながら食事ができるみたいです。
11時少し回ってから名前を呼ばれ、仲居さんについていくと、洋館でした。最初に予約を入れた時、ダメ元で個室をお願いしてました。部屋に入ると、仲居さんに他の部屋の見学を申し出ると、快く承諾していただき早速行ってみると・・・。
先程、庭園から見てた書院造りの和館です。大広間に雛飾りがありました。次は、洋館の見学に向かいます。つづく。
【京都 亀岡 がんこ 楽々荘】