嵐 大野君の聖地 大野神社へ

JRA栗東トレーニングセンターからほど近い大野神社に、8時36分に着きました。予定では9時過ぎに着いたら良いかなぁ・・・と思っていたので随分早く着きました

大野神社は、ジャニーズの嵐ファンが多く訪れることで知りました。特に、来年12月31日で活動休止を発表してからは連日賑わっていると新聞やテレビの報道で聞いてました。それで私が嵐ファンじゃないです、妻が嵐の大野君のファンなんです。この日は友人と来ましたが、本当は妻を連れてあげたかったんですが、出無精の妻はついて来ませんでした。

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バスの本数も少なく、またバス停から遠い、この大野神社に多くの人が来られるのが不思議です。

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ここには車で来られる人が多いかと思います。駐車場は広かったですし、この時間では、まだ誰も来られてません。

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鳥居をくぐり“大野神社”と書かれた扁額を見て、参道を進み正面にある「楼門」(重要文化財)をくぐります。

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すると、今度は正面に「拝殿」が見えます。遠目には割拝殿かと思いましたが、近寄って見ると“祈祷殿”になっています。

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拝殿の左隣には「手水舎」があります。この前で、記念撮影できるようになっていますね、若い人たちの参拝が多いのでしょう。

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手水舎のあと、ここでは左側から石段を上がって弊殿前で参拝するようです。私も左側から上がって行きました。

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石段を上がると、「神馬像」を撮りました。そして、このあと先に載せましたが、拝殿の裏側に回り込んでみます。

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こちらが拝殿の裏側です。遠目から見るのと違い、“祈祷殿”らしく絨毯が弾いてありました。

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こちらは「弊殿」で、石段を上がって参拝します。本殿は直接見えません。私ら3人は、ここで参拝を済ませました。

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本殿」は、この角度から見えました。御祭神は、菅原道真公で、天満宮じゃないですね、少々驚きました。

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それで、弊殿前には“神牛像”があったんですね。ここに来るまで御祭神が知らなかったのと、知っていたのは嵐ファンの“聖地”だけでした。

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本殿の右隣には摂社の「三社殿(出雲社)」があります。左から八幡社(八幡大神)、出雲社(出雲大神)、恵比須社(恵比寿大神)でした。

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“三社殿”の右横には末社「水分(みまくり)」があって、御祭神は、天之水分神(あめのみくまりのかみ)(里の神)です。

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弊殿で参拝を済ませると、右側の石段から降りてきました。すると神仏習合時代の名残がありました・・・。

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観音堂」と呼ばれるお堂の中に、神社では違和感のある仏像が安置されてました。中央に本尊の十一面観音立像(平安時代)、右に毘沙門天立像(室町時代)、左に不動明王立像(江戸時代)が。

神仏習合時代の本地仏で、神主の屋敷内にあったことから背部希釈でも免れ、後に現在地に移されたもの。この仏像は、栗東市文化財に指定されています。

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こちらは「御輿蔵(みこしぐら)」です。例大祭で活躍する神輿が納められてるのでしょう、外からは全く見えません。

8時46分になって、授与所を覗いてみました。外では巫女さんが清掃されていたので、恐る恐る「まだ御朱印をいただくには早いですよね」と尋ねると、「良いですよ」と。

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ここで、朱印をいただき、また、由緒書きもいただけました。そして妻が頼まれてた、嵐大野君色の御守りをいただいて帰りましたが・・・。

妻から大野君の色は青色と聞いてました。それで青色をいただいて帰った筈が、どうも紫だったようで・・・今度、何時行けるか分かりませんが、再訪する必要となりました・・・

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社務所には、嵐のグッズ・・・が。嵐ファンが奉納したと書かれてましたが、嵐ファンは欲しいでしょう・・・我妻も

ここで朱印をいただいてる間に、二組の方が参拝に来られました。見たところ随分若いので、多分、嵐ファンでしょうね。この大野神社・禰宜の大宮聡さんは、嵐のリーダー大野智くんと名前が同じであることから、約10年前から嵐ファンが訪れるようになったとのことです。嵐のメンバー5人のイメージカラーを配した御守りやダルマが人気を集めているとききました。来年の年末で活動休止を発表してから活動休止を惜しむ多くのファンが殺到していると新聞で読みました。日曜日の早朝である、この時間では空いてましたが、それでもファンの方から来られているので、今日はお昼から多くの人が来られることでしょう。

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ここには8時52分に出て行きました。京都から遠く離れた大野神社のことは、新聞で知らない限り、来なかったでしょうね。連れてきてもらった友人には感謝ですね。

平安時代後期に、金勝山上にある金勝寺(こんしょうじ)の鎮守社として創建され、金勝荘の総社にもなっていた。武将の祟敬を集めるなど社運が隆盛し、鎌倉時代には近江国の守護佐々木氏が、南北朝時代からは足利義尚等が社殿の造営、修理などを行っている。境内の楼門は滋賀県内最古のもので鎌倉時代初期の建設とみられ、重要文化財に指定されている。古くは天神社や狛坂天神などとも称され、明治時代に現在の社名となる。 (Wikipediaより)

ここから次の目的地が今日の本命です。ここに行くために今日の行程を計画したようなものです。出発が9時50分過ぎに・・・随分計画より早い出発ですが・・・それが良かったことを後程知ることになります・・・。

【大野神社】



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